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模試今昔

久しぶりに(といっても一年ぶりくらいか)某大手予備校の答案の添削をした。大学受験をした人なら、一度くらいは受けたことがあるかもしれない。「〇〇大模試」、あの類である。科目は当然、国語(生粋の文系だけれど英語は苦手、歴史や地理などもそこまで専門知識を持ち合わせているわけではないので、逆にいえばそれしか担当できない)。

高校生時代にお世話になった模試、別の意味で今もお世話になっている(高いお金を払って受験していたのにひきかえ、びっくりするくらい薄給だけど!さすがデカイビルをたくさん持つ会社は中抜きパネェ)とは、あの頃のわたしは夢にも思わなかったけど、社会人になってからなんだかんだ季節労働としてダラダラ続いている。採点者コード、という6桁のナンバーがあるのだが、その頭2桁がわたしが添削を始めた西暦の下2桁の数字になっている(説明わかりにくいな)ので、何年続けてるのかがわかる人にはひとめでわかる(のだろう)。自分のコードを記入するたびに「こんなに長い年月やってるのか、、、」とちょっとくらくらする。

模試の体裁というか、テイストはほぼ変わらないけれど、ここ数年ほんとびっくりするくらい単価が下がった。数年前(って書いたけど実際は10年くらい前になるのかな)採点業界にもIT革命の波が押し寄せたのか、赤ペンでの手採点からPCでネットを繋いでやる方法が取り入れられることになった。といっても、まだApple Pencilなんてない時代である。ネット環境も今ほどよくはなかった。何百枚もの答案のデータを扱うので、回線が安定する夜中に、マウスを握りしめながら赤線を引いたり丸を書いたり(これスゲー大変で手がいつも攣りそうになった)、採点者にとっては全然便利じゃねぇよ!と思ったのが懐かしい。それで一時期、あまり熱心に仕事を請け負わなくなった。もう依頼がなくても仕方ないか、という気持ちで細々と続けていたが、その後手採点も復活し(というかネット採点が今も続いているのかわからない)また依頼が来るようになった。

採点自体はアナログに戻ったけれど、模範解答や採点基準はPDFで送られてきてこちらでプリントアウトする形(わたしは刷らずにiPadで見てるけど)になった。ペーパレス化といえば聞こえがいいかもしれないけれど、要は大手様の経費削減のあおりを食らったということだ。確かに紙代はかかってないけど、そのぶんこっちは電気代がかかるわけで。エコの観点からもそれはどうなの?なんてもやもやしつつ、コチラは手間も増えるのに、それなのに、単価はどんどん下がってるからモチベーションも下がるよなぁ、、、
てか、今こそApple Pencilあるし、サーバーも昔ほど弱くないから、答案のデータをあげておいてもらって、そこにデジタル手書きで採点できるのにな、そのシステムは最先端の受験業界でも取り入れられてないのかしら(取り入れられてたとしても古参← のワタクシのとこには「アイツにはそんな芸当は不可能」と判断されて打診がきてない可能性もあるが、、、オイ!ワイは今や天下のAppleの申し子だぞよ!赤インクで手を汚さなくともスラッスラ採点できるんだが!!! ってここでいくら吠えても伝わらないわね)。

あ、ちなみに、手採点だと当然“点数計算”という、生粋の文系のわたしには恐ろしいミッションがある。そう、ネット採点だとコチラが計算しなくても自動的に反映されたのでそれだけは画期的だったよなぁ。
いっても最大2桁の足し算引き算のみであるが、いちいち電卓を使ってられないので、暗算でこなす。これがねぇ、数字嫌いなわたしの最大のヤマ場でして。絶対間違えられないので一応検算(まぁコレも脳内で)もするのだけれど、調子に乗ってくると答案をパッと見渡して、1の位が0になる組み合わせを見つけて楽に計算する技が発揮されたりする。たとえていうなら、クレペリン検査をひたすらこなす感覚で、その時だけわたしの計算力が火事場の馬鹿力的に最大限にブーストされる(そのぶん脳疲労がこれまたパネェので甘いものの消費がもんのすごいことになるが)。

そう、そんなわけで正直にいえば積極的にうけているオシゴトではないのだが、今回は諾否の期限を過ぎていたのを失念していたところ、担当者から直接電話がかかってきたので小銭稼ぎ、せっかくだからとやることにした。オシゴトいただけるだけでありがたいッス、なフリーランスのわたし、カッコつけてる場合ではない。生活のためである。というか、電話がかかってくるってことは採点者不足してるのかなあ。そうだよ、どんどん条件悪くなってるんだもん。値上げ事情はこういうとこには絶対反映されないんだよね、ぢっと手を見る。

で、適当に希望枚数を伝え(長年の経験で中○日なら△△△枚くらい、というのは一応なんとなく割り出せる)実際にブツが届いてみたら、ほぼその枚数どおりだった。これも長年の経験で、宅配便で届いたのを手にしただけで開封しなくともだいたい枚数がわかる境地に達しているのだが、今回はあまりにずしりと重かったので「こんなにやれるか?」とちょっとひやっとした。一時期、もっとやりたいのにコチラの希望枚数をかなり下回ることもあったから、今はやっぱり採点者がいないのかなと思う。ただ、いくら多いといっても、希望枚数を大幅に超えることはない。こちらも申告した以上(適当に割り出したのをちょっと後悔しつつ)はそれをこなさないとならない(薄利多売的な)。

で、数日間ひたすらにこなしてみて

最近の高校生(浪人生もいるだろうけど含むということで)は、ほんとに漢字が書けないことに戦慄する。昔から、受験生のレベルによっては出来不出来に差があって、珍回答もそれなりの頻度で勃発していた。けれど、今回かなりの枚数をじっくり取り組んでみて、なんと全問正解者がほとんどいなかったのである。スマホやPCでは予測変換も出るし漢字が書けなくても日常生活にはことたりる時代ではあるけれど、ここまでなのか、、、と冗談じゃなく目眩がした。似たような漢字を新たに作り出していたり、音はまぁ合っている(韻を踏んでいるのか)けど漢字は全く合ってなかったり。漢字のなりたちや意味とか、今はガッコーで教わってないのか、それとも教わっても忘れているのか。国語の先生! もっとがんばってくださいよーーーと思う(あ、でもがんばらなきゃいかんのは生徒の方だねぇ)。

あと、これは学力とは全く関係ないことなのだが、生徒たちの名前がほんとうに多彩になった。名前は添削者がジロジロ見るべき項目ではないし個人情報なのでもちろん伏せる(フルネームでは)が、かなが振ってなければ読めないような、いわゆるキラキラネームみたいなのだらけである。愛流(める)とか、ほかにももっとすごいのがあったな。もう忘れたけど。これも学校の先生泣かせだな、と思う。


漢字の書き取りが数問あって、慣用句とか語句の使い方の選択問題がいくつかあって、記述問題があって、という設問の流れは全然変わらないし、取り上げられている文章もほぼ内容的には似たりよったり(ときどき時代を反映しているような作品や時事問題的な文章が問題文になることもあるけれど、大抵はよくわからない小難しい評論と相場が決まっている)だけれど、それを取り巻く環境や受験生は激変していることにあらためて驚きながら、結局わたしも、迫りくる〆切との闘いに胃をキリキリさせながらギリギリで勝利する(いやいや勝ち負けじゃなくて〆切は守るのが当たり前)のはいつの時代も全く変わらない(成長してないってコトだよそれは、、、)なと痛感するのであった。


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