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命の管をつながないという選択

「いいです。
つながないでください」

そう、お願いしました。

母は認知症になり、10年以上前から施設にお世話になっています。
ていねいに見てくださり、同居の方と交流もあり。
明るい母はそこで楽しそうに過ごしていました。


でも、去年あたりから急激に症状が進み・・・ぼんやりすることが増えました。

今はとても衰弱しています。
うとうとしながら、意識があったりなかったり。

水分を取ることが難しくなってきました。
水分をとれなくなるということは、すなわち命に直結します。

点滴を入れたら、水分は容易に摂れます。

「点滴をつなぎますか?」

聞かれて、私は断ったのです。
「つながないでください」

一度つなぐと、外すことがすなわち終わりになります。
外せなくなります。

そうして意識のないまま、1年も2年もベッドにいる方も多いです。

悪いわけではありません。
どうしても永らえてほしいということもあります。

「つながない」と決めることも勇気のいることです。

でも、私(と家族)は「つながない」選択をしました。

ふっくらしていた母が、すっかりやせて、頬がこけています。
唇が薄く見えます。

声をかけると反応はするけれど、返事はしないことが多いです。

時には返事をしたり、ひと言ふた言話したり。
まったく意識がないわけではありません。

もう意思を確認することはできません。


でも元気な時に
「無理やり生かされているのとかはイヤだからね。
そういうことはしないで」
キッパリ言ったのです。


何度か危機的なことがあり
「あと数日で覚悟されてください」
そういわれたことが2回あります。

でも母はがんばりました。


私が看病をしているわけではないのです。
施設の方の、ていねいで行き届いたお世話あって、母はやさしい寝顔でいられます。

だから私は日常生活を送っていられるのです。
普通に。
申し訳ないくらいに。

でも。
どこかで、ふっと意識が飛んで。

なんだか集中できなかったり、動揺したり。

そんなことで、なかなかnoteに来られていませんでした。

どうしてでしょう。
心が揺れています。
ハッと胸を突かれることがあるのです。


決断に、迷いはありません。


ただ理屈ではない、動揺や恐ろしさや喪失感が出てくるのでしょうか。

私自身も同じ状況になったら、
「つながないでほしい」とお願いしました。
夫もまた。

ただ「いる」のではなく、自分の意志と意識を持っていたいのです。

それが私の生きる選択です。

なかなかnoteに来られず、申し訳ありません。
私の体の調子が悪いわけではないのです。
時間がないわけでもありません。

ただ、しばらく心がダメージを負っておりました。

また戻ってきますね。

お心遣いに感謝しています。

コメントもゆっくりになりますが、返していきます。
お待ちくださいませ。

いつもありがとうございます。


※写真は母の手ではありません。お借りした写真です。



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