訳あって地方へ移住、本棚がない暮らしになったが……

69歳の誕生日を迎えた翌月、事情わけあって51年住み続けた大阪府内の街から田舎へ移住した。
引っ越しの日、URの高層建物の前に大きなトラックが止まっているから、他所宅も今日引っ越すんだと思ったら、その大きなトラックは我が家の引っ越し用だった。

家具がそろっている身内宅への移転だったので、お気に入りのテーブルと椅子、小さな引き出し家具やまだ新しいテレビや買ったばかりのエアコンなどは運ぶが、箪笥や書棚やベッドなど嵩高い大きな家具はすべて廃棄した。
なのに4tトラックがやって来たのは、下見に来た人が、衣類のケースと本が多いと判断したのかも。

40年以上「書く」仕事をしたわりには我が家の本棚スペースは些少。本の数は少なすぎると私は思っていたが、わがやを訪れた人は「本が沢山ありますね」と言った。
本棚に収まりきらず書棚家具の上にも沢山並べていたが、就寝時間に地震で大きく揺れると、すぐ傍のベッドにドサッと落ちるかもしれないので危険だから、家具の上の本は全部処分した。

ライターだったので必要になるかもと思い本を捨てることはできなかった。身内宅へ沢山の本を持って行くのは迷惑だし、書く仕事は失業したわけだし……移転前にも思いきってかなりの量の単行本や文庫本を処分した。大きな事典類も嵩高いので捨てた。

4tトラックの荷台は半分くらい空いていたが、でも思ったより荷が多いことに驚いた。専門会社の人の判断では2tでは入りきらなかったのかもしれないが、マッチ箱みたいな住まいからの出発も、到着も、大きすぎるトラックはちょっと恥ずかしかった。
「一人暮らしなのに、そんなに荷物があるの?」と思われたかもしれないし、到着地では「大きなトラックで一体だれがやって来たの?」って近隣の人が驚いたかもしれない。

移住先の身内宅では、本はダンボールに入ったまま戸外の倉庫の中に。
仕事は無くなったがエッセイや小説などは書き続けたので、もし本が必要になったらダンボールの中から探さなければならない。実際そういう時があったが面倒で出しに行かなかった。

本は本棚に並んでいないと、読まなくなる。

移住前は、〇〇種類の本はあそこ、〇〇部類はここ、〇〇さんの著書は確かあの辺り……と把握していた。探すのは面倒ではなかった。だからキーを打ち込んでいる最中に調べたかったり確認したくなったら、すぐに本棚へ行って手に取っていた。
ダンボールの中の書物は(すぐには)役に立たない。


1年弱後、また理由わけあって身内宅を出て(元日に被災した石川県奥能登の珠洲市)、同県加賀地方の県営住宅に再移転した。

再移転前、再び沢山の本を処分したが、今度は時間があるので本の頁に赤線を引いた個所をどんどん打ち込んでパソコンに保存した。
この打ち込み作業が楽しかった。至福の時間だった。😊
その作業は「読書」の時間であり、読むだけよりキーを打ち込むほうが頭のなかによく入る。
打ち込んだファイルを開けて読むということはないのかもしれないが、再読しながらの保存作業は学習効果があり幸せなのだから、無駄な時間と考えず毎日ひたすらキーを打ち続けた。

そして、独り暮らしに戻った1LDKの県営住宅で……書棚家具は無い。買う家計的余裕も部屋のスペースも無い。あちこちに分けて床に積み上げたり並べたり。
「健康関係」「ファッションと美容関係」「エッセイと小説」「高齢著者」「移転後に購入」など。

貧乏所帯みたいで(実際そうだが)ちょっと情けなかったが、大きな家具がない部屋は壁がいっぱい見えてスッキリしている。大阪の3DK住居はモノが多すぎた。
本たちも、ちゃんと棚に収めてもらえなくてもダンボールの中に閉じ込められたままより、いいだろう。


月日の経つのは速いもので、2024年の1月、再移転から丸6年経った。

相変わらず本は床の上。
でも、わかったことがある。家具は沢山なくても生活に支障はない。
瀬戸物類はシンクの上下に有る収納個所で事足りる。下着類は小さな引き出し家具に。衣類は引き出しケースに。そのケースを並べて外した襖を2枚重ねベッドをつくっている。壁には元テニス仲間の書家さんから頂いた掛け軸と亡き母の写真だけ。
押入は和室の一か所だけだが充分収納できている。大阪では3か所あったが足りなくて脚長ベッドの下に衣類ケースを並べていた。尤も現住居はサンルームと玄関ドアの外に各戸専用倉庫が有る。この収納スペースは有り難い。

引き続き本を処分していきたいので、どんどん打ち込んでファイル保存を続けたいが、仕事もしていない、一番の趣味だったテニスもやめているのに、毎日時間が足りない。多忙な日々なので中断したまま。

その後、新しい本はあまり増えない貧乏生活だが、過去は、2日根を詰めて広告コピーを書いたら広告プロダクションから20万振り込まれた。毎月発行の社内報を企画から納品まで受注、10万ほどの印刷費を入れて月50万の収入を得ていた。
大阪では、ちょっと豊かに暮らしていたライター&エディターだった。

今は床の上に置かれた少ない本のなかで、貧乏お婆の独り暮らしだが……
創作活動のキーパンチと内職の針仕事。
のろのろ走りになったが(フルマラソンを体験しているので)今もジョギングとウォーキングを続けている。
体操やヨガの運動教室に通っており、今月(3月)からちょっと贅沢なフィットネス施設にも通い始めた。
能登の身内がWOWOW視聴とスマホを与えてくれた。毎日テレビ画面で映画を観て、スマホで大阪の友人・仲間&石川県の友人・仲間とラインメール。
ネコの優吉(大阪から一緒の家族)と、毎日メールか電話でお喋りしている隣り町の友人。定期的に電話がかかってくる大阪の友人・仲間。
生活支援してくれる大阪の実兄と能登の身内。

自由で多忙で……幸せな日々を過ごしている。
どでかい書棚にズラリ本が並んでいる室内環境に今も憧れているが、本は少なくても大して支障はない。今の時代、調べたいことはネットで検索できるし……。 




#わたしの本棚

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