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松本典子『せかいの影絵』(短歌研究社)

 第四歌集。2017年から2022年の387首を収める。この期間の世界情勢を反映した社会詠が多いことが特徴である。また家族や知人の老いや死を詠った歌は切実な響きを持つ。タイトルの通り、常に世界を影の側から静かに見つめる視線が印象的だ。

マッチはいかが(たすけて)とふ少女のこゑを聴きとれぬいまも街のだれもが
 マッチはいかが/(たすけて)とふ/少女のこゑを/聞き取れぬ今も/街のだれもが 七六七八七だろうか。かなりの破調で畳み掛けるように詠われている。「マッチはいかが」イコール「たすけて」なのだが、その少女の声は、アンデルセンが「マッチ売りの少女」を書いた19世紀半ばも現在も、聴き取られることはない。貧困であっても戦争に巻き込まれたことであっても、常に弱い者の声はかき消されるという苦みを童話に重ねて描き出す。アンデルセンの救いの無い童話は今も現実を映し続けているのだ。

砲煙、瓦礫、桎梏にあへぎ仰ぐその空へ放つ鳥ジャーナリズムは
 七八五八七。上句がリズムも重く、内容も重い漢語で構成されている。下句がそれを振り捨てるようで清新だ。今どこで何が起こっているのか、知られないままに多くの人がその生を蹂躙されている。知ること知らせることが、それらの悲劇を解決しないまでも、一つの風穴を開けることになる。苦しみながら仰ぐ空へ、放たれる一羽の鳥。ジャーナリズムを具現化した歌だ。

くすりと薬のあひまに食べるやうな母の一合炊いても残るひとりゐ
 食事と食事の合間に薬を飲むというのが一般的な認識だが、それを逆手にとっている。食べずに薬を飲めば胃が荒れる。医者からは食事を摂って下さいと言われているのだろう。母にとっては義務のようになってしまった食事。一合の米を一日かけても食べきれない。現代の家族の一つの典型かもしれない。

突けば飛び散る水風船のかなしみを突かれねば黙しゐつ被災のだれも
 2019年の房総半島を襲った台風は多くの被害をもたらした。災害の多発した平成という時代。この風景は他の被災地にも当てはまる。夏祭りなどの夜店で子供たちが買い求める水風船。突けば、中の水も、風船自体も破裂して飛び散る。しかし誰も突かなければ、それはそれで誰からも労わられることも助けられることも無く放置され、黙り込んでしまうのだ。被災者の置かれた状況を象徴的に表している一首だ。

骨の折れたビニール傘はころげゆき香港を濡らす雨がここにも
 2019年の香港民主化デモを描いた一首。この歌を含む一連は、香港の若者たちの行動を思い見ながら、日本で暮らす自らをも見つめ返している。この革命については、コロナウィルス蔓延に伴って、報道自体が次第に少なくなっていったと記憶する。雨に打たれるビニール傘に香港の人々を重ねながらも、手を出せないでいる主体。それは当時の多くの私たちの心理と重なる。香港を濡らす雨は「ここにも」、主体や読者のいる場所にも降っているのだ。

くせの強いあなたの文字をさがす駅の伝言板 白いチョークの匂ひ
 六七六九七。早口で読むリズムが、大急ぎで伝言板に目を走らせる行為の速さと繋がる。くせの強い文字だから、一目で分かるはずと信じて、端から端まで見る。チョークの匂いもするほど、多くの文字が書かれて消されている。会えたのか会えなかったのか、緊張感のある一首だ。携帯電話が普及する前の、駅の伝言板。現在全く姿を消した、とてもレトロ感の強いアイテムだ。

うがひ手洗ひくりかへす春のひなげしの紙石鹼のやうな花びら
 コロナウィルス蔓延に従って、嗽手洗いの大切さが強調されるようになった。コロナへの恐怖心から、誰もが進んで嗽手洗いをしていた。おそらく2020年春の光景だろう。春に咲くひなげしの花びらを見てさえ、紙石鹼を想起する。あるいは紙石鹼を買って常時持ち歩いていたのかも知れない。その場合、紙石鹼を見てひなげしの花びらを想起していることになる。喩とその対照が逆転しているとも取れる。

キャラバンで商ふ旅もいまは夢サハラ砂漠にも国境はあつて
 砂漠を旅した自身の記憶と、タリバンから逃れようとした人々の報道を重ねて詠んだ一連と取った。挙げた歌は前半の記憶の一首。現在の砂漠の旅は隊商が行き交っていた時代とは違う。サハラ砂漠は自然の一大パノラマだが、そこにも人間の引いた国境線があるのだ。夢と現実を同時に描きながら、なお夢に惹かれる心理が垣間見られる。

   ウクライナの少女の絵
うでも脚も替へられる機械のからだとふ未来図をゑがく戦火の少女
 未来小説の中の人造人間のように、壊れたら腕でも脚でも外して取り換える。機械でできた身体なのだから当然だ。戦火の少女の描く絵は、彼女の願望を表していて戦慄を感じさせる。おそらく彼女の近しい誰かが、あるいは彼女自身が、腕や脚に怪我を負ったのだろう。切断しなければならなかったのかもしれない。それなら外して取り替えたい。機械の身体になりたい。少女の生身の呻くような声が聞こえてくるかのようだ。

感受性を鈍らせどうか生き延びて髪が抜け落ちる治療をまへに
 癌を患った妹。感受性は鋭ければ鋭いほどいいように言われがちだが、苛酷な治療を前に、「感受性を鈍らせ」てほしいと祈る主体。髪が抜け落ちる治療をすれば、鋭い感受性の持ち主なら心が折れてしまうだろう。癌と闘う気力が無くなってしまうかもしれない。そんなことになるぐらいなら、感受性を鈍らせて、そしてどうか生き延びてほしい。慟哭のような、叫びのような一首が、読む者の心に深く喰い込む。

短歌研究社 2023.2. 定価=本体2200円(税別)

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