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稗田阿礼の隠された役割り(現代語訳『古事記』では分からないこと 10)
■スピリチュアル天皇の苦悩
『日本書紀』の評伝にも書かれているとおり、天武天皇は今の言葉で言えば、スピリチュアルな人物である。神に語りかけて雷雨を止めたり、天文(これも今の言葉で言えば占星術)を愛好したり。
それでいて、日本の律令国家化を推し進めるなど、現実的な側面も強く持っている。その内面の葛藤と苦悩が『古事記』を生み出す原動力になったのではないかと考えている。実際、冒頭部分は、律令国家化で失われてしまうかもしれない日本特有の神々らしさについて書かれているのだ。
『古事記』の冒頭部分は、ほぼ神名の羅列で、これが何を意味するのか、現代語訳にしてみても、ただ読んだだけではよく分からない。だが、よく分からない状態で天皇に献上されている(しかも編纂者の太安万侶すらその内容を理解していない!)ということは、その分からなさこそが天皇の意図だと考えざるをえない。それは『古事記』の要所を天皇だけが独占し継承するためだったのではないか、ということを前回書いた。
独占と言っても独り占め的なさもしいものではなく、律令国家化という世界(当時の東アジア)の趨勢の中で、いにしえの神々の守護者としての天皇という立場への理解を得ることの困難さからの、秘匿主義(*1)だったに違いない。
世襲とは言え、一夫一妻の安定とはほど遠い当時の天皇家にとって、天皇であることは、創業社長またはオーナー企業の何代目かの社長のように、自分を出せるものではない。むしろ先代の影響を感じつつ徐々に自分の色を組織に浸透させることに腐心する大企業の社長のようなものだったと考えられる。
天皇だからこそ、かえって当時の趨勢とは異なる自分の宗教観を前面に押し出すことは不可能だったのではないか(それは支持者の離反を意味する)。しかしながら、スピリチュアルな人物とは因果なもので、己の信じるものを捨てることはできない。国家の運営者である責任と、祭祀王としての神々への責任との分裂と統合が生みだしたのが『古事記』だったのだと思えてならない。
■考えると奇妙な稗田阿礼の能力
『古事記』の製作に大きな役割をはたした稗田阿礼の役職は舎人である。
舎人は、今で言えば、執事や秘書のような存在で、非常に重要な職務ではあるが、身分が高いわけではない。
それが、天武帝の命を受けて、神代から歴代天皇の歴史を正す任務の中核を担うのだから、これは、役職の範囲を逸脱している。
そこで、太安万侶は、「序」に、稗田阿礼は、ただの舎人ではなく、特別な能力を持った人物であることを記している。いわば、異例の抜擢に対するエクスキューズである。
時に、舎人あり。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ廿八。人となり聡明にして、目に渡れば口に誦み、耳に払れば心にしるす。すなはち、阿礼に勅語りして、帝皇の日継および先代の旧辞を誦み習はしめたまひき。
(拙訳)たまたま、ある舎人(天皇のために奉仕する侍者)がいた。姓を稗田、名を阿礼と言い、年齢は二八歳であった。聡明な人物で、ひとたび目にすればたちまち暗誦し、ひとたび耳にすればたちまち暗記してしまった。そこで、天武帝は、阿礼に命じて、歴代天皇の皇位継承の次第と昔からの時代の旧辞とを読み習わせた。
ここ(序)には、稗田阿礼の能力が2つに分けて書かれている。
能力A)ひとたび目にすれば、たちまち暗誦してしまうこと
能力B)ひとたび耳にすれば、たちまち暗記してしまうこと
よく考えれば、これは奇妙である。
というのも、『古事記』は、天武天皇が、諸家に伝わる帝紀(諸天皇の一代記)と本辞(神代記と思われる)に誤りが多いことを問題視し、それらを精査したものを、稗田阿礼に誦み習わせ、後代の元明天皇が、それを太安万侶おおのやすまろに筆記させて完成させたものであるが、諸家に伝わる帝紀と本辞の誤りを修正した記録を記憶するのであれば、能力Aで事足りるからである。
ところが「序」では、能力Aと能力Bが対等に書かれている。使い道のない能力について、重要な能力と同等に書かれるのは不自然である。
このことから分かるのは、諸家に伝わる帝紀と本辞の誤りを修正した、いわば原古事記とも言うべき書かれた記録以外に、稗田阿礼が耳から入れた情報があるということだ。
■稗田阿礼の役割
もちろん、耳に入れた人物は、天武天皇以外には考えられない。
つまり、『古事記』は、
要素A)諸家に伝わる帝紀と本辞の誤りを修正した記録(文書)
要素B)天武天皇が吹き込んだ言葉(口頭)
