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混沌-バラナシ

コルカタが恐かった私は急いで列車に乗り込んで
バラナシへ向かった。
早足でさっさとインドという国を終わらせてしまおうと思っていた。


列車は駅からがすべてが異常だった。
たくさんの人がぎゅうぎゅうに詰まっていて汚くて、トイレも荷物が心配でいけなかった。
カメラも盗まれそうでめっきり撮れなくなっていた。
布切れみたいな服を身にまとった子供達が用もないのに駅を歩き回っているのは、
おそらくそういうことなのだ。
乗り込んだ列車の席もぎゅうぎゅう、汚い。
荷物をこちらに置けばいい、と声をかけてくれる人も、これを飲みなさい、という人も、誰1人信じなかった。
昏睡強盗というものが、インドにはあるらしい。
みんなちゃんと悪い顔をしてる。
もちろん一睡もせずに朝まで乗って、どこがどの駅かわからなかったので
人が大勢降りる駅で思い切って降りた。
「ここがバラナシ!!??」とすぐ人に聞くと、
「バラナシ!」と返ってきた。

よかった。
あたり一面人の絨毯みたいに混沌としていた。



ついて全生命力をかけ安全そうな宿を探し一泊し、次の日には
ダシャーシュワメートガートに行きまた宿探し。
眠れそうな宿を探すのが食べることよりも何倍も重要なことだ。
ジャーパーニ?ジャパーニ?カム!ときいてくる全ての現地人を無視することも。


インドのルピーの計算は難しかった。
誰も彼もがデタラメなので、騙されて多く払っていてももうわからない。

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〈街のどこを歩いても隠しきれないインド感〉



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〈いたるところに牛のうんちあり、巨大なハエが元気いっぱいたかってる〉



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〈全ての人が混沌を受け入れているため〉


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〈常識なんてものを語ったら負け〉


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〈この人形を使ったお祭りも〉


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〈最後にはどういうわけかこうなる〉



インドは理解するものではなく感じるものだった。
なにせ、ひとつとして異常でないものがない。

犬だけが決まって道端に死んだように倒れており、
人々の代わりに人生について悩んでいるようだ。

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〈犬のほうが正常に見える〉



上を見上げれば猿が。

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〈彼らはいつもこっちを見て笑う〉



●嘘つきの国。

自分に正直に向かいあわないと
ならない時に、この国にきた。
旅の間に いろんな事を考えてきた。
自由の果てに何を見る。
私はこんなに多様な世界で生きてた。
でも、
誰にも、何にも染まれなかった。


コドクは
飢えた人たちを見ると どうでもよくなる。
バラナシの駅で
皮と骨だけの人が
私を最初に迎えた。
ろっこつがつきでたガリガリが
コケた顔でこっちを
見上げて、お金くださいと
笑っていた。
私は、シャッターを切ろうかどうか
迷っただけの
ただの変な人。
この人は、明日、生きるだろうか。
想像力は
つちかうもの。
見つめ合い集中する。
イヤホンを外せば
ため息が出るような社会はないので
ただ感じよう。
日焼けし過ぎで
上半身は黒組なのに
下半身は白組。
10/09●



旅人を下手な詩人にさせてくれるインドめ。。このやろ。

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〈何億もの菌をもつガンジス川は神秘的〉



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〈死体も流されるこの川で、人々は沐浴し新しい朝をはじめる〉



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〈物乞いの列もいる〉



物乞いの中には象皮病とみられる、
足が巨大に膨れ上がった人や、謎の水玉模様になってしまった肌の人を見た。
そして手足がない人の多いこと。。
サドゥーの本物だか偽物だかわからない人もいた。


普通に生きていることの尊さを知り
また自分が帰れるかも不安で、
日記が遺書になりそうなので丁寧に綴る。。



●きょうもバラナシで沈没です。
おいしいご飯を食べて
ねむくなったら寝て。
そんな生活は自分が
嫌いになるけど
おいしいご飯は
嫌いにならないので
続けられます。
幸せはこういうことだと
思ってた時もあるけど
今はちがいます。
もうすぐおうちに帰ります。
帰るのは楽しみだし不安にもなります。
今日は朝からガンガーを拝みました。
朝日に向かってみんな一生懸命
沐浴をしていました。
私はその人の多さにあっとうされ
宗教とは何だろうと思いました。●



