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楠誓英『薄明宮』(短歌研究社)

 第三歌集。第二歌集に続いて死の影が濃い。亡き父、亡き兄だけではなく、阪神淡路大震災や明石の歩道橋事故のような集団としての惨事も、場が持つ記憶として作者は感じ取っている。風景という横の視点と、時間という縦の視点、その交差する場所から発ち現れる亡き人々の姿や声を、この歌集は書き留めている。

いつからが死後なのだろう滝壺にまはりつづけるボールのありて(P35)
 捨てられたボールが滝壺で回り続けている。誰かが取り除かなければいつまでも回り続けるだろう。あるいは物体としてのボールが亡びるまでずっと。ボールそのものは生命体ではないのだが、それを見て主体は生命体にとっての死後はいつからなのかと考えている。本来の用をなさなくなっても回り続けるボールに生命体の死に繋がる無惨を感じ取っている。同じ連作には用の終わった物の歌が他にもあり、無生物の死という視点を感じる。

廃屋をのみ込んで咲く野朝顔のひとつひとつの青色の脳(P41)
 野生の朝顔でありながら廃屋を覆うほどの生命力。想像されるのは外来種のヘブンリーブル―だろうか。高貴な名前とは裏腹の荒々しいほどの強靭さを持っている。そのひとつひとつの花に脳があると見立てた。何かを考える力だろうか。臓器としての脳そのものの生々しさも感じられる。青い臓器というどこか空恐ろしいイメージも喚起される。

ぬいだシャツで胸をふくきみ遠ければ海境(うなさか)にたつ檣(ほばしら)となる(P45)
 汗をかいてシャツを脱ぎ、それで胸を拭いている君。その姿はすぐそばにあるのに遠くにあるようだ。まるで海の果て、ここからは神の領域といえる場所に停泊する船の檣のようだ。見えるけれども手が届くことはない。きみは主体の気持ちに無頓着に身体をただ拭いている。
 
こんなにも羊歯におほわれきみの前なんにも言はない樹は僕だつた(P50)
 君に言いたいこと、言わなければならないことがたくさんあるのに、羊歯に覆われてしまったかのように口が塞がれている。何も言えない、何も言わない。立ち尽くすだけ。思いの深さが却って際立つ。僕は樹、ではなく、樹は僕、なのがいいと思った。

灯のしろくにじみて流れる路地となる雨にぬれたるきみのうなじの(P54)
 
家々の灯りが白く滲み出て、雨に濡れた路地を光が流れて行くようだ。それは路地の風景でもあり、きみのうなじの描写でもある。雨に濡れて白い光を流すように浮かべる路地と、きみのうなじの白さが繋がる。言い差しの結句に余韻がある。

耳塚に鶏頭の供花赤黒く死は終はりなき始まりなれば(P80)

 敗戦の兵の耳や鼻を削いだものを供養する耳塚。供養のためとはいえ供えられた鶏頭は毒々しい赤さだ。生が終わったところに死が始まる。しかし死には終わりが無い。耳や鼻を削がれた兵たちは死によっても安寧を得られず、終わりの無い死の中で苦しんでいるかのようだ。輪廻転生も何もない、永劫に続く死の時間を感じる。

子をもつはどんなおもひか奇妙なる獣の遊具ふたりして乗る(P121)
 何の動物か分からないが、子供から見れば可愛い、大人から見れば奇妙な動物。デフォルメされた象さんなり熊さんなりの形の遊具に大人が二人乗っているのは、やや不自然な光景ともいえる。子供がいれば一緒に乗るのだろうし、それであれば動物の姿も奇妙には見えないだろう。動物ではなく獣と言っているところに、いたかもしれない子供の不在が強く表されている。

感情はいつか途切れるきみとゆく桟橋もまた終はりのあるを(P122)
 感情がいつか途切れるのは、それが強く激しいものだからかもしれない。今きみと歩いてゆく桟橋に終わりがあるように相手を恋しく思う感情にも終わりがあるのだ。上句が下句の喩であり、下句が上句の喩であるような構造の一首。激しい感情に心をゆだねながら、その終わりを予感する。そこに矛盾は無い。一連には橋を詠った印象的な歌が多くあった。

生くるとは忘るることか肉声の肉塊(にく)から闇に細りてゆくも(P130)
 背景には声の持ち主の死があるようだが、一般論として、楽しいことも辛いことも生きていれば忘れてゆく。全てを覚えていれば生きていくことなどできないだろう。生きるとは忘れることかという箴言めいた問いがまず二句切れで立てられる。肉声は生身の身体から発されて、闇に吸われるように消えていく。細くなりながら、記憶の中を薄れていく肉声。いつかふいに思い出すことがあるかも知れないが、今は消えていくにまかせるしかないのだ。

出棺の合図の鳴りて掌を合はす生きるひとのみ息白くして(P158)
 出棺の合図で手を合わせて拝むのは見送る生者のみ。それを強く意識するのは、黙って手を合わす人々の口から白い息が漏れているのが見えるからだ。送られる死者は息を吐かずそのまま運ばれて行く。当たり前のことのようではあるが、下句のように詠われると、読者もそれを発見のように再認識する。

短歌研究社 2024.1. 定価:本体2100円+税

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