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なぜ私個人が人類滅亡を望むのか

言ってる事が無茶苦茶なのは重々承知で。

空想上の自分の家族を不老不死で生殖能力のない人造人間として実体化して、私もろとも旧人類は滅んで代わりに家族だけで半永久的に生き続けていつまでも幸せに暮らし続ける世界に変えられたらいいのにとか思ってる。

サークルとか人脈とかクソ過ぎる。
音楽だとか絵だとかコンテンツそのものは面白くてもやってる人間に興味が持てない。
面白そうだと思って入ってみても実際、「友達」という興味無い他人と嫌いな他人がきついテンションでよくわからない内輪ノリだか玄人受けだか知らん馴れ合いとかやってるだけ。いくら大衆受けを狙っても結局馴れ合いという楽なところへ行き着く。

こういうのが世の中にはごまんとあって、有名なコンテンツでさえも同じものを世界の大半の人間が享受しているわけでもない。世界一有名と言われる聖書の内容でさえも人類全員が知っているわけじゃないだろう。どこまで行っても井の中の蛙。いくら偉くなったって誰も私を知らない。特別にはなれない。価値を大勢の他人に求めたって風が吹けば揺らぐ軽いもの。

でも確かに誰もが知る普遍的なものがあって、私はその普遍的なものに価値を置いてる。それは愛とか快の感情だと思う。私は博愛を信じてないけど、家族愛は信じてる。

博愛主義は私を地球の塵にする。夜の光を構成する一つの光に過ぎず、宇宙船地球号の一員であると。群像劇のある一幕であると。知らねえ。確かに地球で生まれたがそんなPTAだか町内会みたいなやつに参加するつもりはねえ。誰一人取り残さない社会?知らねえ。勝手に連れて行こうとしてるだけじゃん。勝手に振られる番号の価値も信じねえ。あたしゃそんなこたどうでも良い。

私が特別になるには、愛されるには、ご近所さんなぞ要らん。家族さえ愛していたい。それも自分が選んだ家族を。
そんな空想の家族の団欒に私自身は要らない。私が消えなきゃ完成しない。私はただ神の視点で見ていたい。私の子供達が永遠に幸せな世界ならそれでいい。

要は他人が嫌いだ。自分の子供だけでいい。

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