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きょうを生きる友へ② 女子力の呪縛を超えて

けさ鏡を見ていたら、頬のシミが増えていた。もともとポイントメイクのみでファンデーションは塗らない。日焼け止めだけだったから、身から出たサビかもしれないけれど、ショックだった。

最近は白髪も増えた。30代前半のとき、白髪が生えはじめた友だちが毎月美容院にいって髪をケアする姿を「大変そうだな~」と思って聞いていただけに、それが自分の身に起こるとは、分かっていたけれど、理解していなかった。分かることと、理解することとは、全く別物だ。

外見に対して、どうしてこんなに深刻になるのか。

そう考えていると、「女子力」とは無縁でいない自分がいた。

20代の頃はファッション誌を欠かさず購入していた。ファッションが自分の生き方を表すのだと思っていたのに、いつの間にか雑誌にあふれる「女子力」という言葉に違和感を覚えるようになっていた。違和感、ではない。もっと正確に言うなら、ついていけない、という感覚だったかもしれない。私が私であることに、「女子力」という要素は必須ではなかったのに。

デジタル大辞泉で「女子力」について調べてみた。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%8A%9B/

女性が自らの生き方を向上させる力。また、女性が自分の存在を示す力。
[補説] 2009年ごろからの流行語。明確な定義はなく、女性らしい態度や容姿を重んじること、女性ならではの感覚・能力を生活や職業に生かすことなど、さまざまな解釈で用いられる。

20代の頃、30歳になるまでには結婚したいと思っていた。30歳を過ぎて、がんばって仕事をする中で素敵な出会いが巡ると思っていた。それはまだ来ないけれど、この先の人生を不安に思う夜、男性に魅力的に思ってもらえるような本を読むと、「女子力」という言葉がいつもあった。切迫感に駆られて「女子力」を身に着けようとするとき、それに呪縛されている自分に気づく。

それは女性が自ら望んだものだったろうか。マスコミが煽り、よしとする「女子力」は市場経済が生み出したもので、女性たちが能動的に求めたというより、市場に踊らされて、ジェンダーに縛られたものではなかったか…。そんなからくりが分かったのは最近のことだ。女性自身が無自覚に性別に基づく役割を強化するのに加担していることも少なくない。

外見や内面をかたちづくるものは自分だけ。誰かの目線で決められた評価や視線ではないところに立ち返れば、顔のシミも、頭頂部に広がる白髪も愛せるだろうか。いや、愛したい。朝からそんなことを考えた4月19日。

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