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『僕らの世界が交わるまで』感想・レビュー

どうも!chomminです!
今回は、2024年1月公開の映画、「僕らの世界が交わるまで」についてレビューしていきます!
この映画は第1回のレビューに登場した「ソーシャルネットワーク」の主人公を演じた俳優、ジェシーアイゼンバーグが初監督を務めた映画です!

「物語」

 ネットで自作の曲を披露する少年、ジギー(フィン・ウォルフハード)はスターアーティストを目指す高校生。母親のエヴリン(ジュリアン・ムーア)にその非現実さを皮肉に言われながらも、どうせ母親には理解できないと配信活動を続けます。エヴリンは息子と不仲になってしまい、母親として求められなくなった現状に寂しさや不安を感じているようです。エヴリンはDV被害に遭った人々が暮らすためのシェルターの経営に携わっている、心優しい篤志家です。他人を心配し、教えを説き、救いを与えることに喜びを感じる母親とは反対に、息子のジギーは自分がどうすれば認められるかばかりを考えています。
 ジギーには想い人がいます。同じ高校で、友達と一緒に政治的議論に熱中するライラ(アリーシャ・ボー)という女の子です。彼女は大人顔負けなしっかりした意見を持っていて、音楽とフォロワーのことしか頭になかったジギーには難しい世界にずっといる気がします。なんとかライラに興味のもたれる人間になるため、ライラが好きそうな歌を作ることを考えます。
 エヴリンはある日、シェルターに暮らす男子高校生、ジャッキー(ジャック・ジャスティス)に進路の相談を受けます。ジャッキーは息子と同じ高校に通っていて、清廉で懸命な青年という感じです。ジャッキーは貧しい家計を支えるために就職を考えますが、彼の成績のよさを知っているエヴリンは、将来の選択肢を広げられる大学進学を勧めます。自分のことを頼ってくれるジャッキーに対し、エブリンは長らく感じてこなかった母性を、実の息子ではない彼に感じるようになります。それは母性を超えた、ロマンスねだりの恋心かもしれません。母親は家族に会社の食事会と嘘をついて、ジャッキーと度々夜ご飯を共にするようになります。
 ジギーはない知識を振り絞りながらも、ライラの好きな政治に興味があると主張し、政治的テーマを持ったパーティーへともに足を運んだりしますが、全く興味のない会合にいることは、スターを目指す彼にとってはとても無意義なことに思えてなりません。ジギーは苦しみながらも、ライラのために世界の時事問題を歌詞に詰め込んだ歌を完成させ、ついにライラにその曲を発表することに成功します。この曲は世界中にヒットし、莫大なお金を稼げるに違いないと豪語するジギー。しかしライラは意外にも不快な反応を示し、政治的問題を自己満足やフォロワー・お金儲けに利用するなんて最低と一蹴します。
 エブリンはジャッキーのために様々な支援をしていくうちに、もはや家族以上にジャッキーのことを気にかけるようになりました。しかしそんな心情のエブリンに、ジャッキーの母親は息子の進路が就職に決まったことを知らせます。ジャッキーにこれ以上余計な干渉をしないでとはっきり言われたエブリンはいてもたってもいられず、ジャッキーがいる息子の高校へ走り出します。
 廊下を歩くジャッキーを、遠くから慌てふためいた様子で呼びかける壮年の女性エブリン。彼の前に立ち止まると、長い時間息を整えてから、無理やり作ったような笑顔で優しくジャッキーに世間話を仕掛けます。驚きを示しつつも応えるジャッキー。エブリンはぎこちない感じで、就職に決めたことを教えてくれなかった理由を聞き出そうとしますが、そのしつこさにうんざりしたジャッキーは語気を強めて自分の意思を伝え、謝ろうとするエブリンを横目に足早に帰って行ってしまいます。ずんずんと帰っていくジャッキーは、ライラと不仲になってしまった怒りをロッカーにぶつけるジギーの傍を通ります。ジギーはいたたまれなくなり、その場を後にします。
 エブリンは職場の自室で、ジギーがやっているというアカウントを覗きます。たくさんの再生回数を持つ動画もあり、思っていたよりも多くの人に息子が応援されていたことを知ります。ジギーは、母親に会うために職場に訪れます。自己中とばかり思っていた息子が多くの人々にメッセージを送っていたと知った母親。ライラから多くの人々を事前の心で救う意義を説かれ、偽善者とばかり思っていた母親の仕事や言動の意義を考えるようになった息子。今まで平行線だった二人の世界が、初めて交わるのかもしれません。

