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ひかれ、私が紡ぐもの
命削ってつくったものを全身全霊でぶつけられる人を心から尊敬する。表現したいと思うのであれば躊躇ってはいけないね、遠慮心は良さを欠いてしまう。
先日、いつか生ものとして触れたいと思っていたアーティストのライブに行った。偽りも手抜きもない血の通った舞台だった。強烈に浴びてしまった、もうなあなあに日々を送れない。
芸術にまつわるサバイバル番組を好んで見るのだけれど、スーパーモデルを目指す参加者たちに「なぜカメラの前で没入できないんだ」とカメラマンが叱責するシーンがあった。あれこれ頭で考えすぎて放出することに集中できていないと言われている。いかに難しいことであるか、過去の自分の経験からよくわかっているつもりだ。でも"表現"にたどり着けないままでは次には進めない。
「出すべき時に全力を出せないでどうするんだ」と私も叱られた気がした。本番を逃してはいけない。瞬間瞬間を生きないで、来るかもわからない「いつか」に期待してはいけない。伝えたいものがあるのならタイミングを100%で捉えて発揮すべきだ。
プロフェッショナルではない私でも、やるからには誰かの心を動かしたい。紡いだものが手を離れ、どこか別の場でちいさくひかりますように。
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