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猫にとってマレーシアは楽園か?

日本の猫と、ここの猫は違う。
日本の猫は、とにかく人間を警戒しているし、心を開かない。
でも、ここの猫は人間が悪いやつとはまったく考えてもいないようで、階段のど真ん中や道路のど真ん中で爆睡し、まるで人間に存在感をアピールしているようにも見える。

人の膝の上によじ登って来て、寝たかと思えば、全身の力をすっかり抜いてダラランとしている。

ここまで警戒心のない猫というのは、日本では一度も見たことがない。

写真の猫を見て欲しい。
このような寝方をする猫など、日本ではいないのだ。何故かというと、この寝方だと、自分の身に危険が及んだときにすぐ立ち上がって逃げられないから。

だから日本の猫は、すぐ逃げられるように足を曲げて寝る。

日本の猫は人間を見るとすぐに逃げるが、マレーシアの猫が逃げるのは、ゴミ箱を漁った後くらいなものだ。しかも、逃げるというよりは、バレないように何事もなかったかのような”フリ”をして、忍び足で逃げていくか、走って逃げる。これは、ゴミ箱を漁ったときだけ人間に怒られるからだろう。

でも、ゴミ箱を漁ったあと以外では逃げない。人間の相手をしたくないときに無視するだけの話である。

大学の寮の猫が違うのではないか、という意見もあり、私もそれは想定したけれども、インドネシアの猫も同じような感じらしい。

インドネシア人に私は言った。
「日本の猫ちゃんとは全然違うのよ!だって、日本の猫ちゃんは人間をいっつも警戒しているんだから!」

そう言うと、こう言われた。
「それは、猫をずっとカゴに入れているからいけないんだよ。カゴに入っているからストレスなんだ。カゴから出してあげたらいいよ」と。

想定が根底から違っている。誰もカゴに入れていないのだ。それでも日本の猫ちゃんは人間をいっつも疑ってばかりいる。

彼らは日本の猫の現状を知らないから、なぜ日本の猫がマレーシアの猫と違うのかが分からない。

私もこの原因についてははっきりとしたことが言えないけれども、日本人の猫に対する扱いというのは比較的冷淡なのだろう。

日本では猫に餌をあげてはいけないというルールを作ったり、教えたりするところが多いために、餌をあげない人が多い(例外も沢山あるが)。

でも、マレーシアではこういう考えは、恐らく一切ないだろうと思う。餌をあげてはいけない相手は「猿」であって、「猫」ではない。猿に餌をあげてはいけないのは、身の安全などの理由があるのだろうと思う。

そういうわけか、ここの猫は何かしら人間から餌をもらって食べているようである。

だから、お腹が空いたらカフェテリアに行って、足元で人間の顔をじーーーっと見つめている。それで、人間の方は遊んであげるわけでもなく、ただポイッと食べ物を投げて分けてあげる。求められたからあげただけ、という感じで、餌をあげて猫と遊ぶという意図などもないようである。

ちなみに、昨日テーブルに乗ってドヤ顔をしていた猫は、餌が欲しくて乗っていたわけではない。ただ、そこに登りたかったようである。ただ、ひたすらドヤ顔をしていた。

次に違うテーブルに移ったときも食べ物が欲しかったわけではなく、近くにいた虫をひたすら眺めるためだけで登っていたようだ。どうしても気になる存在のようで、ずーっと虫の動向を眺め続けていた。

日本で猫がテーブルに乗るなんてことは、まずあり得ない。それは、人間が怒るからだ。もし猫がテーブルに乗っていたら、日本人はまず「衛生」を気にする。「汚い」「バイ菌」扱いをする。猫だって一生懸命生きているのにバイ菌扱いをされてかわいそうな気がしないでもない。

でも、日本で猫が仮にテーブルに乗っていたら、その店の管理者が怒鳴られることだって起こりうる。「衛生管理はどうなってんだ」とか言って。

でも、マレーシアではこのようなことは恐らく起こり得ないのではないか。

私はマラッカ(マレーシアの州)でも、マックのテーブルの上で爆睡している猫を見た。こちらは寝ているのだから、リラックス度はさらに高い。本当に怒られてこなかったのだろう。

それで、マラッカでも大学でも猫の周りの人間はどうしているかというと、「まるで気にしない」のである。猫を無視しているようにも見えるが、無視しているというよりは、気にしていない、周りに人間の客がいても干渉するわけではなく、自由に放っておくのと似ている。特に現地の人たちはそういう態度をする人が多いと思う。

でも、大学の寮には留学生も多い。そこで、留学生はどうするかというと、おもしろがって観察するか、ちょっかいを出すのである。

昨日の猫のとなりにはジュースを飲んでいた人がいたので、氷を与えられて遊んでいたし、違う人たちは猫の行動を珍しそうな目で見て喜んでいた。

その後に猫はカフェテリアのお店の人たちが座っているテーブルの足元に行って、そこでウロウロしていた。ご飯が欲しいか、遊んで欲しいのだろうと思う。

ここまで自由だと、規則や礼儀でがんじがらめの日本人たちは羨ましく思うかもしれない。

誰にも行動を制限されず、構って欲しいとき、ごはんが欲しいときは人間のそばに行き、一見何不自由ないかのように見える。

あそこまで自由に育つと、あそこまで「ゆるふわ」になるのか・・・私はそう思った。人間がああいう風にして育つと、さぞ「大らか」な人間になるのだろう―そう思いながら見ていた。

