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頭がおかしくなった自分と戦った2年間の総まとめレポ&元々人間に「やる気」なんてない話

頭がおかしくなってしまった大学時代

僕は大学時代に「誰かに盗撮されているのではないか?」という妄想から逃れられなくなったことがある。ありとあらゆるカメラが怖くなってしまい、エレベーターが一切使えなくなり(エレベーターにカメラがあることに気が付いたから)目指す場所がどれだけ高い場所にあろうとも階段を使っていたし、そのうちドライブレコーダーが怖いとか思いだして、外に出ることができなくなった。それに加え、自分の思考が口から出ているのではないか、という訳の分からない妄想にも駆られ、
「聞かれたくない考えが口から出る」×「それを盗撮されている」
という式が頭の中でできあがってしまったのである。
最終的に隣の部屋の人から盗聴されているとか考えはじめ、安らぐ場所を失ってしまい遂に限界を迎えた。
実家の母と電話をしていた時に「もう無理だ」と思って、今自分が置かれている状況やそのおかしさを全て話した。
母は笑う訳ではなく真剣に「病院に行ったら?」ということと「最近テレビで見たんだけど、思考って癖らしいよ」という二つのことを言った。
この時に僕は後者の言葉にかなりピンときて、今後自分は楽になるという確信をベランダで得た記憶が明確にある。
それ以降、僕の中には二つの人格のようなものがずっとある。
新しくできた人格のようなものの名前を「シン・落合」とする。
僕はこれまで彼にかなり助けられてきた。
「シン・落合」の力を借りて、僕は自分自身を根底から変えるということを何度もやってきた。それは「脳そのものの改善」であるとも言える。
自らへの人体実験、その試行錯誤の記録をここにしたいと思う。と言ったら少々神がかりすぎた表現化もしれない。

妄想の終わらせ方

自分がどのようにして先程述べた妄想の数々に、自ら終わりを告げたかをまとめようと思う。
当時僕は、今自分が抱いている「妄想の数々」を俯瞰して考え、片っ端から気になることを列挙していった。ポイントは「俯瞰」であり、この俯瞰の目こそシン・落合の目なのである。簡単に言うと「妄想」を抱いてしまうような異常な自分に頼らず、一般的な目線で自分を分析しようということだ。
その時の分かりやすい切り替えとして、「シン・落合」というキャラクターを自分の中に作ったということだ。こんなバカみたいなことでも、案外効果があって「一回シン・落合で考えよう」と心の中で唱えるだけで割と冷静に物事を判断できるようになった。人間の身体なんてそんなものなのかもしれない。

「シン・落合」が気付いたこと
・そもそも「妄想」だと言っている時点で「妄想」であることに自分で気が付いている
・盗撮・盗聴されているという根拠が一切ない
・好きなこと(ラジオのネタを作ったりゲームをする)をしている時のみ、妄想が発動しない
・これまで数々の理屈でこの「妄想」がいかに「妄想」であるかということを、自分に説得してきたが無意味であった

である。長々と述べてきたがどうやって「妄想」を解決したかというと、めっちゃ簡単なことでそれは「バイトをする」であった。
バイトを始めた瞬間に「妄想」がなくなったのだ。

まず「妄想である」と自分で分かっているのにも関わらず、その考えが拭えないかつ理屈も通用しない、のであればそれはもう「思考の癖」である、とシン・落合は判断した。折り目のついてしまった紙のようなもので、これはもう反対側に逆張りしていくしかない、という風に彼は考えた。
「殺意を持ってして泉のようにわき出る妄想を押し潰す」ことにしたのだ。

次に盗聴・盗撮されている根拠がない、ということが自分で分かっているのにそうは思えない、と言う時点で「現実に問題がある」のではなく「自分の脳」がなにかしらの問題を抱えているということも分かった。

また好きなことをしている時に「妄想」が生まれないのは、「没頭」することで脳のキャパシティーが埋まったからではないかと考えた。
「つまり「妄想を押し潰す」ためにはなにかに「集中」することが必要で、反対に「妄想」を広げるためには「暇」が必要である」とシン・落合は悟ったのである。
その上で「理屈での説得も無意味である」となった場合、「身体」の方に彼は目を向けることにした。

