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あなたたちを心から、私は

「きらきら」というより「ぴかぴか」している女の子たちと話す時間を持つようになり、3年になる。主観の表現でしかないけれど、ぴかぴかは「新品の感受性」と「電飾のような光り方をする」という意味でそう思っている。


傷ついていない子なんていなかった。それと同時に、"ただ傷ついているだけ"の子も少なかった。大人は簡単に【可哀想】のレッテルを貼る。それぞれいろんな事情があり、それを軽視するつもりは毛頭ないけれど、少なくとも、彼女たちには目の前のことを出来る限り楽しみたいという想いがあった。

女の子たちの人生を自分勝手に阻む何かがあり、それゆえに健全さを奪われることは多い。悲しくてつらいことだ、だからこそ自分でぴかぴかさせようとしている。側から見ればとても派手だったり道を逸れたりしているように感じられることもある。けれど、自分の日々を出来うる限り良いものにしようと努力しているだけだ、それの何が悪いんだろう。

私の人生を変えてしまった女の子たちがいる。さみしさの海をひとりで漂う子と一緒に過ごすことができたら、と昔から思っていたが、それは決意と呼べるようなものではなかった。寄り添う日々は、どちらかというとある日突然始まった。ふと出会って、隣に座って、話をして、聞いて、心をいろんな色に変えながら、本当にたくさんの経験をした。お互いにたくさん傷ついて傷つけた。未熟な私で心から申し訳ないと思った。表しようがないほど腹が立つこともあった。そして、自分では主導することのできないような自身の変化を味わった。

女の子たちの苦しさを、追体験することはできない。だから「わかってあげる」なんて烏滸がましいことも到底できない。あるのは、とにかく想像して、想像して、想像する作業だ。

良くなる/悪くなるという進み方が存在するかわからない。それでも思っている、私たち、前より随分と手を取り合える時間が増えたよね。そう思うことができて、嬉しいよね。あなたもじゃないかな、違うかな。

女の子たちとの日々の中で感じる思いを、いくつかの記事に残してきた。どれも、正直すぎて息苦しいほどの、ほんとうだ。

(いくつかを抜粋する:「私の右側に座る女の子たちと」「彼女の天国から見える未来」「高熱の夜の本音」「絶望と希望に、祈りを」)

感情とか、心とは、生ものなのだと痛感している。私たちを繋ぐのも壊すのも、血の通ったものによる力だ。うまくいかないときもたくさんあった。全部何もかも忘れてなかったことにしたいとすら思った。けれど、そんなふうにしなくて良かった。あなたたちに会えて、いま私、本当にしあわせだと感じているから。

いろいろなことが、すとんと腑に落ちたり、綺麗に鎮まったりすることがある。たったいま、急にそういう瞬間が訪れた気がしたので、言葉を紡いだ。私たちの日々は続く。どれほど高く波が立っても、水面の美しさを共に眺める時間もきちんとやってきてくれるものだ。

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