彼らのなかには「危険」という言葉がないかのように思えた。
でも、それは恐らく誤りかもしれないと、今日思った。

昨日の猫が人間を必死に追いかけている。まるで何かを求めているかのようだ。雨に濡れて、苦しそうに泣いている。

「ああ、やっぱり彼らも『生きる』ために格闘しているんだな」と思うと、人間と同じで、どこかで『生き抜く知恵』を獲得しなければならないのだと思った。

日本で餌をあげない理由の一つとしては、猫を最後まで面倒見る気がないのに、中途半端に優しくして相手に期待をさせてはいけない、彼らは自分で生きていく力を養う必要があるという考えが根底にある。

もちろん、マレーシアの寮のように常に誰かは食べ残しをするのだから、ちょっとくらいいいじゃん、ということで、たくさんの猫がそれを糧に生きていくという別の猫の生き方だってある。

あまりに苦しそうに叫ぶので、タオルで包んであげたい気持ちになった。でも、私はゴミにしてもいいタオルがなく、かといって、自分のものを猫にあげるほどの優しさは持ち合わせていなかった。

ごはんをあげるにしても、宅配が届いたばかりなので、それをあげたくもない。

猫ちゃんはずっと私のあとをついてきていたが、私が助ける気がないということに気づいて、途中からその足を止めた。

でも、やっぱり雨に濡れた猫ちゃんはかわいそうだった。

次に違うテーブルに移ったときも食べ物が欲しかったわけではなく、近くにいた虫をひたすら眺めるためだけで登っていたようだ。どうしても気になる存在のようで、ずーっと虫の動向を眺め続けていた。

日本で猫がテーブルに乗るなんてことは、まずあり得ない。それは、人間が怒るからだ。もし猫がテーブルに乗っていたら、日本人はまず「衛生」を気にする。「汚い」「バイ菌」扱いをする。猫だって一生懸命生きているのにバイ菌扱いをされてかわいそうな気がしないでもない。

でも、日本で猫が仮にテーブルに乗っていたら、その店の管理者が怒鳴られることだって起こりうる。「衛生管理はどうなってんだ」とか言って。

でも、マレーシアではこのようなことは恐らく起こり得ないのではないか。

私はマラッカ(マレーシアの州)でも、マックのテーブルの上で爆睡している猫を見た。こちらは寝ているのだから、リラックス度はさらに高い。本当に怒られてこなかったのだろう。

それで、マラッカでも大学でも猫の周りの人間はどうしているかというと、「まるで気にしない」のである。猫を無視しているようにも見えるが、無視しているというよりは、気にしていない、周りに人間の客がいても干渉するわけではなく、自由に放っておくというという感じだ。特に現地の人たちはそういう態度をする人が多いと思う。

でも、大学の寮には留学生も多い。そこで、留学生はどうするかというと、おもしろがって観察するか、ちょっかいを出すのである。

昨日の猫のとなりにはジュースを飲んでいた人がいたので、氷を与えられて遊んでいたし、違う人たちは猫の行動を珍しそうな目で見て喜んでいた。

その後に猫はカフェテリアのお店の人たちが座っているテーブルの足元に行って、そこでウロウロしていた。ご飯が欲しいか、遊んで欲しいのだろうと思う。

ここまで自由だと、規則や礼儀でがんじがらめの日本人たちは羨ましく思うかもしれない。

誰にも行動を制限されず、構って欲しいとき、ごはんが欲しいときは人間のそばに行き、一見何不自由ないかのように見える。

あそこまで自由に育つと、あそこまで「ゆるふわ」になるのか・・・私はそう思った。人間がああいう風にして育つと、さぞ「大らか」な人間になるのだろう―そう思いながら見ていた。

彼らのなかには「危険」という言葉がないかのように思えた。
でも、それは恐らく誤りかもしれないと、今日思った。

昨日の猫が人間を必死に追いかけている。まるで何かを求めているかのようだ。雨に濡れて、苦しそうに泣いている。

「ああ、やっぱり彼らも『生きる』ために格闘しているんだな」と思うと、人間と同じで、どこかで『生き抜く知恵』を獲得しなければならないのだと思った。

日本で餌をあげない理由の一つとしては、猫を最後まで面倒見る気がないのに、中途半端に優しくして相手に期待をさせてはいけない、彼らは自分で生きていく力を養う必要があるという考えが根底にある。

もちろん、マレーシアの寮のように常に誰かは食べ残しをするのだから、ちょっとくらいいいじゃん、ということで、たくさんの猫がそれを糧に生きていくという別の猫の生き方だってある。

あまりに苦しそうに叫ぶので、タオルで包んであげたい気持ちになった。でも、私はゴミにしてもいいタオルがなく、かといって、自分のものを猫にあげるほどの優しさは持ち合わせていなかった。

ごはんをあげるにしても、宅配が届いたばかりなので、それをあげたくもない。

猫ちゃんはずっと私のあとをついてきていたが、私が助ける気がないということに気づいて、途中からその足を止めた。

でも、やっぱり雨に濡れた猫ちゃんはかわいそうだった。やっぱり、あたたかいタオルでつつめばよかった。

彼の哀しそうな目が、いまも胸に焼きついている。

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