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郡司和斗『遠い感』(短歌研究社)

 第一歌集。18歳から24歳(2017年~2023年)の333首を収める。淡々とした日常を掬い取る目線。何かが起こるわけでもない毎日が描かれる。家族の中では子供の立ち位置だが、社会的には既に子供ではない。それでも大人の側に立つことにはまだ納得していない。身の回りの物の選びが主体の生活を浮き上げらせる。A and(or)not A的なフレーズの反復が特徴的だ。

いつでも真剣(マジ)どこでも本気(マジ)と書かれてるTシャツを着てする皿洗い(P14)
 アルバイトの場面だろう。ひたすらに皿を洗っている。主体が着ているTシャツには初句二句のような言葉が書かれている。マジはもともと「真面目(マジメ)」の省略形だったと思うが、初句の意味でも二句の意味でも使われている。おそらく主体は皿洗いにそんなに真剣な訳ではない。自分の背中を自分で見ているような視線だ。

フリスビーの軌道のようなやさしさを受けとってまた投げかえす朝(P17)
 フリスビーはそれ自身やさしく回りながら、円を描いて空を横切る。そして相手に届く。受け取った相手からもまた軌道を描いて返ってくる。そんなフリスビーにも似た相手との交感。言葉でもあるだろうし、言葉にならない感情の交感でもあるのだ。

エスカレーターのベルトに今日もがんばると爪で削ってある日曜日 (P34)
 誰かがエスカレーターの手摺りのベルトに「今日もがんばる」と爪で削って書き込み、さらにそれを棒線で消した。そんなに素早く書き込めるものなのだろうか、とも思うのだが。一度がんばろうと自分を奮い立たせてみたものの、やっぱり嫌になり、あるいは出来ないと思い、爪で消した。そんな見も知らぬ誰かの心の動きが可視化されてしまった。その時の主体の心動きが共感なのか、冷静なものなのか分からない。ただ、それに気づいてしまった日曜日。

ふつうにもっと長く生きられたんだけど、ふつうにもっと 石油ストーブ(P41)
 祖母の逝去にともなう一連から。上句は誰か、親戚の者の言葉だろう。祖母が無理をしてがんばり過ぎたということか、あるいは思いがけない病を得たということかは分からない。しかし主体はそっと四句でその言葉を繰り返す。「ふつうに」って何だ。どうすれば祖母はもっと長生きできたのか。そんな思いを持つ主体の目に石油ストーブが入ってくる。おさらく旧式な、祖母の愛用の石油ストーブだ。

それは 誰 から 聞いた話? エアコンの風でゆれるカレンダー (P55)
 5・8・5・6・5と取った。韻律に収まらないところに、実際の会話をそのまま入れた感がある。初句二句は主体ではなく、相手の発言と取った。エアコンの風が強過ぎて、言葉が途切れて聞こえる。あるいは相手はどこかためらいがちに途切れ途切れ話したのかも知れない。エアコンの風に語尾が震えるようだ。四句結句の字足らずは不思議にあまり気にならない。体言止めだからかもしれない。

会話ってつくづく反射神経と思う 名前のわからない花 (P77)
 会話を滑らかに続けるには反射神経が要る。返すには返せても気の利いた返しとなるとなかなか。会話をしながら自分には会話用の反射神経が充分にないのではないかと感じている主体。目の前にあるのは名前のわからない花。この花を話題にしてちょっと話をずらすこともできなくはないけれど、何となくそうもしないでいる。

ないならないで生きてこられた毎日の煙草のときしか開けない小窓(P90)
 「ない」が何と考えるかで意味が変わってしまう。「こられた」を連体と取るか終止と取るかと同じことだが。私としては「こられた」は終止形で、そこでいったん切れると取った。何が「ない」かは一首の中に書かれていない。そういうものは無数にある。あったから依存したけど、なかったらなかったでそれなりにしただろう、そういうもの。連体形で、「ない」のは「小窓」とも考えられるがそれだと歌が小さくなると思った。煙草用の小窓を開けながら、上句の思いを反芻しているのだと思う。

っざけんなと思った夜があっていい なくってもいい 焚き火の夜に (P90)
 友人と焚き火をしている場面だろう。何かに対して「ふざけんな」と思った、そんな時があっていい、そしてなくってもいい。焚き火をしながら回想しているのだと取った。初句の入り方にインパクトがある。

会いたいとおんなじくらい会えなくていい うずまきに皮剥く林檎 (P98)
 会いたいと思うのと同じくらい、会えない時間が過ぎてもいい。会いたいと思っていながら会えない方が、会いたい気持ちが味わえる。林檎の皮を渦巻き状に途切れずに剝くことが時間の経過を表している。

髪型が変わって誰かわからない(わけない)LIVE(こともない)STAGE (P129)
 ライブにも色々あるが、下句のリズムからバンドと取った。何人かいるメンバーの中に髪型が変わって誰か分からない人がいる。けれど全員知っているメンバーなんだからそんなことは有り得ない。と思ったが、そうでもない、やっぱり分かり難い。そんな思考の流れが音楽のノリの切れ目切れ目に感じられる。

なお、
いーじゃんいーじゃん 春だけ電車が止まる駅 すげーじゃん 梅満開の庭(P75)
の「いーじゃんいーじゃん」「すげーじゃん」は『仮面ライダー電王』のテーマソング「Climax Jump」からだと思うが、こうした、世代が違うと分かり難い元ネタがもっと他にもあるのかなと思って読んだ。

短歌研究社 2023.9. 定価:本体2000円(税別)




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