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強い風が吹いた、私は誰

明るいことと暗いことって一緒にやってくる。喜びばかり続いたあとで足元を掬われる経験を何度もしているので、同時に来るくらいでちょうどいいのかもしれない。

と、自分に言い聞かせる。

ハリのない生活をすると大抵気持ちが沈む。仕事のモチベーションが下がっている時、大体自分を嫌いになる。ただこのタイプのネガティブは対処が簡単。無理矢理にでもエンジンかけて走ってみると、あっという間に気持ちを立て直せる。そして、そういう時に限って日々の頑張りが実ったりするのだ、不思議と。やらないよりやる方が楽だと省みて、明日からの糧にする。かけてもらった言葉のあたたかさに胸がときめいて、美味しいものを買って帰路に着く。これが「明るい」こと。


「暗い」ことの内容はここには書かない。文字に起こせば余計に私の心がひしゃげそうだから。自分のあり方を見失うような言葉を見かけてしまった。その真意を、どう捉えたらいいのかわからない。私自身の信条を優先するべきか、他者の視点を尊重するべきか。どちらにせよ、正解がないと知っている。明確な嘘以外、この世にあるものは全部真実だと思うから。否定も肯定もしないけれど、それでも私の心は暗くなった。薄闇が、手元に残る。

照らされて影が差して。明るいとか暗いとか、それって私自身の評価を私自身がどう受け止めるかの違いを指しているのだと気がつく。
心がきらめく言葉ばかり覚えていたいけれど、そうはなれない。とはいえ暗闇に居続けることも難しい。人間は、良くも悪くも都合がいい。

私が見た私、誰かが見た私。誰も見つけていない私。全てが綺麗に重ならない。そこに時々混乱する。私は全然〇〇ではないのに、という思いが色んな方向へ飛ぶ。ありがたい気持ちと恥ずかしい気持ちと、やるせない気持ちになる。そのあとで、自分の姿を見つめ直す。私は一体どんな人なんだろう?

一通り思索したあと、だいすきな友だちと少しだけ電話した。気持ちはからっと晴れた。なんてことのない話題で、ありのままの私たちの姿が目の前にあるかのように戻ってくる。そうだ、こういうことでいいんだと思った。頭の中でこねくり回すより、大切な人たちとのつながりの中で自分を捉えていけばいい。やさしさにふれて、信じられるものを増やしていくのだ。誰かのことも、自分のことも。

春一番が吹いた。乱されて、次第に凪いだ。

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