甘味料

チョコ沼の住人🍫 チョコレートスペシャリスト &スイーツコンシェルジュ🍰🍩🍬 書道十… もっとみる

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チョコ沼の住人🍫 チョコレートスペシャリスト &スイーツコンシェルジュ🍰🍩🍬 書道十段&準師範 チョコ&パフェ&マカロン&スイーツ色々愛好家。 休みの度にカフェをハシゴする女。 スイーツが好き。物語が好き。言葉が好き。 気軽に立ち寄ってみて下さい♪

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  • 甘味料のスイーツ物語

    日々すてきなスイーツとの出会いを求める甘味料のスイーツ記録をまとめています。 甘い良き出会いが沢山ありますように

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最近の記事

夢だった仕事を辞めます、多分、数年後に

仕事を辞めようと思う。 そういう話を家族と話した。 今すぐではないけれど、少しだけ未来のこと。 10年近くも憧れ続けたお菓子の企画部署へ配属が叶ったのが今年の4月。もう半年かあ…早い。 正直、ま〜忙しいし、出来ないことが多すぎて毎日無力感に苛まれている。 「理想通りだった?理想と違った?」 そういう質問を幾度となく受けるけれど、これには結構困る。「これがやりたい!」と希望を語ってそれだけを仕事にできてハッピー、なんて。そんな馬鹿な妄想を抱いていた訳じゃない。何でも良い、

    • 自分を思い出せる、好きなこと

      言葉の暴力を、甘く考えないで欲しい。 死ねとか、そういう存在を否定するような分かりやすいものばかりがソレではない。誰にとっても大したことのない文字の羅列だとしても、世界でたった一人、私にだけは効くみたいな呪いだって存在するのだ。 私が意にそぐわないことを発言すると、あの人はよく、「きれるよ」と言う。どんな気持ちでその言葉を使うのだろう。その4文字が私にとってどれだけ残酷な言葉か知っていて、敢えて使うのか。電話越しで私が、溢れて止まらない涙と震えで呼吸ができなくなっているの

      • 好きで、好き。

        好きになること。好かれること。 当たり前にやっている人が沢山いるけど、実は結構難しいことだと思う。 自分は世界の誰からも好かれていないと卑下するほど烏滸がましい若気の病は、流石にもう捨てた。 そう思いたいけれど、傷跡って憎たらしくいつまでも残るものだ。 人と良い感じのコミュニケーションが取れた時、心が跳ねる。 あ、なんか今うまくやれたな、って。 それと同時に、必ず思い出す、心の裏側にこびりついた寒い気持ち。 (相手の目に映る自分は、本当に間違いなく自分なのだろうか) (醜

        • 自分癒しの達人になりたい

          これしか書くことが無いのかと、そろそろ怒られそう。誰にだ。多分皆は優しいから怒らないし、たとえ怒られたところで「じゃあ読み飛ばしてくれても…」と思っているので、なんだ?私は何からの叱咤を恐れているのか。あぁそう、結局は自分勝手に自分を責めるだけの自己満足野郎なのだ、私は。 というわけで、今週もまあ、ほんっっっっとうにまあ、忙しかったね、仕事が。 心が壊れることを心配されたりもしたけれど、なんか、アレだ。「どうやってお空を飛ぶの?」理論で、片足が落ちきる前にもう片方の足を踏

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          忙しくてGODIVAに通い過ぎた限界OLの話

          他人の色々なことが、羨ましくて苦手だ。 マニュキアや巻いた髪が綺麗でフワリと良い香りを漂わせたお姉さん。 凄いな、そうやって自分を磨く心の余裕があるのか。 電車で静かな所作でもって小説のページをめくるご婦人。 いいな、私も本は大好きなのに、読みたいのに。いつの間にか、活字を自分の脳でイメージに変換させていくだけのエネルギーが尽きていて、ぼんやり簡単な漫画を追うだけで精一杯になった。 カフェでパソコンをカタカタ打っているお兄さん。 いや私も似たようなことはやっているんだけ

