フラットアーサーの受難について

初めに、私は地球球体説論者である。球体の方である。何を当たり前の事を言っているのかと思う方が大半だと思うかもしれない。

フラットアーサー(地球平面説論者)は正論によってしばしば迫害される。
私はあくまで球体説論者だが、正論なら何を言ってもいいというインターネットに蔓延る風潮が苦手なので敢えてフラットアーサー寄りの中立の立場を採る。



目視で確認してもいない人間が球体説を唱えるのは体験ではなく教育に基づくから。

世界一周しようとしたフラットアーサーの夫婦がいた。習ったことを鵜呑みにせず検証するという点では素晴らしい。

しかし習ったことよりも実体験を大事にするなら球体説でも平面説でもなく「実際はどうか分からない」で割り切るべきではないか。

しかし正直地球が丸かろうが平らだろうが生活に関係ないから、教わった球体説を信じ、処世術として丸いと考えて周りに合わせるのは決して悪くないと思う。


平面かどうかなんて正直どうでもいいのかもしれない。敵が強大であればあるほど同胞意識は強くなり、自分達を特別だと感じる。それを利用してるのものの一つがフラットアーサー。

多分彼らは人一倍お互い仲が良い。平面説は幸せを築くためのただの道具かも。

仲間をつくり特別な存在でいたいのは何もおかしい事じゃないけど、悪に仕立て上げられた側はたまったもんじゃない。だから迫害されてしまう。


深く論理的に考えたこともなく情報を信じ込むだけなら、球体説と平面説のどちらを信じても同じような事。

必要なのはアンチコメでも論破でもなく不必要に衝突せず共生するメタ的視点。

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