デカルト的内向型人間
私のような人間は捻くれ者と呼ばれるのでしょう
デカルトが「我思う故に我あり」って言ったように、この世が仮に仮想世界だとしても結局一番信じられるのは私が「こう感じている」という事実だと思う。そして私の意識は私にしか宿らない。だからこそ自分の感じ方や思いが自身にとって一番大事。
だから自身勝手って言われちゃうのかな
自我が強いと人間関係が面倒臭くなる
表面上は周りに合わせてるけどそれも限界がある
自意識を重視する考えは空想にも及ぶ
現実は目を瞑る間だけは目の前から消えるもの
残るのは思考と現実から得られた記憶
空想は思考が生み出したもの
だから空想は目を瞑っても消えず意識の中に残る
少なくとも自分の意識は確実に存在する
だから私にとって空想はある意味真実
現実が全て偽物だったとしても、空想は確実に意識の中に存在する
そういう意味で空想は現実に対しては嘘だが偽物ではない
確かに私の中にあるもの
生存確保できる環境では私のような人間にとって現実は大きな意味を成さない
自分が何を感じ何を考えるかが一番重要だ
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