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どこにも属していない孤独感と向き合って見えたこと。

私は、どこにも属していない。

どこに行ってもアウトサイダーだ。

そんな寂しさを感じることがよくあります。

海外在住16年目になり

現地の言葉も大分話せるようになり、

困ることはあまりなくなったけれど、

やっぱり現地の人とはちょっと違う。

日本に帰国しても外国人のような視点で

物事をみている自分がいる。

日本の実家に帰っても落ち着かなくて

どことなく緊張している。

外国人の夫の実家へ行けば、

楽しそうに義家族や親せき達と

団らんしている夫や子供の傍らで、

なんとなく馴染めず、

一人ぽつんとそこに居る私がいます。

振り返ってみると、

それは、

海外に住んでいるから感じるというのではなく、

子供時代や学生時代にも

そう感じることがよくありました。

クラスの中のみんなと分け隔てなく

誰とでも仲良くなれる。

でも

グループには属さず、気が付けば一人。

そんな寂しさについて、

宇多田ヒカルさんがお話しされてている

インタビューを見ました。

NYで生まれ日本で育った宇多田ヒカルさん。

『私はアメリカ人でも日本人でもありません。

どこにいても私はアウトサイダーです。

私は日本に居れば、アメリカ人と見られ、

アメリカに居れば、日本人と見られます。

だから

私はどこにいてもいつも人と違っていて、

どこか外国人のようなんです。

でも、

私にとっては

アウトサイダーになることは、

楽に感じられて、

心地良いことなんです。

本当は、

集団に属していてもみんな孤立してる。

でもそれに、

みんな気づかないで生きてたり、

見ないようにして生きている。

特に日本は、

集団で繋がっているという幻想を見せて、

自分よりも集団を大事にする。

そういう息苦しさが有りますよね。

でも一人と一人だったら

それを乗り越えて

本当の繋がりを感じられるのではないでしょうか? 』

このインタビューを聞いて、

ハッとしました。

どこにも属していないから寂しい

のではなく、

どこにも属していないから

気楽で自由で心地がいい。

どこにも属していないからこそ、

しがらみもなく、

人の目を気にしないで

自由にやりたいことが出来ます。

そして、

純粋な個として、

人と繋がることが出来ます。

国や、性別、年齢や社会の枠組みを超えて

純粋な繋がりを感じられるって

素敵な事です。

どこにも属していないことは、

一見寂しい事のようにみえますが、

こんな良いところもあるのです。

考え方一つで、

こんなにも見方が変わるとは。。。

驚きです!

どこにも属していない事が、

もはや

強みでもあるようにさえ思えてきました!

どこかに属していても

属さなくても、

私は私であることに変わりはありません。

だったら、

どこにいても

自分が自分自身でいること!

それを大切にしていきたいなと思いました。
















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