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好きの理由

そんなにスイーツが好きになったきっかけは何ですか?

よく聞かれる問いだし、常に自分の中に大切に持っていることだし、素晴らしいスイーツに出会った時なんかは特に、泣きたいくらい自分の中に染み渡る、今の私を織り成している全部だ。

「昔から大好きだった」とか「とあるブランドに出会って沼った」なんて理由が多いんだろうね。私もまあ通常は簡潔に、そんな風にまとめる。

けれどもっと深く聞いてみると、案外その人の根幹に触れるような話が色々出てくるんじゃないかなと思っている。好きって気持ちは、多分そういうものだ。


いつから、ということを考えると、私の場合は間違いなく大学生で一人暮らしを始めた頃。

新しい生活が始まって、不安と期待に胸を踊らせて…。そんなキラキラしたものも確かにあったことはあったかもしれない。ただ、もう少しひねくれていたかな。

私は多分、間違いなく幸せに生きてきたと思う。
家は裕福な方だった。成績は良かったし大きな失敗をして後悔したこともない。友達にはわりと恵まれていて、虐めを受けたような経験は無くて、先生からの信頼はあったし、家族からは愛されていた。

だから、私の抱えていた悩みなんて本当に小さな小さなもの。でもさ、どんなに小さくたってそれが自分によく効く毒針であったのなら、簡単に死んでしまうんよ。

気がついた時には、その毒は全身にまわっていたんだと思う。


どうするのが正解だったんだろうね。
私以外の家族は、とにかく短気だった。父は「気持ち悪い面して、キチガイだ」ということを舌打ちと共に、何の呪いだよってくらい何度も何度も吐き捨て続けていた。

母はヒステリー持ちで、一瞬で変わる空気が怖くて堪らなかった。畳をバンバン叩きながら「嫌い!あいつ嫌い!」なんて叫んでいるのをギュッと抱きしめて「大丈夫だよ」って声をかけてさ…いや~頑張ったよね私。涙が出てくるのだけど泣いているのをバレる訳にはいかないから、トイレに行くふりをして、30秒くらいの間に何十回も自分の心臓を握り潰す想像をして涙を止めた。

毎晩、目が覚めたら心なんて壊れて、いつでも笑顔の仮面で誤魔化せるようになっていたらいいのになんて願いながら目を閉じた。


こんなことを書くと、イカれた家族だと同情されたりするかもしれないけれど、 ちょっと喧嘩とかが多かっただけで、実に平凡で正常ではある。
暴力沙汰は皆無だし、酒やギャンブルに溺れたり浮気が発覚したり、そういうのは全然無かった。

愛情は物凄く重くて当時はそれも悩みだったりしたけれど、他の家族の元に生まれたかったとか微塵も思わない。父とはあまり話していないから正直よく分からないけど、何度生まれ変わっても今の母の子供には生まれたいなと思う、というか、それしか考えられない。なんか中途半端に反発したりせずに全部受け止めて「私も家族超大好き~」ってスタンスにしたら私自身凄く楽になったな。多少歪んでいたかもしれないけれど、どんな形であれ家族からの愛情って大事よ…。

兎にも角にも、そういう環境の中でのストレスってやっぱり大きかったんだろうね。
大学受験の頃、「逃げるなら、きっと今が最初で最後のチャンスだよ」と言われた。

「あぁ、逃げられるんだ…」とは確かに思ったけれど、「逃げるぞ!!」なんて強い意志はなくて、ただ、地元の国立よりは全然偏差値の高い東京の私立に合格してしまったから、なんか成り行きで…気がついたら東京に居た。

一人になって、初めて気が付く。
いかに自分が空っぽであるか。ずっと、親の敷いたレールの上で、親が望んだ通りに生きて、「私自身」を犠牲にしてきた。

自分から生じる言葉が何も無い。
死神が記憶のフィルムを抜き取るとしたら、4コマ漫画くらいで終わる。足元が崩れ落ちる音がした気がした。

人とのコミュニケーションが苦手過ぎて、なんとなく笑って誤魔化していた。「あれ、今、何か笑うとこあった?」そう言われて「間違えた」とハッとした。

「死にたい」とまで思ったことは無いけれど、死ぬことに対して「どっちでも、どうでも良いか」と思ってしまった次の瞬間、ゾッとした。

自分自身を取り戻したくて、自分の言葉が欲しくて、何百という曲の歌詞、何冊かの小説を、PCに打ち込んで模写してみたりした。異常な行動だったなとは思うけれど、その時にブラインンドタッチを身に付けてそこそこ速く打てるので、それは役に立っている。


