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山階基『夜を着こなせたなら』(短歌研究社)

 第二歌集。人と人との関係の不全感。その感覚に傷つきながらも、自他を見つめて、丁寧に詠い留めている。モノが体感を感じさせるような歌に惹かれた。

頬に雨あたりはじめる風のなか生きているのに慣れるのはいつ(P6)
 巻頭歌。「あたりはじめる」は連体形。三句切れと取った。風に雨が混じり始める。それが少し頬に触れる。雨の降り始めを知ると共に、下句のような感慨が胸に兆す。今まで生きていることに慣れたと思えたことが無かった。いつも不慣れな生の場面に気持ちがついていかない。

泣きながら打ち明けるときねこじゃらし引き抜くような手ごたえがくる(P14)
 三句以下の体感に共感する。草抜きをする時に、土の表面辺りの茎がプチンと切れてしまうことも多いが、根っこから引き抜ける時の手応えはかなり気持ちがいい。泣きながら自分の深い気持ちを打ち明ける時に、ねこじゃらしを引き抜く時のような体感がある。

向きを変えた磁石たがいにすがりつくわたしの嘘がわたしにばれる(P16)
 置いていた磁石が勝手に向きを変えて、お互いにすがりつくように引っ付いてしまうことがある。磁石と磁石の間に生じる抗い難い力。その時、自分を騙すためについていた嘘が自分にばれてしまう。磁石に引き付けられるように自分の建前が剥がれ、本音が見えてしまうのだ。「すがりつく」の語が心境を引き出して来る。

水にきしむ氷よときにうながすと追い詰めるとはあまりにも似て(P27)
 氷を水に浮かべると、軋むような音を立てることが確かにある。何か追い詰められた生き物の声のような音。さあ、話してみてと促すことは、時に相手の言いたくない、相手自身が見たくないものに直面させることに繋がる。相手を支えようとして逆に追い詰めてしまうのだ。それに気づく時、自分も相手もあまりにも孤独なのだと思い知る。

笑みながら息つくきみの嘘は橋ひとたびきみを渡せば朽ちる(P45)
 笑いながら君が嘘をつく。それはきみが主体から逃れようとしてのことかもしれない。嘘という橋を渡らせてしまったら、君と主体の間に何も残らない。橋自体が朽ちて崩れてしまう。それでも君が橋を渡って行くことを止められない。その笑みを見ていることしかできないのだ。

さざんかは雪の視界にねじこまれ生まれることに理由はいらない(P83)
 雪を見ている。視界が雪に覆われている。その視界にねじ込まれるように山茶花が入って来る。鮮やかな赤の山茶花なのだろう。白の中の赤。それは見るべくして見てしまったもの。花が咲くのも人や動物などの生命が生まれるのも何も理由は要らない。花はそこにあるだけ。おそらく自分も。

アーモンドフィッシュを皿にざらざらとおいで心にならない心(P91)
 酒を飲む時のつまみを用意している場面だろう。「皿にざらざら」のオノマトペが心地良い。酒とつまみを手に少しの時間を過ごす。その時、心にまだなり切らない、感情以前の感情が自分に訪れる。それを待つ。おいで、と優しく呟きながら。

染みていくインクのように暮らしたい小さな川の流れる地図に(P91)
 住んでいる町の地図。その地図に染みていくインクのように少しずつ動ける範囲を増やして暮らしてゆきたい。小さな川は小さいままにどこかここでは無い場所に繋がっている。この地図は住んでいる町の地図でなくても、オブジェのようなものでもいいと思った。部屋の壁に掛かっているどこかの町の、あるいは架空の町の地図を見ながら心をそこへ映しているのかも知れない。

曇り日は光とぼしい長回し生きるほかには賭けごとをせず(P95)
 曇り日の一日は、映画で言えば、光量の少ないままに長回しで撮った場面のようなものだ。長い場面をただ生きる。生きるということは賭けに他ならないが、それ以外の賭けはしない。ただ生きるというだけでもかなりのリスクが感じられるのだ。

この岸にただ遠雷を待つと言うただ待つと言うかすれて青く(P112)
 岸に立って遠雷を待っている人。岸も遠雷も何かの象徴のようだが、それは何かということは突き詰めないでもいいのだろう。その人はただ待っている。その姿は風景の中で青くかすれたように見える。主体はそのように待てないのだ。その人と主体の価値観は今は遠ざかったしまったのだ。

短歌研究社 2023.11. 定価:本体2000円(税別)

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