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■いくつになっても上司は上司


50歳ともなると友人が大学教授になってくる年齢なので、準教授や講師とも気軽に話せるようになりました。ですが医局制度で育った私にとっては、若手医師が教授、准教授、講師、医局長や部長と気兼ねなく話しているのを見ると、うらやましくもあり腹立たしいものです。なぜなら私が若手医師の時は、教授や1年でも先輩に出会うと背筋はピンと伸び、微動だにしなくなっていたからです。そうしなさいと教わったのもありますし、教わらずともしているのもあります。

そういった姿勢を取ってしまうのは、やはり論文や学会発表を始め育てていただいた恩と、リスペクトから来ているものに他なりません。そしてこういった感情と言うのは、むしろ年齢とともに感謝の念は強くなっていきます。そのため、現在の教授たちとは気軽に話せても、かつて教授だった方たちとは未だに気軽には話せずにいます。

コロナ禍になったばかりの頃ですが、私は医局から人員不足で依頼されたコロナワクチン接種会場に赴いていました。そこで私は、コロナ接種に来たと勘違いされている、かつての上司の顔を見ずとも雰囲気で察すことができました。「○○先生、医師の待機所はこちらです」と、朝早くから呼ばれて気乗りしていなかった私ですが、上司を見ると即座にスイッチが入りました。そして、
「あいつ私をワクチン接種に来た者と勘違いしておったぞ。注意しておけ!」
「ホント、とんでもないやつですね。しっかり注意しておきます」
ご立腹の上司に対して、私はゴマをすったものでした。

■私が若手医師の頃の上司との関係


歴代の上司に散々ダメな私を育てていだいた恩もあれば、怒鳴られ、ゲンコツ、書類を投げつけるといったバイオレンスな上司への思いもあります。今の時代では、それは育てているというのではなく、アカハラと言われたり、パワハラと言われたり、ハラスメントに引っかかる行為ですが、私が若手の時はそれが当たり前でした。

「いいか。上司と食事に行ったときには、注文を聞いて覚えておいて、若手が言うのだ。そして、上司を待たせてはならない。絶対に上司より先に食べ終えてから待つのだ」
つまり上司より後に食べ始め、どんなに早食いの上司がいたとしても、上司よりも早くに食べ終えなければいけないということです。上司は、好きなものを食べろと言うのですが、素早く食べられるものと言えば、チャーハンぐらいしかないと初めは思っていました。しかし、同僚から、「●●先生と▽▽先生は麺類を頼むと、伸びちゃうから先に食べていいって言うから麺類頼むといいよ」と教えてもらい、麺類は落ち着いておいしく食べられる術を代々若手医師は受け継いでいっていました。

飲み会では、教授に真っ先にビールを注ぐ。挨拶の拍手の仕方と乾杯の流れはこうだぞと教わり、教授から注がれるビールは生ぬるくなるけどそういうものだと教わる。医局会でお酒が入ると、医局長はくだをまくから早めに酔いつぶすために、何度もお酒を注ぎに行くのだと、色々なことを教わったものです。

■今と昔の上司と若手医師の関係


そんな過去があるので、いまだにかつての上司に会うときにはド緊張するわけです。話すことも、たどたどしく要領を得ない。そしてまた怒られ、上司が怖くなる。その繰り返しで、身体に浸み込んでいくものがあります。だからこの歳になっても怖いまま。

それに比べて今の若手医師は、プライベートは仕事と別だからと仕事でしか接しない。私たちのような、上司との飲みの席がほとんどないわけです。きつい言葉での説教もありませんし、もちろんげんこつもありません。上司に恐怖を抱く必要はそれほどないとは思いますが、恐怖政治の中にも光るものはあります。そして、その光が上司へのリスペクトへと変わるのです。

だから今の若手医師が目上の医師に緊張しないのは、悲しいことだなとも思うのです。

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