「感想」

 この映画の最初に制作会社のロゴが表示されるのですが、ポリゴン時代を想起させるような、カクカクして少し画質の荒っぽいロゴと、同じく荒っぽくてファミコンBGMのようなミニマルミュージックが相まって、昔の時代を思い出させるような印象を抱きました。この後に突然、ジギーが配信で歌を披露する場面が始まるのですが、この時の歌は最後エブリンが観た息子の動画でも歌われていて、最後の方はオープニングのファミコンBGMが歌に重なって、少し色の違う歌に変身します。「あのBGMはこの歌に合うピッチで作られてたんだ~」とどうでもいい感動もしつつ、劇中何度か不気味さをもたらすように使われていたBGMが、この歌と重なったらこんなにも美しく変身するんだなと驚かされました。
 この電子音BGMは、エブリンが不安や焦燥感に襲われた際に流れます。単純なメロディーが観客までを不安にさせますが、同時にエブリンがどんなものに対して不安を感じるかの理解を深めてもくれます。彼女は他人を救うことに義務感を感じる、非常に正義感の強い女性です。その行為自体は、彼女が自我を確立していて、自信を強く持つ人であると思わせますが、彼女はどちらかというと自信がないタイプで、他人を助けることで自身も救われたと感じる性格です。
 彼女は決してヒロイックではありません。息子が手を付けずに残した夕食をジャッキーへのお土産にしたり、ジャッキーと会うために仕事を抜け出したり。誠実な仕事をしている分、内なる欲望からの圧力も強くなるのかもしれません。しかし、そのようにどうしようもない欲望の強さを感じながら、自己犠牲を払って他人に尽くしてしまうその性格は、私自身や私の母親にも深く通じます。尽くすことによって窮屈な思いを感じていることは百も承知ですが、その行為が正しく、その正しい行為をしている自分に強さを見いだせる点で、自分というものを確立していきます。
 しかしその思いやりは自分の想像の範囲を脱せず、最初は感謝されますがしつこく続けていくと逆に相手の怒りや不安を煽ることになってしまうのです。相手がそれを望んでいたから、拒否されなかったから、そんな理由で自己犠牲を続けてしまうと、一番肝心な、相手が本当は何を望んでいるのかに目を向けなくなってしまいます。自分が思っていた相手の望みと、実際のそれとの間に乖離があると、今までの自己犠牲が辛いものに見えてしまうからです。エブリンやジギーも、そんななんとない怖さから、少し強引にジャッキーやライラの気持ちを引こうとしたのでしょう、、、彼らの軋轢を見ると、とても切ない気持ちなんだろうと想像できます。
 彼らの本音っぽいものや相手へのストレス、不安が、最後まで決してセリフとして書き起こされない点がとても好きです。最後までを通して、ジギーの歌には、彼の言葉に出来ない叫び、そして無意識か偶然か、軋轢を生んだ相手の気持ちまでもが、不器用さを持って乗せられているのかなと感じました。そしてジギーのワードセンス、シンプルな曲調から生まれるダイナミックな抑揚が、胸をつんざくほど苦しい感情や言葉が心の内を駆け回るときほどきっぱり口をつぐんでしまう私の、その出口のない思い達に、ゆりかごのような安心感を与えてくれたと思います。見た目よりもいざ乗ってみると少し激しいゆりかごでしたが、大人にはそれくらいがちょうどいいかも。
 この映画の原題は「When you finish saving the world」。あなたが世界を救うことをやめたとき、何が残るのか、それとも、次は何を救うのか、何が見えるのか。「尽くす」「自己犠牲」に自分の意義があると信じていた二人が、物語の最後、それまでにないがしろにしていた自分自身と、救おうとしていた人々よりも自分に近い存在であったお互いを見つめ始めます。その気づきをもう少し早くに手に入れたかった、そう思う人も多いと思います。たまには、大きくて立派な世界や思想から距離を置いて、家、教室、職場の内側にある世界のディテールを見つめてみると、思いもよらないものに愛が込められていたのだと、発見できるかもしれませんね。

 フィン・ウォルフハードは「IT」で大好きになった俳優で、実は事前情報なしに劇場で見て初めて、「あ!この子が出てるんだ、、、大きくなったな、、、!」と気づきました笑 自分の意志と人への思いやりの間で揺れる姿は可愛らしいです。
 ジギーの歌はたどたどしくも、そのロックさとは対照的に幻想的な歌詞が引き込まれる魅力を持っています。テーマ曲である「Pieces of gold」はyoutubeにもあるので、まだ鑑賞してない方でも聴いてみてほしい曲です。

 以上、chomminでした!
 今夜はここまでです!また別の映画で、お会いしましょう🌙
 

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