フィジカルで解決

例えば、息ができなくなるまで全力疾走をした直後に「ダメだ苦しい。」より前に「盗撮怖い。」と思えるかどうか、ということを考えた。
「身体を動かす」かつ「身体的な疲労を覚える」「没頭するしかない状況に自分を置く」という条件を全て叶えていたのが「スーパーのレジ打ち」であった。
別に妄想を治すためにバイトを始めた訳ではないのだけれども、結果的に治った。
「嘘か本当か分からない「妄想」」は「自分のレジにできてしまった客の大行列」という圧倒的な「現実」に勝てなかった訳である。レジを打っている最中一度も妄想が生まれることはなかった。
家に帰ったら、緊張もあってかどっと疲れが襲ってきて「妄想を考える体力や気力」がなくなっていた。
バイトに慣れてきたころ、思考の折り目が薄くなってきたことを感じ「妄想に震えていた時のこと」を振り返った。それが如何におかしなことだったか自分で笑えた時に「治ったな」と僕は思った。
がしかし、完治しているとは正直思っていない。ごくたまに姿形を変えて、「新しいヤバイ考え」がわき出そうになることがある。でもその時の対処法は心得ているので問題はない。
最近気が付いておもしろかったのは、僕は当時「盗撮されているかもしれない」という妄想を「思いついた」という感覚があった。「エレベーターにもカメラがある」「車にはドライブレコーダーがある」と次から次へと、「思いついて」しまって、変な話だが「思いつくな!!!」と自分に言い聞かせていたのである。
自分の傾向として「ネガティブなこと」を考える時に全て映像が付いているということが分かった。そしてその映像を頭の中で見て、実際にネガティブな感情を体験して以降、現実に戻ってからも感情を引きずっているみたいなことが多く、その「ネガティブな映像を頭の中で立ち上げる」ときの脳の働きが、ネタを作っている時の脳の働きと全く同じことに気が付いたのである。できるだけポジティブなことに使いたいと思っている。

シン・落合が最近気が付いた「やる気」に関すること

結局「シン・落合」とはなにか、というと「知識・経験」のことである。
僕は自分の中でなにかが上手くいっていないとき、外側の知識で自分を強制するということをしている。
最近「作業を毎日したいのに中々できない」という悩みがあった。
「やる気」がある分、作業に集中できなかった時、自己肯定感がだだ下がりするという最悪のスパイラルに陥っていたので、これはなんとかしてあげなきゃいけないと思った。「なんとかしてあげなきゃいけない」と思うのがシン・落合である。
で、色々五月に試行錯誤した結果、今毎日作業できるようになったので、そこで気が付いたことを以下にざっとまとめようと思う。
まず自分が毎日できていることがなにかというと、例えば「歯磨き」や「出勤」である。これらをする時に一々「なにかを思うか」というとそうではない。ほぼ無意識に動いている。歯磨きをするみたいに作業をするにはどうしたらいいか、と考れば答えは速攻で「ルーティンワーク化」するである。
無意識に組み込んでしまえばいいのである。つまり「やる気」という精神的なことではなく、「椅子に座る」というこれもまた身体的なことで解決すればいい訳だ。精神的な部分を変えたいけども中々追い付かないって時は、身体で引っ張っていくべきだと自分は考えている。
「やる気」は偶然の産物のようなものであり、そもそもそれが出てくるまで頼っていること自体が間違えていたと先月分かった。
とは言っても実際にやるのが難しいって話だと思う。

ポイントはどこを「ルーティンワーク化」するかって話だ。
僕は毎日数時間作業することを日課にすればいいと思って、日々トライしていたのけど、椅子に座る前から「数時間作業する」ということが重みになってしまい、ソファーの上でYouTubeの「ドライブレコーダーの映像」とか見ている内に寝ちゃってる、みたいなことが多々あった。
これまで上手くいった時のことを振り返ると「何も決めないでなんとなく始めた」結果ずっと作業できていることが多かったことを思い出した。
となると「ルーティンワーク化」する部分は「作業する」ではなく「椅子に座る」というところだけでいいのではないか、ということに気が付いたのである。
ひとまず歯ブラシを咥えればいいのである。あとは勝手に磨くから。
てな感じで、6月はほぼ毎日作業できている。
段々と身体が「椅子に座る」ということを癖づけてきて、自然とスタートすることができるようになってきた。今日は5時間くらいできてる。
人間の身体って単純だなと思う。


落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。