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山本夏子『空を鳴らして』(現代短歌社)

 第一歌集。現代短歌社賞受賞歌集。28歳から37歳までの347首を収める。仕事の歌、地域を詠った歌、そして後半の妊娠出産から子育ての歌に惹かれた。大きな言葉でまとめずに、小さな物を丁寧に一つ一つ手触りのある歌にしている。燕やうさぎなどの小動物への視線もやさしい。同様に他人の子であっても観察の行き届いた歌が心に響いた。

いくたびも剝がした跡の上に貼る私の名前もまた剥がされる
 派遣社員として勤め始めた時の歌。おそらくロッカーか何か、名前シールを貼ろうとしているのだろう。自分の前に勤めていた人の名前が繰り返し、貼ったり剥がされたりしている。今から貼る自分の名前も、早ければ契約の切れる一年後には剥がされるのだ。物を詠いながら、短期契約で働くときの、棘に触れたような心境を滲ませる。

上履きが片方道に落ちている木星みたいな裏側見せて
 街の風景をスケッチするのが上手い作者。小さな物に観察眼を働かせ、次々と描いていく。一連を読むと街の風景が浮き上がる。この歌は何でもない上履きの歌だが、「木星みたいな裏側」という比喩が光る。読者は木星みたいな裏側って何?と咄嗟に思いつつ、理科の教科書などに載っているこの惑星の写真を確認するだろう。白茶の縞模様のちょっと大きな惑星を。

ここからはちがう神様県道を隔てて異なる提灯の文字
 これも観察眼の生きた歌。神社にはそれぞれ氏子の住む地域があり、どこかで他の神社の地域と分かれる。この歌に描かれた街の場合は、県道が境界になっている。たった一本道を隔てただけなのに、ここから先は違う神様の氏子の街。それがはっきり分かるのは提灯に書かれた文字だ。誰もがそう言えば見ていたはず、の風景が、この歌でくっきり眼前する。

山積みにされたレタスをひとつ選る子どもの頭を摑むみたいに
 スーパーで山積みされたレタスを一つ取って、カゴに入れる。ありふれた動作なのだが、この下句のように言われると結構怖い。自分の中の、何か抗えない力が衝動的に子供を摑んで連れて行くかのようだ。誰にでもふと兆す暴力性と言ってしまえば大袈裟か。それでも胸に迫るものがある。

白い骨に見える日がある雲のない空を音なくすべる飛行機
 初句六音、二句切れ。「日がある」ということは、普段はそうは見えていないということだろう。普段は飛行機を飛行機として認識している。けれども時々、音も無く空をすべって行くように滑らかに移動する飛行機が、一瞬白い骨に見えることがある。「日がある」にはそれが一度では無いことも込められている。何かの予感のように白い骨を空に見るのだ。

「好きな子の二位はいないの?」ランドセル揺らして女子が男子を囲む
 この実行力と迫力が怖い。時代がどんなに変わっても、小学生は基本的にあまり変わらないように思う。この風景は何十年前かに小学生であった人にもすぐ想像できるものだろう。おそらくその男子の「好きな子の一位」になれなかった女子たち、あるいはその友達。せめて二位になりたい、友達を二位にしてあげたい。そんな気持ちで男子を取り囲む。あまり考えずに一位を言ってしまった男子はどうふるまっているのだろう。女子の顔は見えても男子の顔が見えない作り方がうまい。

ひとつずつ毛玉を取って食べているお古のクマを渡してやれば
 これは作者の子の様子だ。お古のクマのぬいぐるみ。可愛いのだが、前の子がよく使っていて、毛玉が出来ている。ぬいぐるみを舐めるだろうな、ぐらいは予想していただろうが、毛玉を毟り取って食べるとは。それも丁寧に一つずつちぎって。子どもの行動はいつも大人の予想の斜め上。その行動を詠うだけで、大人の呆れ顔までが浮かび上がってくる。

前髪を短く切ればおさなごにもっと幼い顔のあること
 発見の歌。今までも「おさなご」であったのだが、前髪を短く切ってやると、今までよりもっと幼い顔になった。幼い顔の中に、より幼い顔がしまわれていて、それが髪を切ることによって出て来たかのようだ。日に日に成長を感じていた子が、今急にもっと小さかった時に戻ったような。このちょっとした驚きはまさに短歌でしか掴まえられないものだと思う。

諦めると許すは違うことだから 落ちてくれない歯みがきの染み
 おそらく配偶者との心の齟齬を詠った歌。相手に対して何かを諦めたのだが、それは許したこととは違う。それを相手は分かってくれない。許されたと思っているのだ。そんな行き違いで、心に染みができてしまったようだ。まるで落ちてくれない歯みがきの染みのようにずっと心にわだかまり続ける。それが相手には通じないのだ。

わたしには見えない罅のあったこと無色の水を花瓶に注ぐ
 人の心を知ることはできない。人の心に、あるいは人の自分に対する気持ちにいつの間にか罅が入っていた。でもそれは主体には見えなかった。ちょうど水に色を見ることができないように。今水を注いでいるこの花瓶であっても、罅があれば水が浸み出すだろう。今のところ、この花瓶にはまだ罅が入っていないようだ。しかし今後、一度でも罅が入ったら、もう修復できないのではないか。そんな不安が感じられる歌だ。

現代短歌社 2017.8. 定価 本体2500円+税


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