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「帳合」の文化


見出し画像はCopilotを使用して、作成しています。


「帳合」ってご存知ですか。

最近、社長さんやMAコンサルの経験がある方と、MAについてお話する機会があり、その中で「帳合」の話になりました。


平たく言うと、「帳合」は、ある日本的商習慣のコトを指しています。


関連記事として、MAに関して挙がった内容についてもまとめています。


仲介なり、FA(フィナンシャルアドバイザー)なりで、MAの局面に関わるとなると、年齢や経験に関わらず、ビジネス全般に関しての知識が不足していると、現実問題、相手にされなくなってしまうので、こういう社長さんや個人事業主の方と話す機会は、大切にしています。


「帳合」に関しては、実は、日常生活を送る中で、その日本的ビジネスの慣習を感じえる場面がたくさんあります。


さて、本題。




「帳合」とは?


とにもかくにも、まずは、「帳合」という商習慣は何ぞや?って所から、分かりやすく説明していく必要がありますね。


そこで、

帳合について、Chat GPTに聞いてみた。

日本型ビジネスの慣習である「帳合」(ちょうあい)は、主に流通業界で見られる独特の商慣習を指します。製品の取引においてメーカー、卸売業者、小売業者がそれぞれの役割を持ちながら、保たれる分業制度を指します。卸売業者は、商品の仕入れや在庫管理、配送、売上計上などを一手に引き受け、小売業者は主に販売に専念します。これにより、メーカーは生産に集中でき、小売業者は販売活動に注力できるというメリットがあります。しかし、近年では直接取引の増加やデジタル技術の進展により、帳合の役割も変化しつつあります。それでもなお、帳合は日本の流通における重要な要素の一つとして残っています。

Chat GPTより一部改変


帳合とは、日本のビジネス、特に流通業界で一般的な分業制度の事を指しています。

日本では、製造機能を持つメーカー(食品、飲料、化学品など色々な種類がある)、流通機能を持つ卸売企業(広い意味では商社の機能)、販売を請け負う小売企業(コンビニやスーパー)という形で、

製品が製造されてから、消費者の手に届くまでに、これだけ多くのステークホルダーが関わり、コストが上乗せされ、利益が抜かれているという訳です。


要は、

この分業体制の構造こそが、「帳合」という訳です。


例えば、消費者視点で、水を買おうと思った時に、どこで買おうと真っ先に考えるか?

近くのコンビニや、自販機を想像した方が多いのではないでしょうか?

伊藤園のお茶を買おうと思ったときに、伊藤園から取り寄せようとか、直営店に行こうとか思う人は少ない。(というか、いないだろう。)

味の素の食品を買おうと思ったときに、味の素の直営店に行こうとか、味の素専門のショップを思い浮かべる人は少ない。(というか、いないだろう。)

って感じで、日本では、モノを購入しようと思ったときの選択肢は、小売店or ECサイトのいずれかに絞られてくるのではないだろうか。


軽ーく調べてみると、こんなにコンビニ文化が発展しているのは、日本くらいみたいですね。

自分の経験を挟むと、

ロンドンに留学行ってた事があるんですが、Tescoっていう日本で言うコンビニ機能に近しいショップで、日用品を購入してました。

このように、海外にもコンビニに近しいショップが存在するにはするんですが、その数をセブンイレブンだったり、ローソンだったりと比較すると、勝負にならないくらいに少ない。

これだけ、製造から販売までの分業の商習慣が発展しているのは、世界でも日本くらいだよねという顕著な例ですね。


Apple製品を購入するにしても、ビックカメラなどの大手家電量販店で購入しようと真っ先に考える方が、日本では多いのではないでしょうか。

一部のこだわりがある人を除いては、絶対に直営店じゃないと嫌だ!って人は少数派で、ここでも購入の窓口は、小売店or ECサイトのいずれかに絞られてくる。


ここまでの話をまとめると、

日本では、それぞれの得意を持ち寄って、製造から販売までの商流を分業で担当するのが、商習慣となっている。

過激な言い方をすれば、必要がなかったとしても、分業制を敷いて、利益を分配する。


一方で、アメリカに代表される海外の商習慣を考えると、製造機能も、流通機能も販売機能も、メーカー側で内製化しようと試みる。

自社の不得意な領域であったとしても、内製化を目指すがゆえに、垂直型のM&Aの件数も多くなる。
(※垂直型に限らず、自社で全て完結させようとする商習慣ゆえに、M&Aが盛んなお国柄で、アメリカはM&A先進国と言われている。)

海外において、コンビニ文化が根付かないのも、Appleに代表される直売店での購入が多いのも、こうした背景に裏打ちされている。

全部、自社でやって、利益も総取りしてしまおうというのが、アメリカの商習慣と言える。


ここまで、日本の「帳合」の商習慣を、アメリカに代表される海外と比較して説明してきましたが、どっちが結局良いの?って話をここからはしていきます。




どの視点で見るのかで、良し悪しが変わってくるという話


この良し悪しに関しては、一長一短で、誰目線で見るのかっていう部分で、大きく価値判断が変わってくる。

例えば、0→1でビジネスを立ち上げる起業家的視点で見ると、帳合の良い部分が目立つ。

小売店は、モノを販売する機能を持っていさえすれば良いので、負担するべきコストがほとんどない状態になるため、立ち上げが比較的容易になる。

メーカーが抱える在庫を自分らの手で売らせてくださいって形で営業をかけて、売れた分だけ、決められた利率で、売上をメーカーに還元すれば良い。

まずビジネスを立ち上げようとしたときのボトルネックとして、初期の設備投資が挙げられるわけですが、この初期コストが最もかかってしまうのが、メーカーのような製造機能。

その点で、帳合という文化のために、製造機能を持たずして、ビジネスを走り出せる販売店や代理店が受容されやすい帳合の土壌は、事業の立ち上げ目線で言うと、非常に良い文化に見える。



一方で、例えば、その代理店で働く社員や、事業のグロース目線、利益率目線で見ると、どうだろうか。

メーカーとの交渉次第ではあるが、代理店という建付けでは、売上の大部分を製造元に吸い取られる構造になる。
売上の半分で済めば、御の字と言われるレベル感の相場なのである。

そうなってくると、営業をかけている社員への還元率は低くなるのが必然であるし、利益率は上げにくくなり、現状以上に事業をグロースさせるのが難しい。

考えられる解決策としては、”数”を増やすという策に終始することになる。

則ち、薄利多売的なビジネスモデルにして、いかにたくさん売ることが出来るかというゲームの枠内で勝負する事になる。

数を増やすことには限界があり、社員の勤労意欲という意味合いでも、帳合には若干の行き詰まり感がある。

この見方で言えば、帳合の悪い部分が表立って表出してくる。


こんな感じで、

日本的な「帳合」という美徳は、一長一短で、良し悪しがあるよねという話でした。

個人的には、日本の伝統的な分業制に支えられた商習慣に美徳を感じたりもする訳ですが(帳合によって、一定数雇用が守られている)、

それによって、本来自分の懐に入っていたはずの利益が失われているという見方も出来るわけですね。


以上、「帳合」の文化に関する話でした。



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