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永田紅『いま二センチ』(砂子屋書房)

 2012年から2015年末までの4年間、作者36歳から40歳の488首を収めた第五歌集。研究者として働くⅠ部、妊娠、出産後を描くⅡ部、研究に復帰した後を描くⅢ部で構成されている。忙しく働く日々と子と二人過ごす育休の日々、また子供を育てながらの研究生活と、充実した濃い日常が描かれる。描写と心情のバランスが心地良い歌が多い。

年月に無限希釈をされながら負の感情は色をうしなう
 強い負の感情。悲しみ、怒り、憎しみ、恨み、など。それらを薄めてくれるのは時間だけだ。忘れようと、この感情を薄めようと努力しても上手く行かない。辛い思いを抱えていても時だけは着実に経つ。時は無限に続く。そして年月が経った時、負の感情は少しずつその激越な色を失っていくのだ。無限希釈の語の元々の理系の意味を知らなくてもこの歌は読めると思う。

上澄みを生きているのはつまらないアメンボ飛び出すときの脚力
 アメンボに喩えて自分の生き様を詠う。水の上、水面の部分だけをスイスイすべっていくアメンボ。そんな風に人生の上澄みだけを生きているのはつまらない。アメンボは今いる水たまりの水が無くなったら、翅を拡げて次の水たまりへと飛んでいく。動画などを見ると、飛ぶ瞬間、脚を伸ばして蹴っているように見える。主体自身も、より深い生き方を求めて、新しい水を求めて、脚を伸ばして飛び立つのだ。

生者には足らざる時間ヒナギクの日向に咲けば死後より借りたし
 誰にとっても生きている時間より、死んだ後の時間の方が長い。生きている者にとって足りない時間を、死後の時間より借りたいのだ。「ヒナギクの日向に咲けば」は意味的な要素は薄いのだが、日向にヒナギクが咲く、無時間的な映像が頭に浮かぶため、読んでいる者は自分の死後の果てしない時間を思い描く。情景を加え、歌を理屈に落とさないための装飾的な語句だが、この歌の必須の要素なのだ。

個体発生は系統発生を繰り返す タツノオトシゴ経て来し我も
 全ての生き物の発生は系統発生と同じ過程をたどる。理科の教科書に載っている、系統発生の図を全ての人はたどってきた。主体自身もタツノオトシゴのような変化を経てきたのだ。今、主体の胎内には小さな生命が宿っている。この生命もやはり系統発生を経て生まれて来るのだ。

君のいる間は我も大丈夫 安心は藁の色を束ねて
 この上句はシンプルだけれど本当に暖かい。読んでいる者も、大丈夫な気持ちになる。藁の色、という地味な茶色、その色を束ねることによって、安心な気持ちが表される。その藁の上にホッとした気持ちのまま眠りたくなる歌だ。配偶者への信頼感に満ちた歌。

菜の花は色か光か、川の辺は風か湿度か ともかくも春
 川辺に咲く菜の花。春になると眩しく風景を染め上げる。それは色で染めているのか、光でか。川辺に風が吹いているのか、湿度が空気の中に満ちているのか。そんなことを考えながら、ともかく春を満喫する。

掛け布団をぱったんぱったん蹴り上げる脚が見たくてまた掛けにけり
 新生児はただ横になっているだけだが、やがて成長して手や足を元気に動かすようになる。掛け布団を掛けておいたら、脚でぱったんぱったん蹴り上げて、とうとう掛け布団をはねのけてしまった。その脚の動きが愛らしい。もう一度見たくてまた掛け布団を掛けてやる。子の立場からしたら、せっかくはねのけたのに、という気分かもしれない。

こぐまっぽくなりたる汝に穿かせやる水玉模様のみじかきズボン
 子が成長して、丸々と太り、子熊のような体型になってきた。動きも子熊のようだ。「○○っぽく」という言葉遣いが、全体に文語体の歌に話し言葉風の軽みを添えている。水玉模様の短いズボンを穿いたら益々ころんとした体型が強調されることだろう。子育てのほんの短い時間を優しく切り取った歌。

   育児休業は、子の一歳の誕生日の前日まで
休みのうちに休みのうちにと皆が言う平日日中まぼろしの時間
 育休の間は時間があるはずだから、休みのうちにあれもやっておけば、これもやっておけばと周りの者が言う。たしかにその通りなのだが、平日の日中の時間は何もしていなくても、あっと言う間に過ぎてしまう。まぼろしの時間なのだ。実は色々やっていても家事は結果が目に見えない。特に子育ての間は現状維持すらできないこともある。主体は、家事の片付かない家で、実はしたかったことを思い浮かべているのだ。

愛し足らざりし思いに竹の葉のさやぎ止まざり あとであとでと
 これは迷い込んできた猫を詠った歌だが、人間に対しても当てはまる感情だと思う。もっと愛しておけば良かった、日々の忙しさにかまけて、後で後でと思っている内に愛すべき対象がいなくなってしまう。他の歌から猫がいなくなった、と分かるが、また野良に戻って出て行ったのか、命を終えてしまったのかは分からない。分かるのは、ただいなくなったということ。愛し足らなかった思いに心がざわめき続ける。竹の葉のさやぎが止まらないように。子が成長して、もうひたすらに可愛がれなくなってしまった時の思いにも通じる歌だ。

番外編
唐突に東京の人は訊ねたり必死のぱっちのぱっちって何?
 こういうユーモアの歌が混じっているのがこの歌集のいいところ。作者の余裕を感じさせる。「ぱっち」ってズボンの下に穿く下着のことでしょう。昭和のお父さんがもれなく穿いていたような。それをなぜ「必死のぱっち」と言うのかは関西人の私にも分からない。分からないけど言うよね、必死だけど少しだけ余裕がある時に。

砂子屋書房 2023.3. 定価本体3000円+税



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