          忙しくてGODIVAに通い過ぎた限界OLの話

          とりあえず「今が楽しければいい」を実践しながら生きれば大丈夫な気がする

          今が楽しければいいじゃん♪ って言いながら嫌なことから目を背けて毎日をハッピーに生きる。 どうして人生は、そういうことを許してはくれないのか。 どんなに明るく楽しく見える人も、鋼の心を持っていそうな人だって、過去のどこかで傷付いた経験くらいあるはずだ。 自分にはそういう感情が無いのだと豪語する人ですら、そのことに対してなんだかんだ苦しんでいるじゃないか。 一度大きく傷ついたことを自覚してしまうと、それ以上傷口を深めたり増やしたりしないようにリスクを忌避するようになる。

          とりあえず「今が楽しければいい」を実践しながら生きれば大丈夫な気がする

          毎日が辛いから出会える幸せもあったりする

          一週間…はっやいなあ!!! 皆々様は、無事に三連休が始まっているのでしょうか。休暇中に娯楽を謳歌する人が多いということはつまり、仕事がめっちゃ大変になる人も多いということですね。 はい、私はそれとは全く関係なく、急遽3連休が1連休になることが決まりました。…連休ですらない……。 直近で5千円~8千円くらいの夜に入れてた予約を4つほどドタキャンした。全額支払いのやつは、わりと結構悲しい。 そんな明日は、夜に1万円先払いのワイン会に参加することを決めていた。間に合うかどうか

          毎日が辛いから出会える幸せもあったりする

          ずっと言葉を探している

          ずっと、何か特別な言葉に焦がれている。 それなのに案外簡単な言葉に救われるし、殺される。 最近は忙しさを言い訳に全然時間を確保できていないのだけれど、本を読むのが好きだ。想いが溢れ過ぎた粘着質な愛憎の表現、レトリックのきいた奇跡みたいに芸術的な言葉。絶対に自分からは生まれ得ない文字の羅列に出会うと、静かにゾクリと変な気持ちになる。お酒を飲んだ時よりも酔ったみたい。あの感覚が、人生の充実感そのものなのではという気さえしてくる。 きっとこういうの部類の人間は、俗世を嫌悪し孤独

          ずっと言葉を探している

          頑張るって何ですか?私は頑張れていますか??

          頑張ってる人って、凄く沢山いるじゃん? 企業の経営をして、世の中をこんな風に良くしたいんだ!って理想を語る人。 誰かの心を捉えて揺さぶる作品を生み出せる人。 別に私もそういう風になりたいとかじゃないんだけどさ、でもやっぱり考えてしまうよ。 あ〜…私、何にも無いなって。 頑張ったよね。 人からそう評価してもらえることは、有難いことにわりとある。 大人しくて真面目でつまらない子。私はそういう典型だったように思う。友達がいなかった訳じゃない。親友と呼べる程に仲の良い子がいた

          頑張るって何ですか?私は頑張れていますか??

          無意味な大好きを捨てずに生きたい

          本当は意味のないことが好きなんだ。 いつからだったろう、どんな物事にも意味を求めるようになったのは。 思春期真っ只中の頃、私も多くの人の例に漏れず人間関係の理不尽さに晒されて、ロジックに向き合うことを辞めた。「そんなもんだ」と諦めた。 …はずなんだけどね。人生そう分かりやすくはまとまらない。 他人は「自分が正しいから」でまかり通るというのに、私の方は確実な根拠を提示しないと誰も信じてくれないじゃないか。 別に「私だけが分かってもらえない」なんて自暴自棄になっているわけでは

          無意味な大好きを捨てずに生きたい

          だから私は、仕事帰りにリッツカールトンに行く

          「好き」を大切に、毎日を生きていたい。 最近はnoteでも中々引くくらい鬱々とした記事を連続してしまったわけだけれど。それは例えばドラマなどでよく見かける、暗い部屋に埋もれて完全に塞ぎ込んで荒れている感じとも違う。 休日だって外に出る。 気合いは入れすぎない、アイロンをかけなくても大丈夫なタイプの洋服で少しお洒落に着飾る。お気に入りのイヤリングをつけて、髪に良い感じの香りのスプレーをかけて。お化粧は…苦手だけど、まあマスクで隠せばOKか〜。 辛くてもまずは笑顔になること

