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マイペースを愛せたら

「やってみたい」という気持ちに素直に従って生きてきた方だ。勉強したい、行ってみたい、話してみたい、体験してみたい。好奇心が強い私、心が惹かれてしまったらもうやるしかない。やる以外選択肢がない。

その一方で、充電の時間をきちんと確保しなければ心身のバランスが取れなくなるタイプでもある。走り続けることは苦手。平日フルで仕事をして、土日両日外で誰かと会う、みたいなことはとても疲れる。シンプルに体力がない。自分ひとりだけの時間をもち、休息をとり、そしてもう一度気持ちを立ち上がらせることが必要だ。そういうルーティーンの中であれば、私は好奇心の波に乗りながら自分を進ませることができる。

週2,3日出社して、残りは在宅で勤務している。平日のうち数日は定時後に勉強するが、それ以外は本を読むか映画を観ることに充てている。友だちと長電話をする夜もある。何もせず眠る日もある。土日のどちらかは外出し、買い物をしたり人とご飯を食べたりする。もう一日は一定の勉強時間をとったうえで、自分自身を癒すことに使う。そして明日からの仕事に備え、きちんと睡眠をとる。この1週間の過ごし方が私にとっての平常運転。

少し話を逸らす。

私は一生懸命な人が好きだ。やさしい熱を持つ人も好きだ。そういう人たちだけが発するエネルギーがある。出会うと嬉しくなって、だいすきだと勝手に心で思う。肩組んだりしたい、迷惑だからしないけど。
そしてその人たちの持つパワーを目の当たりにする。行動する力や考える力、思いを形にしようとする力。博物館ではじめて恐竜の化石を見た子どものように、私は口を開けて「すごいなあ」と言う。素朴だけれど、ストレートに湧き上がる感想がすごいなあなのだからしょうがない、すごいなあ。

ひとしきり感嘆し、私も頑張ろうと張り切る。私なりに頑張る。
だが一定時間頑張ると、私は顔の濡れたアンパンマンのようになる。なので休む。映画を観たり、少しお昼寝をしたり、ただMAMAMOOのライブ動画を観たりする。

その隙間にふと考える。あれ、私が休んでいるこの時間にあの人たちは何をしているのだろう。自己研鑽に励んでいるかもな、誰かを思って行動しているかもな、次の未来を考えているかもな。あれ、私こんなことしてていいのかな。

こんな風に、時折急に自分の「頑張り」に自信がなくなる。自分がとても怠けた奴であると感じる。知らず知らずのうちに誰かの姿と自分の現状を重ね、未熟で非力なくせにやたらと充電に時間を使う己の姿にがっかりする。元々私の頑張りの先には、テストで100点をとりたいとか、50m走のタイムを1秒縮めたいといった定量的な目標がない。なにせ「達成したい」ではなく「やってみたい」の気持ちで動く人間なのだ。歩きながら次に向かいたい方角を考えるタイプなのだ。誰かの目指す明確なきらきらと比較すれば、私の進む先の景色は少々霞んでいる。しかも体力不足により時折休憩を挟まなくてはいけない。それをも楽しみながらハイキングしていけばいいのに、前や後ろを走る誰かの努力に眩しさを覚えてしまう。かめやうさぎの姿はどこにも見えていないのに。

頭では十分わかっている。誰かと比べる必要がないことも、皆自分のペースがあることも、見えない部分で葛藤があることも。私は私の速度で頑張ればいい、自分の感じたものを信じればいい。ゆっくりしか歩けないのなら、丁寧に周りを見回していけばいい。
わかりやすいから「頑張り」という表現を使ったが、そもそもそこには基準もなければ上限もない。好きなように自分を認めて抱きしめていくしかない。

何も持っていない自分を、もっと愛せるようになりたいなあ。「ないもの」にばかり視点を合わせてしまう自分からそろそろ脱却していきたい。「あるもの」の中に誇りを見つけられたらいいよね。

目には見えない色鮮やかな何かが、きちんと私の中に育っていることを信じたい。育ったものを誰かにちょっと分けてあげられるようになりたい。焦らず、急がず、自分の「やってみたい」を尊重しながら、のんびり次の風景を探しに行く。生き急がない!自分だけのタイミングを愛する!それだけ毎日約束して、明日の自分にあとは託す。

今日はおいしいもの食べて、たっぷり寝ちゃお
明日はまた新しい私でがんばろうね

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