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『歓待』川野里子

 第六歌集。母の死から逆編年体で綴られた歌集。そのため、歌集冒頭で亡くなった母が、その後の歌に生きた姿で現れる。それが思い出が点滅するようで違和感が無い。延命治療とその停止という、最も残酷な判断を迫られた冒頭の一連「Place to be」が圧巻で、慟哭を誘う。ここ数年で最も強く共感した歌集。『歓待』というタイトルに込められた思いにも感動する。

母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫でてゐるなり

 医療の発達により延命治療で生き延びることのできる人が増えた。しかしそれは人の生として幸福なものだろうか。家族には延命治療を継続するか停止するかという判断を迫られる場面がある。自分で自分の寿命は決められないのに家族は決められるという矛盾。そして作者は母を死なすことを決断する。その苦しみ。しかし自分を死なすことを決めた娘の苦しむ姿を見て、母は娘である作者の頭を撫でる。苦しまなくてもいいよ、と言うかのように。

「また 会おうな」母の母その母の母あつまりてさやさやと愛づ老衰の母

 「  」内は詞書。死ぬことに決まった母の元に、その母、祖母が集まって老衰の母を愛撫する。作者からすれば死んでいった祖母や曾祖母である。皆またあの世で会えるのだ。だから母も作者に、まだ自分が間も無く死ぬと知らないままに、「また会おうな」と告げる。きっと会えるという確信を持っているため、静かに死を受け入れているのである。

「よかった」「何が?」「ぜんぶ」蒼穹は燕飛ばしてあそびをり一羽わが身を貫通したり

 「  」内は詞書。自分の人生をよかった、と捉える母。作者の、何が、という問いかけに、全部と答える。全肯定である。そんな母は死に、作者は空を見上げる。青い空に燕が飛んでいる。母が死んでも世界は何も変わらない。一瞬、燕の鋭い飛翔が身体を貫通したかのような感覚を、作者は持つ。母を死なせた、目に見えぬ痛みが身体を貫通するのだ。

補陀落へゆく舟赤く重たくてこの世の砂を隈々に溜む

 熊野灘の海を訪れた作者は、補陀洛寺の舟を見ている。南方の浄土へ行くために舟に乗って海へ出た、昔の行者たちを思っているのだ。その舟にはこの世の砂が溜まっている。死を賭して海へ出て行く舟に、この世の塵芥が溜まっているのである。この一連では作者の連想は、紀伊国屋の舟、捕鯨用の舟、東日本大震災で根こそぎ攫われた閖上の浜、難民船などへと至る。思想的な深みのある一連だ。

三百万人死なせ終はりぬ人間と桜がたましひとりかふる遊び

 先の大戦での死者は三百万人。桜の散るように潔く、と洗脳されて死んでいった人たち。それを下句のように捉える。「遊び」と捉える儚さ、苦しさ。

国と国揉み合ふあはひ七十年なほ裸なり従軍慰安婦

 従軍慰安婦の補償問題で日本と韓国は七十年間せめぎ合ってきた。二つの国が揉み合っているその隙間に取り残された慰安婦たち。彼女たちは裸のまま、蹂躙されたまま放り出されているのだ。まず大切にすべき人の命と尊厳を蔑ろにしたまま、争う国の愚かさを糾弾する一首。

メイ首相。メルケル首相。日本のをんなら賢く啞のごと生く

 イギリスのメイ首相もドイツのメルケル首相も女性(当時)。矢面に立つことも辞さずに政治の第一線で戦ってきた。傷ついたこともあったろう。そんな辛い立場に立つくらいなら、と日本の女たちは何も言わずに生きる。それを賢いというのはある種の皮肉だろう。作者自身もそんな女の一人なのだ。

家背負ひ思ひ出を背負ひ自らを背負ひ老母(はは)ゆくちよつとそこまで

 老いて認知症を患い、身体の動きもままならない母。彼女は家を背負って生きてきた。そして今思い出と自分の身体を背負って生きている。ちょっとそこまでが果てしなく遠い。もうどこへも行けないぐらい老いているのだ。それでもちょっとそこまでと言って出かけようとする。自分では自分の衰えを認識できない哀しさ。

「応人生相談」の張り紙かかげゆつくりと廃屋となりてゆける薬局

 もう誰も住んでいないかつての薬局。薬局が人生相談にのっていたなんて、いつの時代の話だろう。おそらく昭和の半ばぐらいまでか。悩みに応じて薬や漢方薬を処方していたのかもしれない。その頃の張り紙を掲げたまま廃墟となってゆく店。ある時代そのものが死んでゆくのだ。

病院のベッドはただよふ舟のやうかならずどれも一人乗りにて

 入院した母を見舞う作者。ベッドは人生という海を漂流する小さな舟のようだ、と感じる。誰かと支え合って、助け合って乗ることはできない。どの舟も一人乗り。誰もが自分の命を自分のみで支えなければならないのだ。人が病院で死ぬ時代、白い小さな舟に乗って、最後は誰もが一人で流れていくのだ。

(後書きより)次第に狭量になってゆく世界で、枯れ枝のような一人の老人は、小さな献身の連続によって温められ、尊い命となることができた。それは何という命への歓待であったことか。この、歓待こそ、時代への抗いなのだ。

砂子屋書房 2019年4月 3000円+税




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