旅野ユウキ

反骨精神 捻くれ者なりの矜持を述べています

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最近の記事

なぜ私個人が人類滅亡を望むのか再考した

昨日の深夜勢いで書いたことを再考してみた。 前提として私は普遍的に評価されるものに価値を置いており、コンテンツ主義である。唯美主義者である。 コミュニティは、何かしらのコンテンツ(キャラクターというかタレントとしてのヒトやモノ)を中心に成り立っている。私自身は純粋にコンテンツを楽しみ進出させ普遍化させることを目的としているが、実際のコミュニティの真の目的は友愛であり、コンテンツの天下統一は軽視されるようになり組織内の狭い世界で完結しニッチとなる。 そのうえ、コンテンツはいく

    • なぜ私個人が人類滅亡を望むのか

      言ってる事が無茶苦茶なのは重々承知で。 空想上の自分の家族を不老不死で生殖能力のない人造人間として実体化して、私もろとも旧人類は滅んで代わりに家族だけで半永久的に生き続けていつまでも幸せに暮らし続ける世界に変えられたらいいのにとか思ってる。 サークルとか人脈とかクソ過ぎる。 音楽だとか絵だとかコンテンツそのものは面白くてもやってる人間に興味が持てない。 面白そうだと思って入ってみても実際、「友達」という興味無い他人と嫌いな他人がきついテンションでよくわからない内輪ノリだか

      • 夢は追い求めるよりも見たり与えたりする方が人を幸せにしますか?

        夢は追い求めるよりも見たり与えたりする方が人を幸せにしますか? 例えば消防士になりたがる子供は幸いだし、消防士は夢を与え誇りに思います。しかし追っている間は苦悩し、自己実現してやっと幸福を掴みます。自己実現してもつかめないこともあります。夢を追って行きつくところはあくまで自己実現であって幸福とは限らないので、夢の本来の「用途」としては「幸福になるため与え受ける」のがずれているのは理解しています。 ここでは「夢を追う」とは夢を目標化・計画建てするということで、「夢を見る」と

        • マザー・テレサは悪魔か?

          マザー・テレサ、彼女は言わずと知れた博愛主義者だが、サイコパスとも言われている。 死の恐怖を和らげる心の救いを求めるのか、延命する問題解決を求めるのか、その違いで彼女は天使にも悪魔にも見える。 最終的に問題解決できても心は傷付き晴れないこともあれば、心の救いがあっても問題は解決せず実際には不利益を被ることもある。 結局は人生心の持ちようなので、心の救いの素晴らしさ、有用性は否定しないが、できるだけ問題解決が優先で、心の救いは補助である方がいい。でないとわだかまりが残る。

        なぜ私個人が人類滅亡を望むのか再考した

          意欲的で汚い大人と無害だが何もしない人

          当たり前にバイトやサークル活動を行う意欲と社会性を持ちながら、合法ドラッグとか深夜徘徊、イッキ飲みなど危険なものに何の疑問も持たず楽しむ、ませた同世代の若者が怖い。 自分達はやること意欲的にやってる大人なんだし法に触れてないならどんな汚い事しても良い、狡くて汚いことでも意欲的にするほうがずっと良い、無害だが与えられた必要なこと以外何もしないのは悪だ、という人が身近にいると近寄りたくない。何も悪い事してないのに責められる気がして。それでいて向こうはコミュ力高い口達者で自分は口

          意欲的で汚い大人と無害だが何もしない人

          正論なら何を言ってもいいというインターネットに蔓延る風潮が苦手

          正論なら何を言ってもいいというインターネットに蔓延る風潮が苦手

          フラットアーサーの受難について

          初めに、私は地球球体説論者である。球体の方である。何を当たり前の事を言っているのかと思う方が大半だと思うかもしれない。 フラットアーサー(地球平面説論者)は正論によってしばしば迫害される。 私はあくまで球体説論者だが、正論なら何を言ってもいいというインターネットに蔓延る風潮が苦手なので敢えてフラットアーサー寄りの中立の立場を採る。 目視で確認してもいない人間が球体説を唱えるのは体験ではなく教育に基づくから。 世界一周しようとしたフラットアーサーの夫婦がいた。習ったことを

          フラットアーサーの受難について

          「不倫女が親権を取りやすい」に対する返信

          YouTube上の動画のコメント「不倫女が親権を取りやすい」に対する返信です 親権は親のプライドの為ではなく子供の為にあるものです 親のいざこざや道理やプライドよりもとにかく子供をなるべく幸せに生かす方が優先だから。より直接的に育てている傾向のある方が選ばれる。 経済的に考えれば非合理的だが、子供は金と教育だけ与えれば勝手に育つものじゃない。愛情と適切な躾が必要 制度のみならず子供の意思を考えても、子供もより愛情を受けられる方を信頼しついていくことでメンタルの悪化を抑

