[小説] リサコのために|034|八、対峙 (1)
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八、対峙
「クーデター?」
自分が知る世界とはかけはなれた成り行きに、リサコは必死で頭を回転させた。
「武装した集団が政府機関を同時に襲撃し占拠したようだ。オブシウスたちがいるガルシアセンターも政府の管轄にある施設だ。現在攻撃を受けている。」
「みんな無事なの?」
「ガルシアセンターは刑務所だ。そう簡単には突破されない。みんな出勤して中にいるが全員無事だ。」
それを聞いてリサコは少しほっとした。
「こちらの時間を再び最高速にしたから、向こうの時間は止まっている。この間に対策を考えたい。武装集団は、職員の解放を条件に、どういうわけだかヤギの引き渡しを要求して来ている。」
「ヤギの? ヤギのことは最高機密なんじゃないの?」
「そのはずだ。なぜ彼らがヤギを知っているのかは不明だが、もしかしたら、ヤギと関わりのある連中なのかもしれない。」
良介の説明によると、クーデターを起こした奴らは、突如として出現した謎の集団だとのことだ。監視社会であるオブシウスたちの世界では、ここまで存在を隠して行動を起こすことは不可能に近い。
どうやって彼らが武装できたのか全くの不明だとのことだった。
あり得ないことだが、海外から侵入してきた可能性もある、と良介は言った。
「とにかく、奴らには絶対にヤギを渡してはいけない。その前に俺たちで斬る。」
「斬るって言っても、私、まだ訓練の序の序の序の口だけど…。」
「時間を安易に動かせないから、人間たちをこちらに呼べるのは、最後の最後になりそうだ。その前に、こっちのAIを使ってリサコの訓練を完了に近いところまで進めたい。」
またこの永遠の時間の中で訓練か…と思ってリサコはうんざりしたが、そんなわがままを言っている場合ではないことも理解していた。
「人間たちと訓練しないでヤギを斬れるようになるのかな?」
人間のチームでないとヤギを斬れないことをリサコは知っていた。いくらAIたちと訓練しても、AIのチームではヤギには勝てない。
「人間の訓練に時間が割けないとなると、成功の確率は各段に下がってしまう。けどやらないといけない。人間たちにログインさせてどれくらいの時間が使えるのかわからないけど、そのまま本番に直行という可能性も大いにありうる。俺は全て完璧にしてから挑みたかったし、そうでなければならないと今でも思っているけれど、現状に対応しなければならない。」
こう言いながら、良介は渋い顔をしたが、同時にニヤリと笑うという複雑な表情を見せた。
「“火事場のくそ力” ってやつ。そいつを発動できるのは人間だけだ。俺は人間に懸けることにしたんだ。」
どうやら彼はこの状況をどこか楽しんでいるようだった。
良介は実に奇妙なAIだ、とリサコは思った。
リサコ達は早速訓練を始めた。
訓練には、引き続き平場時代の仲間であるエル、オーフォ、そして良介が対応してくれた。
ダンスのステップのように、リサコは攻撃パターンを身体に叩き込んで行った。
AIたちは正確に動いてリサコを導いてくれた。良介が個人の癖や動作のゆらぎを計算して組み込んでくれていたが、それでもAIたちの動きは正確だった。
最高速度時間の中にいるので、3日訓練して3日休むリズムは継続された。
オブシウスたちが大変な時に休暇を取ることに罪悪感が芽生えたが、「向こうの時間は止まっている、効率をあげるためにも十分な休養が必要不可欠」との良介の説得で、リサコはようやく3連休を受け入れた。
以前のように山にでかけたり、海で泳いだりする気持ちにはなれなかったので、休暇の日、リサコはひたすら絵を描いてすごした。
絵を描いていると無の心境に至り、気持ちが落ち着くのだった。
そのうち、リサコは良介に寺を作ってもらい、坐禅を組むようになった。
寺に籠っている間、良介はリサコをひとりにしてくれた。そして、休暇日が終わる日には必ず迎えに来た。
こうしてリサコは、こちらの時間で約半年をかけてヤギ攻撃パターンを全て習得した。
同時に、ヤギの本当の姿に慣れる訓練も行っていたが、こちらは難航していた。
訓練用のヤギは、リサコが恐怖を感じない程度まで極端にデフォルメ化されていたのだが、これを少しずつ実際の見た目に戻すようにしていた。