          だから私は、仕事帰りにリッツカールトンに行く

          20代があと1年で終了します

          20代最後の誕生日でした。 こんなにもバタバタと余裕のない感じで始まるとは…。それも含めて、「10代最後の」と言っていた10年前の私は、今の私のことを想像できたかな。 いや、できるはずないよな。 凄く大きく変わったわけではないと思う。本質的に、私は私。そんなに変わらないな~という部分も沢山ある。10年もあれば、もっと色々なことを得られただろうと自己嫌悪にもなる。 でもさ、なんというか、なんだかんだ頑張ったよな、自分のペースで。 あの頃は自分の人生の空っぽさに絶望した。

          20代があと1年で終了します

          「鬱病だから絶望している可哀そう」ではないんだよなあ、という話

          以前はただの根暗なだけだったのでは?と思えるくらいには明らかに今は、典型的な鬱病だと言えてしまう。 別に特別な理由なんて無いんだ。 「こんな幸せなはずなのに心がしんどいの、私弱すぎでは?」の無限泥沼暗黒のループから抜け出せた訳では全くもってないのだけれど。 でもさ、沢山考えて行き着く先は、結局いつも「とはいえ、しんどいもんはしんどいんだから、仕方がないじゃんね」である。 そもそも、比較するものではないという議論は置いておくとしても比較する対象すらおかしいのだ。 「私は幸

          「鬱病だから絶望している可哀そう」ではないんだよなあ、という話

          好き、嫌い、好き

          "この全世界の人に嫌われたら 多分幸せに死ねるでしょう” そんな歌詞から始まる曲を聴いて、少しだけ…そうだなあと共感してしまった。 私は人が好きだ。 人から好かれたいから。 ただの軽薄な打算にまみれた、綺麗じゃない好意。 私はきっと本当は、人が嫌いなんだと思う。 嫌いというか怖い、かな。 でもそんな風に接して上手くいくコミュニケーションなんてありっこないじゃん。 だから、人が好きなフリをしている。 女性は猫を被って生きるものだと言う。「はぁ?ウザ、消えろカス」とか心の中

          好き、嫌い、好き

          それでも私は嘘を捨てずにフリを続けて生きる

          幸せなフリをする。 ニセモノだって本当に混ぜてしまえばいつかホンモノになる、なんて戯言を信じてみる。 そうやって、毎日を生きている。 大丈夫、ちゃんと笑えていると思う。大丈夫、不器用ながらもちゃんと頑張っているように見えているはずだ。大丈夫、嫌われてないよ。大丈夫、大丈夫、今日も明日も1年後も、きっと私は幸せそうに生きられている。 それは絶対に間違ってない、はずなのにさ。幸せな自分に置き去りにされて、手を伸ばしても全然届かないくらいに離れてしまった自分がある。境界を曖昧に

          それでも私は嘘を捨てずにフリを続けて生きる

          「幸せvs辛い」に新しい自分で挑むために、今日もカフェに行く

          幸せだけど、生きているのが辛くて堪らない。 それは甘えだと思うし。かといって人から「大丈夫だよ」なんて楽観的な言葉を投げかけられたら、それは優しさだと分かりつつも、「は?お前に私の気持ちなんて分かるか」とモヤモヤするし、じゃあ放っておかれるのがいいのかといえば、それはそれで心の黒ずみは広がっていくし。そして追い討ちのように、そんな思考サイクルを辿るしかない自分への自己嫌悪大会が始まる。 最近SNSでも近くにそういう人が増えたなという気がしている。私自身がそうだから、めちゃく

          「幸せvs辛い」に新しい自分で挑むために、今日もカフェに行く