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振り返って見た道は

2020年元旦。引いたおみくじは夫婦そろって「凶」だった。

予兆は前年の暮れに起きていた。noteでも何回か書いたように、妻が、年越しの1カ月ほど前のある日を境に歩けなくなった。近所の整形外科からは数週間で治ると言われたが、年が明けても快方に向かう気配は一切なく、むしろ世間の閉塞化に先んじるかのように家からは出られない日々が続いた。

度重なる通院と検査も虚しく、片足を引きずってベッドと食卓を往復するばかりの毎日。手足まで痛んで一日中寝ていることも少なくなかった。

春に上のnoteを書いたぐらいからは、ゆっくり、本当にゆっくりだが回復の兆しを見せてきた。それでも最近になるまで一人で外出なんかできなかったし、階段もまだ一人では上がれない。エレベーターのないマンションに住み続けられるわけもなく、夏を前に大切な二人の部屋を解約した。

椅子にずっと腰掛けているのも難しいから、夏には5年間勤めた会社を退職した。8カ月ほどの休職期間を経て二人で下した決断。もしかしたら二人で出勤する最後の朝になるかもしれないと、自宅の前で並んで写真を撮った。

妻は前日、緊張と不安で明け方まで眠ることができなかった。交わす言葉少ないまま地下鉄に乗り込んだが、体調を崩して途中の駅で降りた。這うようにして会社にたどり着き、何とか無事に5年間の清算をした。

引越しに続く形で相次いだ大きな別れには、そこそこのエネルギーを要した。前進ではあったもののどこか足枷を外したような感覚が拭えなかった。


一方のぼくはというと仕事で大変なミスをしでかし、夏以降は本当にデスクに向かいっぱなしだった。

ミスを正すための至急対応。全部自分のせいだからどうしようもないのだが、ただでさえ業務が嵩んでいたのに輪をかけて繁忙度が増した。周囲のメンバー、社内の関係者、社外の取引先等々には多大な迷惑をかけた。

だが弱り目に祟り目とはまさにこのことで、ミスは1回で終わってくれなかった。正確には、ミスの訂正範囲を見誤った。見落としがあったのだ。

これにはもう自分の腑抜けさに胃がやられた。1カ月かけて行ったリカバリー対応をもう一度ゼロからやり直すことになった。当然一人で何とかできるわけもなく、周囲のメンバーにもまた時間を割いてもらうことになった。それが余計に心苦しくて、精神的な負った深手は一生消えないぐらいには痕を残した。本当に、画面越しに何度頭を下げたか覚えていない。

再発防止策の検討、策定について社内のオーソライズが取れたのはつい先日のこと。通常業務も並行しながら、四半期をまるごとリカバリーに費やしたことになる。恵まれた職場なので優しい言葉をかけてくれる人が多かったのは本当に救いだったが、不甲斐なさを噛みしめ続けた3カ月だった。


起きた出来事をどう捉えるかなんて人それぞれだ。この世には下り坂の数だけ上り坂がある。それに、下り坂が歩きやすいと言う人もいれば、上り坂をしんどいと感じる人だっている。

だがぼくと妻にとって、この一年は感染症の話を抜きにしても下り坂だった。少なくとも平坦な道のりではなかった。

おみくじは当たったのだ。何年か前、年を越しながら飲んでいた友人と一緒に引いたおみくじに「酒を控えろ」と書いてあったから最初は信じていなかった。でも外れるわけがなかったのだ。15年以上年越しの瞬間を共にしている鶴岡八幡宮のお告げが。


今ぼくらが立っているこの道は下り坂だろうか。上り坂だろうか。それともやはりそんなこと考えるだけ無意味なのだろうか。


今、妻の容態はだいぶ良くなった。先月書いた下記のnoteでは、ここで親しくしてもらっている方々から温かいメッセージをたくさんいただき、本当ありがたく、嬉しかった。言葉のぬくもりに感謝してもし尽せないぐらいに。

腰の痛みに何か関係するのか、妻は頭痛をはじめ体調を崩すことも多かったのだが、最近はそれも減り、笑っている時間が増えた。言い間違い語録の数もうなぎのぼりだ。今日も、ピアノを1曲満足に弾き終えた途端、横で聴いていたぼくの方を向いて「スタンディングフォーメーションは!?」と拍手喝采の代わりに謎の陣形形成を促してきたぐらいには好調が続いている。

