うわさ話に怯えていたこと、なにを赦すかはわたしが決める

恋人のいるひとと付き合っていたことがある。編入前、まだ関西の私大にいたときだ。わたしはそのひとに彼女がいることを知りながら、近づいて、交際に持ち込んだ。

そのころのわたしは、ひとの痛みというものをなにひとつ理解していなかった。それどころか、自分が不幸なのだから、多少他人を踏みにじったところで、しあわせのお裾分けをしてもらったところで、なんら悪くはないだろうとさえ思っていた。今思えば、なんて恥ずかしくて醜くて、そしてむちゃくちゃな言い分なんだろう。

成人式で東京に戻ったとき、わたしはひさしぶりに再会した同級生たちに、そのことをべらべらとしゃべった。ひとを傷つけておきながら、実はわたしも彼と寝ているのだと自慢するような、まるでそのひとより自分が優位に立っていることを示すような、そんな口ぶりで。

はたちのときのわたしは、「女の子」になろうと必死だった。髪を伸ばし、かわいらしい服を身に纏い――スウェットやデニムを封印し、スカートを履き、ピンクの化粧を施していた。そのころにはもう、自分が「少年」にはなれないこと、「少年」ではいられなくなることに気がついていたから。

中学・高校時代の同級生たちの目には、「少年」だったわたしが男と寝る「女」に変貌した様が、さぞ滑稽に映ったのだろう。わたしの“うわさ話”は瞬く間に同級生たちに広がった。それは尾ひれや背びれがついた状態で、廻りまわってわたしの(ただの同級生でない)親しい友人の耳にも入った。

「チカゼって、男関係やばいんでしょ?」と揶揄をたっぷりふくんだ笑い方をしながら、おそらく彼女は友人に告げた。彼女のその顔は、安易に想像がつく。彼女――Hとわたしは、親しくなかった。

わたしは中学2年生のときに転校してきたのだが、学校には「転校生は部員数がいちばん多い吹奏楽部へ入れる」風習があった。友達を作らせ、早く学校に馴染ませるためのものだろう。だけどわたしには、億劫なだけだった。音楽にもさほど興味がなく、何より集団行動を嫌うわたしにとって、毎週決められた曜日に決められた時間必ず決められた場所に顔を出し、決められた音を決められたタイミングで鳴らし、みんなで力を合わせてひとつのものを作り上げる「部活動」そのものが苦痛でしかなかった。

ほどなくしてわたしは、部活をさぼるようになった。勉強をしろと親に言いつけられているから、と適当な言い訳をして、部活以外でできた友達と放課後街へ遊びに出るようになった。そんなわたしを、Hは疎ましく思っていたのだろう。

Hは吹奏楽部のわたしたちの学年で、まとめ役のようなものを任されていたと聞く。ある日Hはわたしのクラスまでわざわざ足を運び、「辞めるんならちゃんと言って」とわたしに詰め寄った。

Hとはそれまで口を聞いたこともなければ、ろくに挨拶もしたことがなかった。クラスは違うし、部活も人数が多かったし、楽器も違ったので、接点がなかったのだ。わたしは彼女の苛立ちに「はあ」とか気の抜けた返事をしたあと、ふつふつと怒りがわいたのを覚えている。

なんで特に親しくもない、こちらの事情を知りもしないやつに、突然説教を食らわせられなきゃならないんだ。わたしだって好きで入ったわけじゃないのに、と。

その後も、高校に上がっても、彼女とは特に関わりがないまま、わたしたちは卒業した。5年間で彼女とは一度もクラスは被らなかったし、運動会のチームも一緒にならなかった。接点がゼロだったのだ。

だから友人からHがわたしのうわさ話を口にしていると聞いたとき、正直びっくりした。彼女がわたしを「チカゼ」と呼び捨てにしていたことも。あまりに接点がなさすぎたわたしとHは、あのときのやりとり以外でまともに会話をしたことすらなかったのだ。仲が悪いとか避けていたとか、そういうことではなくて、単純にほんとうに、関わる機会がなかった。

友人はもちろんのことわたしから直接話を聞いて知っていたので、「それは嘘だと思う」と否定してくれたらしい。でも、自分の知らないところで自分の話をおもしろおかしくされていることに、わたしは心底ぞっとした。得体のしれない薄気味悪さと、屈辱感がないまぜになって、そのころ発症したうつに拍車をかけた。Hが同級生の中でそれなりに中心人物であったことも、わたしにとってはおそろしかった。あの時代の上下関係なんかが、そのときはまだ響いていたから。

彼女を品のない人間だ、と断ずることはできない。今はもう、わたしも諦めがついている。年の功というやつで、「人の口に戸は立てられない」と知ったし、このことで「容易に自分の情報を親しくないひとに話すべきではない」という学びも得た。そして、「自分の話を知らないところでされること」も、まあ仕方ないよなと肩を竦めてやり過ごすこともそれなりにできるようになった。

彼女に悪気があったかなかったか、とか、そんなことはどうだっていい。正直、恨みは残っている。しこりはたしかにこの胸にまだあるし、友人に「もしHに会うことがあったらあのこと根に持ってるからねって言っておいて」と冗談半分(半分は本気)で言付けを頼んだりもしている。

でも、一方でHの「品のなさ」は、取り立てて責めるほどとくべつな性悪さではないようにも思うのだ。誰だって友人ですらなかった「知人」の滑稽なエピソードを聞けば、その話をおもしろおかしく広めたくなる意地悪さは持っているだろう。わたしだってそうだ。例外じゃない。似た類いの「品のなさ」は、わたしにだってある。

Hのことは長らく消化できずにいた。そして今も、消化できていない。一時期はいつまでもネチネチと根に持つ自分に嫌気が差したけど、それでも、引きずっているわたしごと、わたしはわたしを赦そうと思う。

あのときわたしはたしかにひとを踏みにじってはいたけれど、まるで不特定多数と見境なく関係を持つ淫猥な人間であるかのように知らない場所で話されていたことには、たしかに傷ついていたのだ。なにに傷ついて、なにを引きずるかは、もうわたしの自由だろう。

わたしは傷つき、そして今も怒っているわたしを、乗り越えるでなく受け止めるでなく、ただ赦したい。ときどきその出来事を知っている友人たちにぶちぶちこぼすことも、赦したいのだ。同じようになにかに傷ついた他人にも、「そんな昔のことをまだ引きずってるの?」とは言いたくない。

でも、あのころひとを踏みにじっても平気な顔をしていたわたしは、赦したくない。だけどこれも同じく、わたしが決めることだ。他人が断ずることではない。

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