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借りパク奇譚(16)

"特殊な状況"? 確かにどの参加者の話もいささか奇妙ではあったが。ただ「偶然という名の必然」。その言葉には言い知れぬ説得力があった。それが声質なのか、トーンなのか、響きなのかわからない。ただ、その言葉がおれの胸に静かに浸透していった。

「いったん、話し合いはここまでとします。皆の話を聞いて各々考えを巡らせたこと、それが何よりも重要です。私が先ほど問いました、返したいと思うか、思わないか、それに正解はありません。答えはそれぞれが育んで下さい。ただ、『懺悔の門』の門番だからこそ見えてきた風景というものがございます。『智慧の儀』の最後に、一般的な "借りパク" について、少しだけ門番のたわごとをお聞き下さい。皆様の理解が深まれば幸いです。

ある世界に一人の少年がいました。普段大抵オレンジ色の服を着ているその少年は、腕っぷしが強く、暴れん坊で、いつも周囲に対して威張り散らしています。少年はある時言いました。『お前の物は俺の物。俺の物も俺の物』」

ぷっ。

おれは思わず吹き出しそうになる。まさかここで「剛田武」とな。またもや登場した「たけし」におれは必然を感じざるを得なかった。

「彼はこうも言いました。『いつ返さなかった? 永久に借りておくだけだぞ』。とても邪悪な言葉です。実に恐ろしい。ただ……結果的に皆さんはそれをしてしまいました。もちろん皆様に初めからそのような心があったわけではないのはわかっています。しかし、誰しもが持っている緩慢な心、それが借りパクを招いたのです」

皆が鎮まり返る。

「そもそも人はなぜ借りパクをしてしまうのでしょうか? 今回は少しそこを掘り下げてみたいと思います。私が見てきた限り、" 借りパクされてしまうもの" というのは『本』や『CD』『DVD』『ゲームソフト』などがその大半でした。これらに共通する特徴として、気軽に貸し借りができ、値段も比較的安価というものがあります。だから返さなくても、借りた側の罪悪感が低く、また貸した側も何がなんでも返してもらおうという気持ちが薄いようです。結果、借りパクが成立してしまうのです。

原因は他にもあります。思い出して欲しいのですが、例えば人から本などを借りる時、あなたは本当にそれを借りたいと思ったでしょうか? もしそうでなかった場合、それを借りパクしてしまう可能性が高くなります。

こんな話があります。借りる気はないのに強く勧められ借りた本。仕方ないから読んでみたが、内容が全然ピンとこなかった。ただ、返す時に相手から感想を求められるのが億劫で、そのまま借りっぱなしになってしまった。もしくは、借りたはいいが興味がなかったからずっと読む気になれず、かと言って読まずに返すのはまずいと思いそのまま借りっぱなしになっている。

逆はどうでしょう。皆様は、借りパクされた経験もあるとのことですが、あなたがそれを貸す時、相手は本当にそれを借りたいと思っていたでしょうか? もし相手がそこまでそれを借りたくなかった場合、借りパクされてしまうリスクはグーンと上がります。

私には6歳になる孫がいるのですが、彼は私に会うと必ず、最近読んだ面白かった『絵本』や『動画』を私にすすめてきます。彼は自分が味わった楽しさを私にも味わって欲しい、喜びを分かち合いたいと考えているようです。先ほどあげた借りパクの対象に『本』や『CD』『DVD』『ゲームソフト』が多いのもこのためです。

ご存知の通り、人というのは喜びを分かち合うことで喜びが増します。この性質は下手するとどこまでも身勝手になってしまう人間の、ある種の救いであると私は信じています。しかし、気をつけなくてならないのはこの一見尊い性質も下手すると簡単にエゴに形を変えるということです。

先ほどのオレンジ色の少年は、自分の歌声に自信を持っています。彼はみんなに良い歌を聞かせようとリサイタルを開きます。しかし、集められた友達は少しも楽しくありません。実際彼の歌声はひどいものだからです。