それに、先週は妻が人生で初めての懸賞に当たった。しかも1等。確率的には割と当たるものではあったようだが、ハガキ一通への返事がこんな風に返ってくるなんて思ってもいなかった。家族一同で声を上げて驚き、喜んだ。


その翌日は、ぼくにも良いことがあった。キリンビールが主催していたnoteの #私の晩酌セット の企画で審査員賞に選んでいただいたのだ。

投稿したnoteは、いきつけのお店でいつも楽しんでいる「和え物」を本当に手を掛けずに作ったときのお話。いつもどおり好きな日本酒を呑みながら書いていたので、走る筆も軽やかだった。日本酒を心から愛する身として、こちらの企画で受賞できたことは忘れられない思い出になった。

行きつけのお店の大将、山梨銘醸さん(飲んでいた日本酒「七賢」の蔵元)、しいの食品さん(和え物に使った酒盗のメーカーさん)、そして選んでくださった今井さんにこの場を借りて改めて感謝を申し上げたい。


そんな感じで、年の瀬には妻にもぼくにも良いことが訪れた。まもなく新年を迎える時期にあって、幸先が良いと少しぐらい思っても許してもらえるだろうか。

でもよく考えると、noteでは楽しいことや嬉しいことばかりだった。

2月に友人から教えてもらって軽い気持ちで始めた。すると2回目に投稿した下記の記事をヤマシタマサトシさんの「今月のイチオシnoteクリエーター」にピックいただいて、自分の書いた文章が思っていた以上に日の目を浴びることになった。まだ始めたばかりで何が起きているのか正直よくわかってなかったのだが、とりあえず嬉しくて小躍りしたい気分だった。

同じぐらいの時期に、今もアートとして唯一続けている「折り紙」について書いた記事もたくさん読んでいただけたり(来年の「丑」、折ったよ!)。

アイコンをこのナマケモノからずっと変えられない理由について書いたら、これまた温かいお言葉を多くの方からかけていただいて、ぼくはもちろん妻が喜んでくれるのが何より嬉しかったり。

小さいころ買っていた猫に向けて手紙を書いたら、思いもよらず母親を号泣させてしまうほど家族から感謝をされたり。

入谷さん主催の私設コンテスト #磨け感情解像度 で、佳作に選んでいただくという僥倖に巡りあったり(これは自分の10年分の思想をまとめにかかった文章なので、本当に嬉しかった)。

Micaさんメイルさんの音楽noteに感銘を受けて、何年ぶりかにiPodを充電してバンプのアルバムをフルで聴いたら、エモくてエモくて仕方がなくなったり(またお二人のnote読んだら熱くなってきた!)。

noteでお会いした方々の美しい文章を見ていたら自分も少し殻を破ってみたくなって、いつもとは違う言葉選びに頭を使いながら、ちょっと物語風にエッセイを本気で書いてみたり。

note同人誌マガジン《東京嫌い》を購読して楽しく帯を書いてたら、そのうちの一つにふみぐら社さんから賞をいただいたり(このマガジンの作品は、同じテーマに対してどれも全然違う角度から示唆を与えてくれるのが面白くて仕方なかった)。

たまに書くこんな感じの真面目な考察に対しても、しっかり読み込んでコメントをくださる方がいてくれてしみじみ嬉しくなったり。

マリナさんあきらとさん#呑みながら書きました にわいわい参加して楽しく書いては、妻のへんてこだけど良いところを改めて見つけられたり。

他にも、冒頭で紹介した妻のことに関するnoteに対して温かい言葉をたくさんの方からいただけたり。ここには書ききれないけど、noteだけでなくTwitterも含めて色々な方と交流させていただく中で楽しく優しい時間を過ごさせてもらったり。




なんだ、良いことたくさんあったじゃないか。

今ぼくらが立っているこの道は下り坂だろうか。上り坂だろうか。それともやはりそんなこと考えるだけ無意味なのだろうか。

どうやら無意味ではないらしい。だって今この3,000字を書ききる間に、ぼくが振り返って見ていた道の勾配は変わったみたいだから。


書くことは、撮ること読むことは、新しい生を育む営み。

読むにも書くにも、言葉の力を改めて実感する一年でした。ありがとうございました。来年も楽しく書いて、読んで、お話できたら嬉しいです。

皆さま、よいお年をお迎えください。


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