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他人軸の完璧主義は危険


・完璧にやっていけば必ずできるようになる

YouTubeでとあるバレエの先生が
「私のレッスンのときは完璧主義でいて!一個ずつ完璧にやっていけば絶対できるようになるから!」
と言い切っていました。

世の中的に完璧主義はやめろと言うことの方が主流になってきているように感じていますが、私は一概にそうとは言えなくない?とずっと思っていて、なんだかその言い切りがとても清々しく感じました。

・完璧主義の種類

完璧主義についてしっくりきた解釈として

「単に自分や他者に完璧を求めること自体は、本人にはそれほど害はないようです。一方で、“他者から完璧な自分を期待されている”という社会的プレッシャーを本人が感じていると、それはうつや不安などの辛い体験につながりやすいようです。」

https://jwu-psychology.jp/column/post-18.html

というもので、自分がどうしたいか、どうなりたいか、そのためにどう頑張るのか、自分との約束破ったらその次どうするのか、全部自分で決めて、自分で自分を適度に許して、自分で責任取っていければ心も体も病まずに前に進められる。

そして、他人とか世間体とかに軸を置いていればどんどん自分を失っていくので、病んで落ちていくのだろうなと腑に落ちました。

・子育てにより「自分で決められない」人が量産されている

一方で子育てを学ばずに大人になっている親は大半を占めており、親側に全く悪気はないんだけど過干渉だったり失敗を経験させられないというパターンも多く、自分で決めることに勇気を持てない人も量産されているのだろうなと思います。私も自分次第だと心の底から思えたのはここ数年な気がします。

・意見が「言えない」のではなく無意識に「言わない」

自分の外に軸がある間は、日々行うコミュニケーションが「他者へのお伺い」が前面に出てしまうのでどうしても自分の意思は薄くなります。ただそれは自分の意思や意見を「言えない」というふうに捉えるよりは「言わない」を無意識に選択せざるを得ない価値観に翻弄されていると捉えてみた方がアプローチが見えやすい気がします。

・やるべきことは自分と向き合うことに尽きる

というか、何かを変えたい、変わりたいときのアプローチは自分や利用者さんを含め誰に対しても、少しずつ過去の経験やそこで感じた感情を紐解いて全体像を理解することにつきるし、それを理解するプロセスを経験するだけで、枝葉の悩み事は9割解決するのではないでしょうか。
大学時代、先生がひたすらに全体像モデルを推していた理由がわかります。


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