●私はインド人の心は
さみしいなと思います。
始めて会う人に
平気で嘘をつくなんて
どうしてできるのか。
インドには他の国と違うところが
たくさんあって素敵です。
なのに私の気持ちは
ずっと悲しい気持ち。
私がこの国に会ったのは
私も今までいろんな人をだましたから
なのかと思ったりします。
嘘をたくさんつかれても
どんな人にも優しさはあるって
信じたいです。
私はまだそれに触れることが
できなくて
とても悔しいです。
私にとって旅で最も重要なこと。
それは新しい人達を
知ることです。
私はその人達と心がつながると
とても嬉しくなります。
インド人は人に謝るのが
下手です。
今まで騙されたことはあっても
一度もごめんと言われませんでした。
私の一番好きな料理は
トゥクパでした。
でも今日もう一度その味を
確かめたら
やっぱりカレーが食べたくなりました。
ちょっと前より食欲が出てきたけど
道のうんこをよけてあるくと
以前として食欲がなくなります。
地元の人達は
道を裸足で歩くので
私よりそれを汚いと思っていないのです。
考え方の違いってすごいです。
バラナシには
ハイエナみたいな
汚い犬がたくさんいます。
なんでこいつらは生きているんだろうと
思います。
本当は彼らが自分で
考えることなのに
私も一緒に考えてあげたくなるほど
みんな行き詰って生活しています。
-----10/11●


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〈生まれることは、生きて行くことに比べたら大したことないのかも〉



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〈トゥクパはシチューみたいな味がする食べ物だ〉



●今日はガートで
子供たちと
写真ごっこをしたり
久美子さんのおうち(ゲストハウス)で
だんなさんの背中を
眺めていました。
久美子さんの
だんなさんは
白髪に白のひげが
仙人かと思わせる人です。
私がじっと座っていたら
すずめをよんであげる
と言って
すずめにお米を
あげていました。
おだやかな風が吹いていました。
私は夜の
おサルさんタイムと
ゲロゲロタイムが
とても怖いです。
明日も
素敵な一日にしたいです。●



お猿さんタイムは、
夜に猿がキーキーと縄張り争いをすること。
ゲロゲロタイムというのは、偶然隣の部屋に泊まった日本人女性が拒食症だったようで、痩せていて腕も足もインド人に負けず劣らずのアクセサリーみたくぷらぷらだったんだけど
夜になると決まって、トイレの中に食べ物を吐いている音が聞こえてきた。。



1日だけ参加した、マザーハウスという小学校のボランティアでその拒食症の彼女と一緒になり、
そこは日本人多すぎで好きじゃなかったんだけど、
一緒に昼食のオクラ丼を作ったことがあった。。
その日のゲロゲロタイムの内容物は、自分の胃の中のものとおそろいだったので
想像すると、こっちまでうおえええ。

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〈久美子さんの旦那さんの後ろすがた〉



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〈久美子ハウスからのながめは落ちつく。朝食も求めればもらえる〉



●私はインド人と本当に
仲良くなれたら
絆は深いと思う。
いつも インド人の男同士が
手をつないでいるのを見て思う。
インド人は祭りばっかりやって
飽きないのかなあ。
私は祭りみても
インド人と
仲良くなれるわけじゃないから
一回みれば
もう満足しちゃってる。
『ナマステマダム。ジャパー二??ジャパー二?? カム。』●

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〈インドでは恋愛結婚がないらしい〉


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〈これ見てたら足元にサソリの子供が歩いてた。。。〉

〈踊り狂うインド〉


●私は東南アジアと南アジアで
色んな生き物にあいました。
ブタ、牛、サル、ヘビ、
クロコダイル、象、ヤモリ、サソリ、馬、カバ。
当分は動物園に行きません。
インドの道は
私にとってとてもつらいです。
道に直径30センチの
牛のうんちがたくさんあるので
常に踏まないように歩かないと
いけません。
そしてその間に大量のハエやたまに
ハチが遮ってくるので
ふすまを開けるようにして彼らを
よけて かつ臭い所で
息を吸わないで
歩いて行きます。
もし、道に迷ってひきかえすことに
なると、今まで通ってきた道が
いかに過酷だったかが思い返され
とてもゆううつになります。
でもインドに来て変わった考え方も
あります。
蚊に刺された時は
マラリアでないだけ
いいと思えるようになりました。
ヤモリを見ると死にそうでしたが
ネズミでないから
いいかなと思えるようになりました。
ネズミが部屋に入ってきたときには
子ネズミだからまだいいかと
思えた自分には
とても感心です。
こういったことで
インドに来る旅行者には
もう二度と来るものかと
思う人がいるらしいですが
私もしばらくはここに来ないなと
確信しています。
でも私にとってインドは
大切なことを教えてくれた場所なので
あんまりたくさん
文句ばかりを言いたくないです。●