1人で生活しているわけだから、まあ食事はするわけで。下北沢にある、ワッフルを提供するちょっとお洒落なカフェに行った。美味しかった。

美味しかった。

あぁ、なんだ、あるじゃん私の言葉。
当たり前の単語だけれど、紛れもなく私の五感が刺激されて出てきた言葉だよ。

当然の流れで、カフェ巡りが習慣化していった。お昼ご飯として、大学周辺で色々なお店に行く。最初はただ、それくらいだったんだけどね。なんとなく、気が付いたら友達の中で「カフェ巡り好きの人間」として認知されてきた。自分の座標が、初めて見えた気がした。

加速していく。
昼食としてのカフェ巡りから、当たり前にハシゴをするようになる。写真の編集の仕方が分かって、綺麗な写真が撮れると嬉しくなって。画像フォルダを振り返ると、一つ一つ全部に「この時はこんな気持ちになったんだよな」という私だけの記憶が宿っていて。


大丈夫、もう空っぽじゃないよ。
今はちゃんと、自分の在処を分かっている。


素晴らしいパフェを食べた。
あんまりにも素晴らしかったから、思わずしみじみと、好きの理由を振り返っちゃったよ。
今日は明日からの仕事に備えて調べ事しようと思ってたのにさあ。

でもその仕事をするのも、紛れもなく、あの時「美味しい」の気持ちに出会っちゃったからなんだよなあ。

というわけで、はい、その素晴らしいパフェです。

ブノワニアン

日本に上陸してくれてありがとう…素晴らしい。
職場で話しても伝わらないかもしれないが、バレンタインで10万使う馬鹿は間違いなく知っているだろ、という知名度のお店である。

トップのつやっつやのチョコ…最の高でしかない。
葉っぱ、「農園で働く人の日除け帽子」ってそんな…それパフェで表現するか??完全に愛……は?好き。

そしてこういうトップにデデンと大きくあるタイプは非常に食べにくいことが欠点であったりする訳だが…

カパッと外す。
マジか。中からカカオポッドみたいなのが出てくる。マジマジか。しかもその中には、キャラメリゼしたアーモンドのチョコレートボール。
待って…ちょっと追いつけない、最初から拘り飛ばしすぎじゃん??

色々他の人の意見とか見ていると「値段が高いから辞めた」みたいなのもあるが、これ程の拘りを凝らされて、価格未満の価値などとは微塵も思わんよ。

薄いチョコのプレートは中に割り入れ、1口目で食べた。美味しい。

ちょっと自分でも驚いたのだけれど、最初の美味しい衝撃から、3口目くらいまで美味し過ぎて意識が飛んだ。

グラスの中、サクサクがとんでもなく…とんでもない。語彙力が壊れる。大きい、でも食べにくさは皆無で、軽く、しかし広がるチョコの甘さ、フィヤンティーヌの香ばしさはしっかりで、噛む程に深くなっていく。完全に美味しい。

「アーモンドチョコレートは、形の不揃いになってしまったものをペーストにしフードロスをなくす取り組み」だってよ…何だそれ、素晴らしいな。

誰もが大好きな安心する甘さから更にスプーンを進めると、結構強めな酸味の登場に驚くことになる。カカオパルプのソルベである。

私は比較的カカオパルプを食べ慣れている方ではあるが、それでもその圧倒的なフルーティーさに衝撃を受けた。

そして現れる、溢れんばかりのムース。ヤバい。
パフェを食べているのに、ケーキを食べている気持ちになる。

層構造ではない。
ムースを楽しむ段階になっても、サクサクはあるし、ソルベもある。トップのチョコも時々割り入れながら。

ビターなパリパリ、香ばしいサクサク、ひんやり瑞々しい酸味、高度な甘さのムース。
無限。

そしてある程度から、ラストのカカオパルプのジュレも参戦してくる。
こちらはソルベよりも、スッと馴染む感じがする。

もちろん期待していた。
凄く期待していた。

そこを遥かに上回ってきた。
3連休最後の1日を、自分のスイーツ人生を振り返って見つめ直すのに費やしてしまう程に、美味しさに自分が飛んだ。


皆さんの好きは、どこから生まれた好きですか?
好きを追い求めていると時折、思わず向き合いたくなる好きと出会ったりする。

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