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父の言葉をオブラートに包まないで持っている

「こんなに目の前にあるのに、探せないお前らが悪いんだ」

吐き捨てるようにいう父。

私が10歳くらい。


父が眼鏡を探していたので、母と姉と3人で探し回った。

何分も探して、目の前の本棚の手前のスペースにあるのを見つけて、
「あったよ」と渡した。

ちょっと誇らしげに。

「ああ、そこか」とだけいって、受け取った父に対して

「え~、あんなに探したんだから、お礼くらいいわないの?」
と笑いながら、軽く抗議の声をあげた。

その時の、父の返答だ。

「こんなに目の前にあるのに、探せないお前らが悪いんだ」

顔も見ないで。

残された私たちはシーンとして、元やっていたことに戻った。


父は昔の男、だった。

貧乏な農家から、海軍兵学校へ行き、東大へ行った。
数多い兄弟の中で、大学に入学したのは父ひとりだ。

苦労も多かったらしい。

そのせいなのか、意固地で、不快な言動をよくした。


一方で、私たちをかわいがってもくれた。

ドライブに連れて行き、本を買って帰り・・・。

ただ時どき「女子おんなこどもは」という表現をした。



私は父の言動を、「昔の男性だから」「苦労人だから」「いいところもあった」と、オブラートに包もうとは思わない。

昔でも、苦労人でも、やさしい心遣いのできる男性はいくらでもいたのだから。

かわいがってくれたことと、不快な言動は、別。

一緒には、しない。


思い出すのは直木賞作家で脚本家、エッセイストでもあった向田邦子の『父の詫び状』。

厳しく、いかめしい父が自宅に客を招いた酒宴。保険の外交員が玄関で吐いてしまう。大量の吐しゃ物を掃除する、帰郷した大学生の娘(邦子)。つまようじで、詰まった汚れを細かくほじっているのを見ても何も言わない父。
が、東京へ戻ると手紙が来ていた。その中に「此の度は格別の御働き」とあった。父からの詫び状だった。

彼女は距離を持ちながらも、愛情のこもった瞳で父を見つめている。

「仕方ない」と許すように。

私はまだまだ精神的に幼い。


ただ。


無理に許す必要もない。

許せる、と思ったら流せばいい。

自分のタイミングだ。


いい記憶と、いやな記憶を一緒くたにしないで、それぞれが別々に残っていること。

その方がむしろ自然なのではないだろうか。



ただすでに、いやではなくて「こんなことがあったなあ」と
思い出す程度なのだけど。


甘い記憶も書きたくて。

でも、父のやさしい言葉を、すぐには思い出せなくて・・・。


ただ、夜に読み聞かせをしてくれたのは父で。

よく本を買って帰ってきてくれたのも父で。

「本は近くに置いておくといい」と。

私が本を好きになったのは、父のおかげかもしれない。

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※イラストはけそさんからお借りしました。ありがとうございます。

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