[小説] リサコのために|035|八、対峙 (2)
▼第一話はこちら
リサコはどこか冷たいところに仰向けに寝そべっていた。
ゆっくりと身体を起こすと、そこは濃い霧につつまれた草原だった。
何だかめまいがするので、そのまま体育すわりになって頭を膝に乗せ、これまでの経緯を思い出してみた。
確か、ヤギ討伐隊の全員で本番サーバ ≪インスペクト・ガルシア≫ にログインしてきたはずだった。
オブシウスたちが勤務しているガルシアセンターは現在、謎の武装集団から攻撃を受けており、施設内への侵入はかろうじて防げているものの、館内での移動は制限されていた。
本番サーバへのアクセスは厳重にブロックされているので、専用のログインルームからのみアクセスが可能なのだが、そこへ物理的に移動するのは危険だったため、一行は普段自分たちで使っているオフィスから本番サーバへ無理やりアクセスしてログインしたのだった。
ログインが開始すると、リサコは暗いトンネルをものすごいスピードで飛んでいる感覚に襲われたのを覚えている。
目の中に、小さな光が見えた。その光がずっと近づいてきて、リサコを飲み込むように大きくなって、彼女は白い光に包まれた。
その光に包まれると、圧倒的な慈悲の心に触れたような気分になった。
ああ、私は愛されている!!!!
リサコは以前にこれを体験していた。
そうヤギの夢で。
この高揚感は!!!! もしかしてサーバ間を移動するときの感覚なのだろうか!!??
そうして、気が付いたら、この霧の草原にいたのだ。
リサコは顔をあげると、体育座りから胡坐の姿勢になり、ぼーっと周りを見回した。
向こうから人影がこちらに向かって歩いてくるのがかすかに見えた。
そのシルエットだけでリサコにはそれが誰だがすぐにわかった。
良介だった。
良介はリサコに気が付くと走り寄って、隣にしゃがみこんだ。
「君だけ別の場所に転送された。見つからないかと思った。原因を調べている時間はない。立てる?」
リサコは立とうとしたが、まだめまいがするようだった。
「ちょっとだけ待って。目が回っちゃって…」
「具合が悪いのか? …瞳孔が少し開いているようだ。」
良介はリサコの目を覗き込みながら言った。
リサコは良介に支えてもらって、何とか立ち上がった。
良介が歩き始めたので、リサコもついて歩いた。
「良介、あなた平気なの? あんな光を浴びて…」
え? という顔で良介が振り返った。
「光?」
「転送するときに見なかった? 白い光と…あと何て言うか…神みたいな存在。」
良介は首を横に振った。
「僕はそんなものは見ていない。瞬きするくらいの間に、こちらに移動して来た。俺は見なかったものを解析できない。時間がないんだ。その話はまた今度な。」
良介はウインクをすると、また歩き出した。
彼のそんな表情を見るのは初めてだった。まるでオブシウスみたいな仕草だった。
その後は、良介はただ黙々と歩き続けた。
彼に付いて歩いていると、リサコの体調もやがて元に戻って来た。平衡感覚が戻って来たといった感じだった。
気が付くと、信じられないほど霧が濃くなっていて、数十センチ前を歩く良介がかろうじて見える程度になっていた。
足元を見ると、まるでドライアイスのような白い靄(もや)がただよい、地面どころか、自分の足もよく見えない状態だった。
前方を見ると、一ヶ所だけ一際明るい場所があった。良介はそこへ向かっているようだ。
二人が一歩進むごとに、その明るい箇所はぐーん、ぐーんと猛スピードで近づいてきた。
そのせいで、自分が今どのくらいのスピードで歩いているのかさっぱりわからなくなってしまった。足取りはゆっくりなのに、信じられないほどのスピードで進んでいるようなのだ。
やがて、明るい部分が目の前に来ると、良介は躊躇なくその中に入った。リサコもそれに続いた。
光の中に入ると、そこは見知らぬ会社のオフィスの中で、ヤギ討伐隊のメンバーが揃っていた。
オブシウス、タケル、アイスの人間のメンバーに加え、テストサーバのAIであるエルとオーフォが居た。
良介たちが入ってくるのを見ると、全員ほっとした顔で立ち上がった。
「いたのね! よかった心配したのよ!!」
オブシウスが言った。
「5-A13-5536-4B135 に居た。原因は不明。」
