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海外で「日本を愛する子ども」を育てられるか

今日もなんだかモヤモヤするので、自分の頭を整理する意味でも書いています。(我が町に限った話です。)

当地(カナダ・BC)は、戦後の政策のせいもあり、日系人が多く住んでいます。そして、過去の日本人により建てられた立派な日系会館もあります。ここは非営利団体であるため、地域に住む日系人の善意(ボランティア)で成り立っています。

コロナ以前は、定期的に日系人を対象にした行事も行われていました。なにもできないまま2年が過ぎ、「このままどうなるのかな…」と思っていた今年、ようやく少しずつイベントを増やして行こうということになりました。

私は、また子ども達の日本語クラスを受け持つことになりました。そしてさらに今回は、大人の日本語に親しむクラスを受け持つことにしました。(また一生懸命資料探しをしなければ!)

町の日本人に声をかけて、また一からスタート!と動き出したとたん、出てきた問題がこれです。

”10月”に”年会費”25ドルを払ってまで日系会館の会員になるのは嫌

海外での日本語学習

海外で子どもに日本語を学ばせたい人の特徴

海外で子どもに日本語を教えようとする人はこういう人だと思います。

・親のどちらかが日本人
・親の母国に帰ることがある

そして、お金について先に口にする人(実際に言う人)の特徴は、3つあります。(本当に貧困な家庭は、カナダでの生活に見切りを付けて帰国されていると思います)

・まだ日系会館の行事にほとんど参加したことが無い
・家での日本語比重が低い
・配偶者の、日本への興味・関心が低い

私の周辺を見回してみると、大体、日本人女性とカナダ人男性のカップルです(つまり、まぁまぁの生活レベル)。そして男性は、日本での滞在経験があるため、日本語を話せたり、聞き取ることが可能です。(特に流暢に話せる人は日本のお笑いも理解できます。)そういう家庭は、日本語への理解と自身の学習経験があるので、積極的に関わってくれます。

一方で、日本での滞在経験の無い人と結婚している場合、配偶者の祖国への関心が極めて低く、家庭内でも英語。なんなら、日本人側の日本語能力が既に低下している…なんてこともあります。そういう家庭は、日本語を使う事自体にためらい(分からない言葉を話すことを快く思われない)があるので、ますます日本語からは遠のきます。

私の感想としては、この意識の違いが、子どもの成長全てに影響してくると思います。

海外で日本語を教えることの苦労と現状

海外も田舎になると日本語学校はありません。だから、家庭内で「片方が日本語、片方が英語(現地語)を話す」と決めて教えないといけません。

・日本から教材を送ってもらい、毎日少しずつ練習
・正しい文法、自然な言い回しを教える
・【自分が】教えなければならない

家庭での勉強は、物心共に限界があります。なぜなら、親の知識経験にたよるところが大きいからです。そして、予想通り、子どもは親の言うことを聞かず、大人はその態度にイライラします。

・親は、縁あって親になっただけで”教育者”ではありません
・テキストは買って与えれば子どもができるようになると言う物でもありません
・日本語は言語の1つですが、文化とも密接な関わりがあるので、文化的体験を抜きに勉強することは困難です

そういった事から、子どもに日本語を学ばせたい親は、率先して日本語を話せる家庭とつながりを持ち、日本語を話せる子どもと遊ばせます。

コミュニティで助け合った昔の日本人

日本人が数人集まって、何年も同じ地域で暮らせば、「結(ゆい)」みたいなものの案が持ち上がってきます。

ゆい/ゆひ 【結】
農作業などで、互いに労力を提供して助け合うこと。それをする仲間。

Oxford Languagesの定義

北米に住む日本人達は、自分たちのアイデンティティを守るためにも「味噌」や「醤油」を手作りしながら助け合って生活してきました。その最大の形が「日系会館」です。

日系会館の建物は地上1階、地下1階の作りとなっています。門構えは、古風な屋根まである形で、格子戸をくぐると、立派な「もみじ」がお出迎え。これは、当地で造園業を営む日系人が管理してくれています。

玄関ホールは広く、内装には多くの木が使用されています。事務室には沢山の日本語の本があり、誰でも読むことが出来ます。またその隣には「畳の間」があり、神聖な部屋としていつもきれいに飾られています。

