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e-sportsと従来のスポーツの競技性に感じた違いー戦略あるいは上位互換に基づく選択肢ー

(この段落は前置きなので飛ばしても問題ありません)言葉の意味はとても不確かで流動的である、などとよく言われるものですが、ゲーム(タイトルにもある通り電気で動くやつです)をスポーツ(区別の為、この記事内では以下この単語は従来のスポーツを示します)と同等に扱うべきとの風潮が現れるとはとても思っていませんでした。私がこれについて感じるタイトルにあるような違いは、実際に考慮されるべきものなのか(すでにされているのか)或いは新しいものを受け入れられない私の知らないという自身の未知の性格を暴く一例となりうるのか、記述していく中でそれを実感できる一助になればいいと思います。

いろいろ書きますが、e-sportsに関して不思議に感じた事を記述するのであって、相応しくないとかそういうことを書くわけではないです。ですので、途中で不快感を感じても我慢してくださると大変幸せです。

e-sports、スポーツ両者に共通する要素として挙げられる事に、「その道の腕自慢が競い合う」というものがあります。これは恐らく確かな事であり、そこから出発した際に私は偏見めいた発想を得ます。

まずスポーツにおいて、その技術に長けた者が対面し競い結果として勝者が現れる(大会の規模や何回戦かなどに応じて、対面する彼らの実力の差は無に近づくと考えます)一連のこの流れは確かに技術力のぶつかり合いという表現に差支えはないと言えます。

率直に言って、私はゲームにもあるこの流れと結果では技術というより、彼らが使用しているキャラや武器などの性能や相性が競われているようにしか見えないのです。腕が両者互角であれば、その違いが出るのは彼らが使用している電子的な情報や所属が大きいのは気のせいでしょうか。(控えめに言っても勝敗を分ける要因として電子的な情報等が占める割合は大きいと感じています。)

しかしこの一面はスポーツにおいても存在します。スポーツであっても対峙する両者の腕が互角であれば、彼らが使用しているシューズ等の道具のスペックが勝敗を分ける要因として挙げられるはずです。スポーツのプロが道具に拘っている事からも、道具は無視できない要素であることは確実なのですが、ゲームよりも控えめに感じてしまいます。それはなぜか。

多様性やそれに基づく相性、戦略を実現するために要素が追加されるゲーム(選択肢が横に広い)と、そうとは言い難く素材による進化等による新たな道具の誕生(選択肢が縦に広い、上位互換の誕生でも言えます)が多いスポーツと考えることができるのであれば、これが私が感じた事の一番大きな原因だと思います。

他に、ゲームは運営会社の一存で武器等が調整されることから流動性の変化を感じやすい、画面での変化と比較して操作している人が殆んど競技中に動かないなどの割と単純な理由も有り得る気もしていますがまだよくわかりません。時間が慣れを通じて解決してくれるのでしょうか。以下まとめです。

・腕が同等であれば、使用しているキャラや道具が勝敗を分ける要因になるという現象はスポーツ、ゲームどちらにも見られるはずだが後者のほうがそれが大きいと感じたのが不思議

・その原因としては、選択肢が縦に豊富か横に豊富かが一番大きい気がしている(分かりいくい場合は原文参照)

最後に繰り返しになりますが、私は昨今のこの流れに不信感を抱いていることからこの更新を行ったのではなく、純粋に不思議に感じた事を更新内容にしたと加えておきます。

また、この記事はe-sportsが競技としてあらゆる場面で認められ、世界的な大会がより開催された場合の対戦を想定しています。


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