良介がAIらしい感じに言った。
「まあ、とにかく居たなら何でもいい。時間がない。手順をおさらいするぞ。」
タケルが言った。
リサコは部屋の中を見回してみた。
どこにでもあるようなオフィスだった。
「最終シミュレーションでは5-A03-135+9-1C324からヤギの領域へと入っていた。念のために今回もその手順でやる。」
≪第一のゲートは、セット済だぜ。≫
ガイスの声が言った。彼は引き続き現実世界から、このミッションをサポートしてくれる。
「第一ゲートから無事ヤギの領域に入れたら、ヤギの部屋を探す。ヤギの領域へ入れなかった場合は、第二ゲートを使う。予備は八ゲートまで用意してある。ヤギの部屋へ入ったらあとは訓練どおりにやって、一気にヤギをぶった斬る。」
一世一代の作戦というのに、何だかおおざっぱだな…とリサコは思った。おそらく、手順を確認…とか言いながら、彼らも実際に何が起こるのかわからないのだ。
とにかく柔軟に状況に反応して、臨機応変にやらないといけない。≪ヤギの夢≫ を食らうのだけは何としてでも避けなければ…。彼らの人生をかけてきた努力を無駄にはできない……リサコは、今一度気持ちを引き締めるのだった。
「よし、じゃあ、いくぞ。」
良介の掛け声で、一行は、お互いの目を見て頷きあうと、オフィスを後にした。
オフィスを出ると、そこは、リサコも知っている場所だった。
新宿のアイアンタワービルの九階…。「有限会社 ヨクトヨタ」のフロントだった。
「テストサーバでも本番でも、ここが職員のログインポイントなんだよ。」
キョロキョロしているリサコに気が付いたアイスが教えてくれた。
そう、ここを基点にいろいろ動いて来たのだ。
エレベータで一階へ向かう。
リサコはこの後どこへ行くのかよくわかっていた。
電車に乗って、リサコが父親である幡多蔵と暮らしていた家に向かうのだ。
外に出ると、この世界は夜だった。
いや…電車じゃない。タクシーに乗るはずだ。ヤギの領域に入った時、確かリサコはタクシーでかつて住んでいた家に行った。
≪インスペクト・ガルシア≫ はリアルさを追求して作られた世界だ。特別アカウントだからと言って瞬間移動はできない。公共機関を使うしかないのだ。
ヤギ討伐隊は二手に分かれてタクシーに乗り込んだ。
タクシー運転手は、人間なのかNPC(ノンプレイヤーキャラクター)なのかはわからなかったが、何の疑問も持たずに彼らを運んだ。
特にトラブルもなく、タクシーは家の前についた。
あまりにあっさり着いてしまったので、リサコはいささか拍子抜けだった。
同乗していたオブシウスが運転手に料金を払っていて、それも何だかおかしかった。
今、ヤギ討伐達の面々は一般人に見える姿をしているので、運転手がもしも何も知らない人間だったとしたら、本当に何も疑問には思わなかっただろう。
リサコはタクシーから降りると、じっと、かつて自分が住んでいた家を見返した。
「住居者募集中」の看板がドアに立てかけてあった。
これが第一ゲートだ。
激しいデジャヴュに襲われる。いや、デジャヴュではない。この瞬間に立つのは少なくとも2度目なのだから。これは本物の繰り返しの体験だ。
リサコがゆっくりと玄関に向かって歩きはじめると、他の面々も彼女に着いて来た。
リサコはもう一人ではない…。それが前回と今回とで大きく異なる点だった。
ドアの前に立った。
ドアはリサコが開けないといけない。
ドアノブを握ると、かすかにしびれるような感覚がした。
リサコはこの感覚を覚えていたので、躊躇することなく、ドアノブを回した。
かちゃりと音がして、ゆっくりとドアが開いた。そしてリサコは家の中へゆっくりと入っていった。
他の面々もそれに続く。
玄関に入ると、見覚えのある老婆が正座をして待っていた。
目のない、あの老婆だ。
そして老婆は言った。
「よくおいでくださいました。リサコ様。」
(つづく)
[小説] リサコのために|036|八、対峙 (3) →
おまけ
▼▼▼ 関連する物語 ▼▼▼
▼ タケルとオブシウスが ≪ヤギ≫ を発見した時の物語
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?