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〈久美子の屋上にて〉



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〈足あらおう。。〉


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〈生きて帰ろ〉



普段持っている視点や、考え方は、
自分なりの歪みがあるのだということを、インドに学ぶ。

それまで、自然にもっていた生の価値観や、生活への価値観を
大きく揺さぶられ、それのどこが真実なんだ??と、
ひとつひとつにクエスチョンマークをつけられてしまう。

その自分なりにみた世界の、どこに自信をそんなにもっているんだ?
ただの、ちっぽけな、欠点だらけの自分のくせに。


カム。
そう言って頼んでもないのに前を歩いて道案内して
平然と金をとろうとしてくる彼ら。
それをしってるよという顔で自然に私も笑い返すようになった。
びくびくしていたら、俄然やる気にさせてしまいそうで。




ガンガーには沐浴をする人、洗濯する人がごったがえしている。

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〈川には5億の菌があるといわれる〉



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〈貧しいのになにも欠けていない気がするのはなんでだろう〉



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〈なにもかもが自然体だ〉



●今日は三度目の早起き朝ガート。
でもまさかの曇り空。
太陽はみえたり隠れたりを
4回5回くらい繰り返した。
人々は太陽が出てても出てなくても
沐浴をしては去っていく。
それでも今日沐浴の人は少なかったのは
多分寒かったからだと思いました。
私は3時間も立ちっぱなし。
それでも朝日の出る前のガンガーを
初めて見れたので結果オーライ。
JOTYIカフェでいつものフレンチトーストと
チャイでやれやれしてクミコ(久美子ゲストハウス)にもどって
挨拶がてらまた朝ごはん。
そのあとチェックアウトして
久美子さんとちょっとお話。
生活範囲が狭くってバラナシを
全然しらない人でした。
もう35年もインドにいるのに
JOTYIカフェも知らないん。
一体どーなっているんでしょうか。
久美子さんはどんなに久美子が廃れていっても
まだ仕事への根性みたいなのが
あるんです。
私は久美子さんのだんなさんに
おこられ(他の人も怒られているように)
そのへんをぶらぶらしています。
お気にのオムラーが食べれんで
てきとーなサンドイッチを食べます。
でもくるとちゅう牛が私の歩く
ロードにしっこをし始めて
足にちょいがかりしたんが
気持ち悪くてもうおつかれです。
タイの洪水はなんとかなる予感があるけど
どうなんでしょう。
あとちょいな旅なのに
前途多難で大変です。
今日がなんとか終わって
なんとかタイにつきたいです。
なんとかでいんです。
牛のウンチをたとえモロ踏みしてもいいから
ガンガにあやまっておちてもいいから
最低限の健康と富を残して
日本に無事に帰りたい。
最近日本に帰ってなにをするか
考えているのですが
世界一周した後なにが夢なんだ?
とふと思いました。
地元の人達は
牛のウンチをよけて歩くのが
とてもうまいです。
とてもスムーズに足を運びます。
私はそんなふうにできないけど
これでもかなりよけ力はあると思う。
これから最後のデリーという街へ。●



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〈日本人のバッパーに一筆かいてと言われ渡された本〉


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〈出会った人みんなに書いてもらっているらしい〉



●10月?日■
今日食べたパスタの中に
アリが3匹入ってました。
気づいたのが3匹というだけで
普通に考えて
アリを食べました。
そのお店はいつも他の店より
お客さんが入っているのに
どうしてでしょう。
こういうのは誰かが
苦情を言わないと困ります。
でも私は初めからかんぺきな料理が
インドで食べられると期待していないので
お腹をこわさなければ
常にツイてると思えます。
とてもえらいです。
インドのビジネスはとても変です。
ぼってもぼっても
ぼれたなら
お金は正当に動いたことになるので
誰も悪くありません。と
みんなが思ってます。
インド人は
ぼってるのでなく
ただのビジネスの感覚なので
私たちが自分の価値観を
押し付けることはできません。
他の国に行くことは
常に受け身になるって
ことでもありません。
たとえ価値観がちがくても
新しいものを一緒に見つけて
感じ合うことが
できるきがします。
そのためには
私たち外国人が
新しいものを提案してみればいいだけ。
それはいっしょに誰かを
助けることかも
しれません。
でもインド人に
そういう優しさがあるかは、謎です。●