          「不倫女が親権を取りやすい」に対する返信

          表現主義ちゃんの苦難

          ▼この動画を観ての感想をまとめました。 https://youtube.com/shorts/jlkIqEF_jtk?si=NUGpTAtBmXWVUA_K 皮肉かな。 私は表現主義ちゃん寄りなのよな。 仮に表現主義ちゃんがアーティストになったとする。 自己表現をしたがる表現主義ちゃんは、消費者と生産者の間の需要と供給の関係から爪弾きにされる。 なぜならこの関係は理解者を求める自己表現でなく、快楽に訴えかける便利なエンタメで成り立っているから。 つまり表現主義ちゃんに

          表現主義ちゃんの苦難

          エンタメとアートの違いについて考えた2

          エンタメとアートの違いについて考えていたら、自己表現という別の要素を見つけた。しかし、考えていくと自己表現も2つに分かれることが判った自己表現は「個性の追求」と「メッセージ性の追求」に分かれる また、価値観は個性の一部だがメッセージ性に係るものだと判った。 つまり創作は四要素の配分で成り立っている エンタメ 人を楽しませる →人の喜びから喜びを得る 例 エロ漫画 アート 美を追求する →高みを目指す 例 ルネサンス絵画 個性の追求 自我の追求、他との差別化 →自尊心の向

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          フォロワー減ってる🥺

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          「少年の日の思い出」から考える悪党の美学

          ヘルマン・ヘッセ著の「少年の日の思い出」を知っているだろうか。中学校の国語の授業で読んだ人も多いのではないだろうか。有名なので粗筋は割愛する。 よく、主人公とエーミルのどちらが良いかという議論になる。社会通念的に考えればエーミルが正しいのでそちらを選ぶ人が多いが、私は何か納得いかなかった。「主人公が余りにも可哀想じゃないか」私はその直感を捨てきれずに生きてきた。当時私が彼の立場だったら彼同様哀れなまま自責し続けて終わっていただろう。 しかし今は違う。 主人公わざわざ自分

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          専業主婦の意義

          YouTubeの動画へのコメントにて書かれていた「専業主婦は寄生虫だ」という主張に対する私なりの反論です。 述べても理解を示していただくつもりが端から無い方は居りますから、そういった方は閲読をお控えください。 「寄生虫」って呼んでるようだから専業主婦の意義について考えてみた。 家事は昔より仕事量が減ったが育児の問題が無視できない。 子供は飯食わせて生かしてやれたらそれだけで良いってもんでもない。特に子供が幼いうちは。 育てなきゃ意味が無い。 子供が将来十分生活できる

          専業主婦の意義

          巨匠でさえ新人に嫉妬する 嫉妬を抑えるのは良いこととは限らない 自分の気持ちを否定することだから 出来るだけ自分の欲望に忠実でありたい 嫉妬を糧にできる人間でありたい

          巨匠でさえ新人に嫉妬する 嫉妬を抑えるのは良いこととは限らない 自分の気持ちを否定することだから 出来るだけ自分の欲望に忠実でありたい 嫉妬を糧にできる人間でありたい

          デカルト的内向型人間

          私のような人間は捻くれ者と呼ばれるのでしょう デカルトが「我思う故に我あり」って言ったように、この世が仮に仮想世界だとしても結局一番信じられるのは私が「こう感じている」という事実だと思う。そして私の意識は私にしか宿らない。だからこそ自分の感じ方や思いが自身にとって一番大事。 だから自身勝手って言われちゃうのかな 自我が強いと人間関係が面倒臭くなる 表面上は周りに合わせてるけどそれも限界がある 自意識を重視する考えは空想にも及ぶ 現実は目を瞑る間だけは目の前から消え

          デカルト的内向型人間

          表現者の心構えを考える

          ※全て私の感想です 不快に思われる方は閲読をお控えください アーティスト気取りのエンターテイナーは好きじゃない しかもエンターテイナー名乗ってる癖に仲間内で馴れ合いばっかりしてエンターテイナーですらないのはもっと嫌 仲間内なら趣味と割り切れ もうこれからはそういう馴れ合いはしないし、私はエンタメよりもアートを作りながら生きる よく「作者と作品は別物」と言われるけどそれは違う。特に自分の意思で作ったものは。 他人からしたら作品の外見しか見えない。しかしそこには作者の

          表現者の心構えを考える