しかし、一定の度合いまで本物に近づけると、リサコは恐怖に囚われて身体が固くなってしまうのだった。
そこで、良介は、リサコに特別な眼鏡とイヤホンを用意した。
眼鏡は全てがグレースケールに見えるものだった。白黒になると、ヤギは多少マシに見えた。
イヤホンからは、常に爆音で激しい音楽が流れていた。不思議なことにその音楽は、他の音に干渉せず、音楽を聴きながら周りの音も聞くことができた。
これでヤギの声が消えるわけではないが、音楽も流れているので、何となくマシに思えるのだった。
「こんなのあるなら最初から出してよ。」
とリサコが不満げに言うと、使わないで済むならその方がいいから最後まで出さなかったのだ、と良介は説明した。
この夢のようなアイテムを使って、リサコはヤギの不気味さを何とか克服して行った。
そんなある晩、リサコが茂雄のコーヒーを飲んでいると、良介が隣に座ってこう言った。
「こちらの時間で明日、オブシウスたちにログインしてもらうことにした。朝ごはん食べたらやるよ、いい?」
リサコは頷いて、残りのコーヒーを飲み干した。
もしかしたら、明日はそのまま本番になってしまうかもしれない。
リサコは早めに眠りにつくことにした。
翌朝、食事を済ませて待っているとオブシウスたちがやって来た。
彼らにとっては半日ぶりだが、リサコにとっては一年半以上ぶりの再会となった。
再会を喜ぶ間もなく、オブシウスが我々に残された時間はあまりないことを告げた。
「この時間スピードの中にいれば、1パータンにつき1回だけ全員でおさらいする時間くらいはあると思う。パターンのスピードは1倍速、なおかつ、ぶっ通しで間髪入れずに続けてやってだけど。」
オブシウスが言った。
「わかった。パターンスピードは1.25倍でやろう。その方が本番でヤギを遅く感じるはずだ。休憩なしでやれる?」
良介が言った。人間たちは頷いた。
「外は結構ヤバい。やるしかないよ。」
アイスが言った。
全員がリサコの方を見たので、リサコは慌てて頷いた。
「私もたくさん訓練した。できると思う。」
「よし、じゃあ、時間がもったいない。早速やるぞ。」
道場に入ると、そこはもうヤギの部屋そのものだった。
リサコは眼鏡とイヤホンを装着した。
人間たちはむき出しでヤギに向かっていた。
彼らは平気なのだろうか? ヤギに対してこれほど嫌悪感を抱くのはリサコだけなのか。それとも彼らは訓練しているから平気なのか。
人間たちを交えてのおさらいがスタートした。リサコはAIと組んで1.25倍の訓練を何度かやった経験があった。
それでも人間と一緒にやるのはだいぶ勝手が違っていて驚いた。
生身の人間の動作の “ゆれ” は、良介でも計算しきれないほどランダムなのだ。
ずっとAIたちと共に過ごして来たリサコにはそれがよく見えた。そして、そんな自分にも驚いていた。
彼らは本当に人間なんだ…。とリサコは改めて思った。
人間たちは右へ左へと軽やかに動き、1から367まで、全パターンを通して行った。
全パターンで、いちおうは最後にヤギを斬る動きになっている。
運が良ければ一発でヤギを斬れるし、攻撃の途中でヤギが次々手を変えてくれば長期戦もありうる。
ヤギを斬るのはリサコだけでなく、タケルが斬るパターンもある。
リサコが斬ることになっているパターンは115個ある。
今回の通し練習では、リサコは4回失敗し、タケルは2回失敗した。
タケルの失敗のうちの1回は、ヤギは斬ったけど足元の日本人形の斬りそこないだった。
「成功率98%か。思ったより良い。」
良介が満足そうに言った。
「もう時間がないわ。」
オブシウスがガイスからと思われるメッセージを確認して言った。
「よし、じゃあ、行こうか。」
良介がみんなを見渡して言った。まるでピクニックにでも出かけるかのような言い方だった。
リサコがごくりと生唾を飲み込むと、良介はそっと彼女の手を取った。
そして、恐ろしいほどに冷静な声でこう言い放った。
「ヤギをぶった斬ろう。」
(つづく)
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おまけ
▼ たぶんリサコが聴いている音楽。
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