大人数が入ることの出来るホールの横には、立派なキッチンが併設されており、イベントの際には大量のお料理を作って暖かいまま配膳することが可能です。

こうした建物を持つことを心から願った昔の日系人は、お互いに持てる技術・労働を提供し合いながら「日本人コミュニティ」を育ててきました。現在で言えば、私が日本で多少なりと指導した(全く分野は違いますが)経験があったので、私が小学生以上を受け持っているようなものです。

日本語が話せるから日本語教師になれるか問題

日本語が話せるからといって

私は、日本語教師ではありません。ただ、教育学部を出て、実際に公立学校で指導した経験があるだけです。

子どもに日本語を教える中で、何度も思い出す言葉があります。

日本語が話せるからといって、誰もが日本語を教えられるわけでは無い

ずっとこの言葉が私の気持ちを強く引っ張っていました。
「うぬぼれちゃダメよ。採用試験通らなかったんだし」と。

でも、周りと話す中で、教育学部を出た人間にしか読めない【教育の目的】が私には見えて、他の人には見えないということがわかりました。

英語で問題集をしていても「こういうのを日本語では○○っていうんだけど、これは、▼▼を練習するためにするんだよ。」という部分です。この▼の部分に気づき、本当にその事実が理解出来ているか、別の角度から質問し直すこと、不十分なら類似のプリントを用意することが難しい人もいることがわかりました。

日本語は話せるけれど

周りを見渡せば、大人になってカナダに来た人の日本語力に差は感じませんが、高校生時期からカナダに住んでいる人の日本語力にはかなりの差を感じるときがあります。

例えば、日本語でメッセージのやりとりをしていても、やりとりが長くなると「意味が分からないから英語に直して」となります。また、子どもには「日本語で話して」と言いながら、自分が今どっちの言語を話しているのか分からなくなるときがある人もいます。

また、最近ではYouTubeも立派な日本語教材になりつつありますが、投稿者の語彙力も気になります。

「ヤバい」を肯定的にも否定的にも使ってる?
「鬼畜」「死ね」「えぐい」…同じ言葉の繰り返しばっかり。

それも今では自然な日本語なのかもしれないので、時々使う事は問題無いとも思いますが、それを当然のようにしてしまうと問題です。

ということは、興味の方向と受けてきた教育に問題があるような気がします。

子どもの日本語力

子どもの日本語力は…本当にいろいろです;;

「英語が出来れば良い!」として高校時代に留学する人も多いと思います。そして、そのまま海外に住んでいると、かなりの割合で日本語は「あの口調」のまま止まります。

そして、その人の話す「あの口調」がそのまま子どもに伝わったり、『子どもにひらがな・カタカナは教えたけど、その後どうするの?』となります。ここに前述の『配偶者の理解の低さ』が加わると.…もうお手上げ。

だから子どもは年齢が低ければ基本的な指示すら聞き取れず、年齢があがっても、相応の言葉使いや簡単な漢字も読めないのでだんだん日本語の勉強が嫌になっているようです。

必要だと思われる4技能

Reading:新聞やネットニュースが正しく理解出来る
Listening:他人の意見や話の要点を掴む
Writing:自筆・手書きが求められる機会はほとんど無い(自署くらい)
Speaking:自分の意思を他人に伝える

カナダ育ちの人が日本語を話すとき、こんなことが起こります。
「寒いと冷たいの違いが分からない」「この人たちとこいつらの違いが分からない」

言葉は知っているけれど、使い方が分からないという状況です。

寒いと冷たいは正しく使えた方が良いと思いますが、「こいつら」という単語は知らなくても大きく問題無いと思います(笑)そうだとするならば、やはり新聞などのきちんとした文章は、読んでおいた方が良いと思います。

また、「ん~~、何だろう、日本語を話しているんだけど、英語のアクセントが強すぎて日本語に聞き取れない」ということも起こります。こういうことも、音読を通して、改善出来そうな気がします。


最後に

ここでの日本語教育は、任意です。言葉は、文化と密接なつながりがあるので、自分で準備しきれる物ではありません。寿司レストランでSushiを食べて日本の寿司文化が理解出来るか?!という感じです。

そして、当地の場合はボランティア教師です。お互いの求めるニーズが低いので、それほど大きく気構える必要もなければ、要求する必要もありません。

当地での日本語教室は、先人達の努力で建設された施設の文化的な背景に触れつつ、「興味を持ってもらうこと」「親しんでもらうこと」だけに焦点を当てて、教材研究・授業をやってみたいと思います。それでも$25が高いと思われたら…力及ばずですね。


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