夏、私たちの結び目
普段から一緒にご飯を食べているたくさんの子どもたちと、夏の思い出を作ってきた。遊んで動いて喋ってひたすらに濃い時間、無尽蔵の体力を持つ子どもと違って私たちはへとへと。それでも余りあるほど楽しかったね。振り返ったときにやりとしてしまうような記憶になっていたらいいな。
家に帰って荷解きをし、アイスコーヒーで一息。気がついたら眠ってしまっていた。さらに深いところまで落ちていく前になんとか起き出し、ご褒美的夕飯を食べた。若干の回復を感じながらサブスクのドラマやYouTubeをなんとなく観ているうちに、ふいに涙が出た。
テレビの映像を目にしながら、私の脳は先ほどまでの子どもたちの姿を追っていた。ひとりひとりの顔が浮かぶ。誰を思い出してもいい表情をしていて、「私、この子たちのことが心底可愛い」と思った。手を焼く瞬間も多いけれど、全部ひっくるめて、君たちと過ごす時間が私にはかけがえのない宝物。(こういう時ってありふれた表現しか出てこないなと小さく息を吐く。)
でもそれ以外にない、子どもたちの言葉も行動も視線もなにもかも見逃すのがもったいなく、できる限り全部覚えていたいと大人の私が本気で思っている。
血だけがつながりじゃない。過ごした時間の長さがものを言うわけでもない。君たちと私たち、出会うことができてよかったよね。
驚くスピードで成長する君たちだから、明日にはまた違う自分を知るかもしれない。心のスピードに足が追いつかなくなることも、目に見えぬ何かに追い越されたと感じることもきっとある。ぬるっとした影を自分の中に感じた時に、思い出しても楽しい瞬間をたくさんストックしておいてほしい。できるだけ、心鮮やかな日々を過ごしていけるように。ーレオレオニの、フレデリックみたい。
全身筋肉痛の大人は早々にベッドに入ることにする。私たちはどれだけ長く生きても、夏の子どもと同じくはしゃぐことができるのだと悟る夏と秋の境目。笑っていてほしい、と思わせてくれる存在は偉大だ。私、君たちの明るさに救われている。
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