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〈アリ、ここからきてた〉





***


バラナシからデリーへ。。。



●バラナシ駅でなのはな畑からでてきたような
のんびり中国人家族にあいました。
私はこんなにほがらかな中国人たちを
はじめてみました。
最近はインドの治安の悪さに
本当にビビっていて、
このバラナシ・デリー間の移動は正念場でした。
バラナシ駅で私がわざわざカフェで時間を潰したり
電話で話しているフリをしているのに()
なのはな中国人達は
けいかいの色を見せずに駅に
レジャーシートをひいて電車をまっていました。
しかも私に笑顔で話しかけてくる
余裕です。
そして偶然にも電車が一緒で
私もレジャーシートに仲間いり。
前にはすでに5、6人のあやしい
男の子達が盗みの会議を
輪になってひらいては
散らばってをしていました。
筆談であの青いやつは(私らの見張り役)
強盗だからきをつけてというと
まじでみたいな顔です。
大丈夫かこの人たちでした。
でもその無防備な笑顔が
逆に余裕な感じで
強盗をひるませていたのかもしれません。
そして私は本当に優しさに
助けられました。
しかもあのチャイナにです。
電車がきたっと大急ぎで教えてくれたのは
お父さんでした。
私は中国で中国人がバスに出発の
1時間前に乗り込んでいたのを
思い出しました。
中国人はそういうことにかけてはやい
んだと思います。
お父さんが言ってくれたのは
私が一人できいてまわって
やっとわかる情報だったのです。
中国人家族のお陰で安全に乗車することができました。

今日、一週間半くらい沈没した
久美子ハウスを出た時
私は色んな人にあいさつをされました。
私がバックパックを背負っているから
もう帰るのかい
さようなら
さようなら
とみんながお店から顔をだしてくれました。
私は感動して
最後にインド人の素敵なところを垣間見たようでした。
あのウンチだらけの臭い狭い近所道が
最後だけ
花のアーチがかかったみたいな気分でした。
でも私はそのときちょうど降りだした雨に追われて
ありがとうといいながらも
足早にそこを通り過ぎてしまいました。
10月18日●

インドでは誰でも武勇伝を作れる。
私もぼられ、恐喝、セクハラ、下痢、いろんなことがあった。
でもそのたびに自分は保険に入ってないから生きよう生きようと思っていた。
ヒンドゥー教をとても身近に感じた。。
町はうんちでいっぱいで、ほこりとハエと牛と犬で ごった返している。
くさいとこでは息をすわない うんちをよけてゆく力がどんどん備わっていき 自分がたくましくなっていく錯覚になる。
綺麗なものはどっかにあるはずだと 思って 毎日夜になって宿に帰って 音楽を聴きながらインドを考えた。
でも嘘つきに嘘で身を守っていくことが どんどん自分の気持ちまで嫌になっていった。 インドには同情の隙間がなかった。
みんななんとしても生きていく力であふれてるから。

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〈ああインド〉


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〈インドよ。。。〉


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〈。。。〉


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〈ばいばい、バラナシ〉




沈没宿

バラナシでは、久美子ハウスという有名なところに滞在。
2つあって、新館の方だったと思う。
ガートはダシャーシュワメートガートをうろうろ。

結局インドの宿には、どこに行っても、壁に絵が描かれている。

恐ろしい血文字みたいな絵が描かれた部屋に案内された時に、
ここはいやですといって変えてもらったんだけど、
その部屋に泊まった人に翌朝会うと、顔中に無数の引っかき傷ができており、
どうしたのときくと、寝ながら自分で引っ掻いたと嘘をいっていた。
そんなわけあるかと思った。
多分あの絵の部屋にはなにか出るんだ。

呪いやまじないなんて、信じないけれど、
何からだって身を守った。
なんにでも、恐がらないと、生きて帰れないから。


その点において誰にも負けない。恐がりでよかった。



KUMIKO GUEST HOUSE
D24/26 Pandey Ghat, Varanasi, India

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〈この部屋なら安心!!〉




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