の二つの要素から構成されているとするのが、合理的な帰結である。
この要素Bが、『古事記』の冒頭部分であれば、その意味内容を制作者の太安万侶に秘したまま、『古事記』を完成させることができる。
要素Bの意味する内容を、天武天皇が稗田阿礼に伝えた際に、自分(天武天皇)の意中の人物が天皇になった場合にのみ、その新天皇にだけその内容を伝えるようにと言い含んでいたとしたら、太安万侶は、制作者であっても意味内容を把握することはできない。
もちろん、天皇は絶対的な存在だから、天武天皇の意に反した人物が天皇になり、その天皇が稗田阿礼に冒頭の意味の開示を命じたら、稗田阿礼はそれに逆らって秘匿し続けることはできなかったろう。だが、天武天皇に続いた天皇二代は、『古事記』に関心がなかった。ゆえに、稗田阿礼は約四半世紀に渡って『古事記』冒頭の貯蔵金庫の役割を果たすことになったのだ(*2)。
■天武天皇が狙ったこと
天武天皇が、稗田阿礼に、冒頭部分を口伝しただけでなく、諸家に伝わる帝紀と本辞の誤りを修正した文書記録も暗記させたのは、そうすることによって、『古事記』を身体化させたかったからなのではないだろうか。
神の声を聞いていた天武天皇は、文字化によって書かれた文書それ自体が、ある種の神威を備えてしまうことを理解していたはずだ。
ギフテッドである稗田阿礼に暗誦させることによって、神代からの歴史は身体性を獲得する。歴史が、神々や人間の側に立ち続けることを意図したのではないだろうか。
一書に曰くが列挙される『日本書紀』の神話部分は、網羅的ではあるが生々しさがない。生きた身体こそは最も生々しい、言わば生命そのものである。
* * *
「歴史が身体性を獲得する」という表現は、いささか人文学趣味が過ぎたかもしれない。具体例で、説明し直したいと思う。
かつて1970年代に一世を風靡した劇作家の一人に、つかこうへい(1948年 - 2010年)がいる。つかは、脚本なしでその場で役者にせりふを与える「口立て」という演出方法で有名だった(阿部寛や内田有紀らがその薫陶を受けている)。
つかの演出方法は、稽古場で役者を観察し、頭に浮かんだ台詞を口頭で伝え、役者はその台詞をその場で暗記して一言一句間違えることなく芝居に反映するというものだ。役者が発した台詞は、つかが聞いてしっくりこなければ、新たにひらめいた台詞に差し替えされる。これが繰り返される。差し替えられないためには、役者が体の奥から台詞を発することが重要で、それができなければ、台詞は永遠に定まらない。
恐らく、天武天皇が「原古事記」からの内容追加として、稗田阿礼に施したのは、この「口立て」に近いものだったのではないだろうか。
文章は、文法と用語さえ間違えていなければ、どうとでも書ける。だが、「口立て」で、しっくりくる表現を獲得するのは、媒体となる人間と、口立てされる内容と、その場が一体となる奇跡である。言葉が人に宿る瞬間を捉え、その瞬間を舞台という場に再現可能にできて始めて口立ては成立するのだが、それは、天武天皇にとって、天孫降臨の再現行為だったのではないか。
●今回のあとがき
今回は、いつにも増して書くのが難しかった。
天武天皇は、書かれた物に全幅の信頼は置いていなかった。これは、本質的に天武天皇が神と対話する人だったからだと思われる。文字は、人から霊力を奪う(ジュリアン・ジェインズ)。
『日本書紀』のように、一書に曰くと列挙される神話は、天武天皇の望むところではなかった。だから『古事記』には、身体性を持たせることにしたのだろう。
身体性を持った『古事記』は、しかし、元明天皇によって、書物となる。
あらためて冒頭部分を見てみると、最初の5柱の神々は別天つ神であり独神であるが、独神は神世七代の最初の二代にもかかっているように、神々の系譜が積み木のように互い違いに組み合わさっている構造をしている。
跳び箱の段のような簡単な層構造にはなっていなくて、そこを手がかりにすれば『古事記』冒頭の圧縮された文章を解きほぐすことができる。
そこに至るまで、あと少し。次回は、『古事記』を完成させた女性天皇である元明天皇について書く。
◎註釈
*1 『日本書紀』には多数の官僚が携わっていたが、『古事記』が参考にしたのは、中臣大嶋と平群子首の筆録分だけであるとする説(「上代文学論究 巻13 講読『古事記』(三) : 「序」第二段(その2)」(菅野雅雄・2005年・中京大学))に賛同する。
*2 『古事記』を完成させた元明天皇の意図については、次回書く。
*3 その蓋然性は、以前に書いた。
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