このように借りパクというのは、借りる側、貸す側、双方に原因がある場合が多いのです。

借りパクを避けるためには、借りたくない場合は断る勇気も必要です。そしてそれができなかったら腹を括ってそれを消化するべきです。逆に誰かに何かを貸す時は、相手が本当にそれを借りたいかをよく考えてからにしましょう。そして貸したものが返ってこなかった時は、ぐちぐち言わず、相手にちゃんと催促しましょう。まあ、相手が返してくれない場合もあるでしょうが、自分にできることをするのは重要なことです。

事実、私たちと「借りる」という行為は切っても切れない関係にあります。私たちはこの世にこの体を借りてやってきました。そして私たちが生きているこの地球も宇宙からの借り物です。私たちはいつか体を返して、地球を去ります。いくらこの世で多くを所有しても、いつかそれを手放します。そう言った意味で、私たちは何も所有できないのです。

その辺を理解し始めますと、所有欲というのがだんだん薄れていきます。どんどん身軽になり、人生はよりパワフルになります。仮に人から何かを取られたとしても、奪われたという被害者的な気持ちも弱まり、心の平穏が保たれるのです。すべてのものは、元々誰のものでもないということが理解できているからです。

最後に私の親友の『佐野』の話をしたいと思います。私は小学生の時、当時とっても大切にしていた図鑑をクラスメートのAに貸しました。いつまでたっても返してくれないAに私は「そろそろ返してくれないか」と言いました。するとAは驚くこと言いました。「君に図鑑など借りたっけ?」。私はあまりにもびっくりして、それ以上言葉を続けることができませんでした。そして、その後Aに図鑑を催促することができなくなってしまいました。

私は何ヶ月も悩みました。私が勘違いしているだけで、私が図鑑を貸したのは別の誰かだったのではないか。そんなふうにさえ考えるようになりました。ところがその後、他のクラスメートがAの家に遊びに行った時、その図鑑を見たという話を耳にしました。私の心がさらに打ちのめされたのは言うまでもありません。今思うと、Aなりの事情があったのかもしれません。ただ、当時の私にはそんな想像力はありませんでした。

親や先生に言うことを考えなかったわけではありません。ただ、当時の私は事が大きくなるのは避けたかったんです。Aはクラスの人気者でした。足も速く勉強もでき、容姿も良かった。Aに図鑑を貸してくれと言われた時、私は少し誉ほまれでした。そんなAを糾弾することは恐怖以外のなにものでもありませんでした。

以来、そのことはずっと私の心の中だけにしまっておきました。ただ、ある時、ふとしたきっかけで私は親友の『佐野』にだけそれを打ち明けました。実際、私はずっと誰かにそれを聞いて欲しかったんでしょう。

「僕がAに言ってやるよ。しらばっくれるならAの親にも言おう」

熱心に話を聞いてくれた後、佐野はそう言ってくれました。嬉しかった。私は佐野の勇敢さや優しさに感動しました。ただ、私はそれを断りました。未だ恐怖があったこともありますが、何より佐野を巻き込みたくなかった。それに、佐野が親身に話を聞いてくれたことで、私の心はその時、随分と軽くなっていたのです。

断る私に佐野は言いました。「わかった。ただ、今日君から借りた悲しみは、ずっと借りたままにしておくよ」

今思うと、小学生のくせになかなか粋なことを言いますよね。正直、私はその時、佐野の言っている意味を理解できませんでした。ただ、今ならそれがわかります。佐野はその時もう知っていたんです。悲しみは、分かち合うことで、それを減らすことができると。

門番のたわごとにお付き合いくださりありがとうございました。以上をもちまして、『智慧の儀』を終了とします」

亮潤様が深々と頭を下げたので、皆もそれに返す形で頭を下げた。

(17)につづく


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