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それは努力か、才能か

幾度も繰り返される、努力か才能か、論。中には「努力する才能」なんてものも存在する、ってなると、全ては才能だとも言える。で、僕がどう思っているかというと、才能というのは自分では気づかないので、たとえあったとしても、主観的には無いのと一緒。なので、主観的には、努力が全てと思いがち。ただ客観的には、その人の才能というのは見えるので、才能の割合が高くなっていくと思います。

才能というのは、あくまで他者との比較において成り立ちます。世の中に人間が1人しかいなかったら、その人は、背が高くも低くもなく、頭が良くも悪くもなく、ハンサムでも不細工でも無いし、なんの才能も無いし、何が不得意でも無い。しかし、努力というのは、主観的に、頑張って苦労したな、というものです。世の中に人間が1人だけでも、努力という概念がありさえすれば、努力は成り立つ。嫌だけど頑張っているとか、そういう行為は1人でも行えるからです。

才能か努力か、という話においては、世間一般ではどちらかというと「努力」に寄っていると思います。才能というのは、世の中に人間が1人しかいなければ成り立たないと書きましたが、これをもうちょっと緩くすると、世の中の人間が自分と似た人間しかいなければ、そこに「才能」は、ありません。だって、似ているんですから。例えば、クローン人間が100人いたとしても、そこに「才能」は無いでしょう。どの人間も同じ背格好で、同じ頭脳であれば、才能は存在しない。

となると、似たものを集めれば、そこに「才能」の差異は薄くなります。才能を感じられなくなる。そして、我々が浸っている現代日本の環境で言えば、教育も職場も、似たものを集める環境になっています。同じ地区で生まれた(同じ地区の時点で、かなり似ている)、同じ年齢の子供たち。それが、小学校や中学校の時点で、さらに学力で振り分けられていく。どんどん細分化していき、かなり精度の高い「似たもの」の集団が生まれる。この集団の才能は似たり寄ったりなので、特に、才能を感じられないわけです。

例えば、小学校のクラスで一番、頭が良かった子供がいるとしましょう。特に苦労もせず、100点が取れる。これは「才能」です。別に努力をせずとも、簡単にできる。この子が成長して、東大に入ったとしましょう。すると東大では、そのぐらいの頭の良さ(というかテストの得意さ)は普通なので、自分が頭が良いとは思えない。そこで、競争して、頑張る。ここで「努力」が発生する。すると主観的には、すごく努力した、才能じゃなくて努力で勉強ができるようになったんだ、と考えるようになる。

野球選手が、才能じゃない努力の積み重ねでここまで来たんだ、とか言うのも同じです。そもそも、才能はあるんですよ。ただ、似たもの同士の「野球のできるやつ」が大阪桐蔭とかに集められて、そこで、才能を感じられず(だってみんな出来るから)、努力を積み重ねて、プロ野球選手になった。プロ野球選手になっても、そこで努力を重ねる。だから主観的には努力をしまくっているんだけど、そもそも、才能はあるわけです。絶対、小学校のクラスの中では、何もしなくても最も運動神経が良かった。それは才能なんです。

思うに、問題なのは、自分の才能に気づけないことです。才能というのは、そもそも、それを発揮できる機会がなければ発動しないものですから、ヤギを飼うのがうまい才能とかはあっても、発動する機会が無いので、そういうチャンスを増やす必要はあるのですが。現代社会で発動しやすい才能、頭が良いとか、野球が上手いとか、そういうメジャーな才能でも、「似たもの同士」を集めることにより、埋もれてしまうわけです。自分は頭が良くない、だって東大の理3に行けないし、数学オリンピックにも出られないから、とかいう話になるわけです。

頭が良いという才能がある人が、頭が良くないから意味がないんだ、と思ってしまって、その才能を発揮できないというのは、社会的損失です。で、この傾向は、インターネットの発達により、拍車がかかった。ネットの世界を見れば世界中には、自分よりもっとできるやつがいる。野球だって、日本のプロ野球でやれるぐらいの才能はあるけれども、メジャーリーグとか見ると、そこまでの才能は無いとか思うかもしれないけど、野球がめちゃめちゃ上手いことには変わりがないし、それをずっと生かせばいいわけです。でも、それが生かしにくい。

そういう社会だと、「努力」が日の目を浴びます。才能が見えないから。そして、みんな自分の周りには、自分と似たものが多いから、そこでは「努力」しか見えなくなる。でも、努力というのは「頑張る」とイコールです。嫌なことをしているから、生産効率が悪い。本当は、自分が努力とも苦労とも思わない「才能」を、社会のために生かすことが、最も全体効率が良いのです。ってことで、僕は、努力じゃなくて才能を生かした方が良いなと思っています。はい。またあした。

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