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父がわたしの首を絞めるのに、躊躇いがない理由

わたしの場合自傷行為がなぜかリストカットなどではなく、首吊りおよび首絞め一点に絞られていた、という話は何回かここで書いてきた通りだ。その原因のようなものは、おそらく幼いときの経験にあるのだと思う。

わたしはそのとき、下から鬼のような父の顔を眺めていた。幼少期に住んでいたマンションの玄関で、わたしは仰向けの体勢で首を絞められていた。体の上に乗った父が何事か喚いていたのは覚えているけど、何を言っていたかまでは思い出せない。その横では、母が「もうやめて」とすすり泣いている。

わたしの首を絞めていたのが、父だったか母だったか、なぜかわからない。母が泣いていたということは父にやられていたのだろうけど、どういうわけかわたしは、「父と母両方に首を絞められた」と記憶している。

それがたぶん、いちばん古い記憶だ。わたしはそのとき、言葉もままならない1歳くらいだったと思う。

中学2年生のとき、いじめが加速して転校に追い込まれた。ある授業中、クラスでわたしの不愉快なあだ名(当時名乗っていた韓国名の苗字をもじったもの)が大合唱される事態になったことがあるのだが、そのときの事情を聞くために当時の担任がわたしを呼び出したことがある。

それは放課後で、夏が目前に迫った時期だった。制服のセーターは蒸し暑いけれど、脱ぐと下着が透けるのが嫌で我慢して着ていた。担任の中年男性の教員は、わたしを生徒指導室的な部屋に入れ、わたしに説教を始めた。

「あだ名くらいなんだっていうんだ」「先生だって子供のころ嫌なあだ名をつけられて悔しかったが、戦った」「そんなことくらいで騒ぐな」と、その教員は反吐が出そうな言葉を並べ立てた。わたしが思わず「“そんなことくらい”?」と眉をしかめると、「いちいち揚げ足を取るんじゃない!」と怒鳴りつけた。

教員は――というかその学校の教師全員は、わたしのことを毛嫌いしていた。言うことを聞かない、扱いにくい、生意気な子供だったのだろう。その教員に怒鳴られた途端、胃の底がすうっと冷えていくのを感じた。その男は「気に入らないのなら明日教室でみんなの前で何が嫌なのかきちんと説明しなさい」という地獄のような“指導”をして話を終えた。

わたしは家に帰ると、そのことを父と母に報告した。そのころはまだ、父と母の愛情を疑ってはいなかった。暴力はあるけれど、そんなことは普通の家庭でも起こりうることで、うちはちょっとしつけが厳しいだけなんだと思い込んでいたのだ。

父は激怒し、明日わたしが登校するのを止めた。そして、翌日その男を父の弁護士事務所に呼び出した。どういう仕組みだったかわからないけれど、父と男のやりとりをおそらくわたしは自宅でリアルタイムで聴いていた。もちろんその会話は、録音されていた。

父は男を怒鳴りつけ、「今この場で長女に謝罪をしてください」と言った。電話を替わられる前、父が「今から先生がお前に謝るけど、お前は『うん』も『はい』も何も言うな。一言も喋るな」と昂った声で釘を刺してきたのを覚えている。

そして教員が電話口に出て、「私はあなたの気持ちを理解していなかった。申し訳ございません。ごめんなさい」と謝った。わたしが声を出していいのかさえわからず押し黙っていると、「あの…?」と男は戸惑ったように問いかけてきた。そこでやっと、わたしは小さい声で「はい」とだけ答えた。この返事すら、あとで父に叱られるんじゃないかと胃が痛くなった。

そのあと父に代わり、短い会話を交わしたあと、電話は切られた。そのときはすこしだけ、安堵していた。もうあの忌まわしい呼び名で呼ばれることはない。なにより、クソみたいな教員をここまで父が追い詰めたことは、わたしへの愛情の証であるような気がして嬉しくも思っていた。

しかし、事務所から帰宅した父は鬼のような形相でわたしを怒鳴りつけた。「お前の成績が悪いからこんなことになるんや」「目をつけられたくなかったら勉強せえ」と。当時わたしの成績は、精神的ストレスで学年でもケツから数えたほうが早いところまで落ち込んでいた。

母は驚きと悲しみで泣くわたしに、「パパは自分よりも年上の先生をあんなふうに追い詰めることに、罪悪感を持っていたんやで」と慰めた。その慰めこそ今考えれば意味不明だが、そのときは肯くことしかできなかった。

ほどなくして、結局わたしはその学校を去った。もう14年も前のことだけれど、いまだにあの教員の顔も声も言葉もはっきりと覚えている。

今なら父の気持ちがわかる。父はたしかに、わたしを愛していた。でもそれは、父がわたしを自分の一部だと信じて疑いもしなかったからだ。父はわたしを自分とは完全に切り離された別個の存在である、ということを、最後まで飲み込めずにいた。きっと今も、理解できていない。

父の手足の末端に、わたしがくっついている。わたしは父の一部で、父自身だ。だから父は、わたしが傷つけられると激怒する。それはすなわち、自分を殴られることだからだ。

そのため父は、わたしの成績が悪いことを受け入れられない。自分は頭が良かったから、勉強ができたから。娘は自分の一部であるはずなのに、自分の予想とまったく違う行動を取る。そうすると、父は混乱して、どうしていいのかわからなくなって、噴火する。そしてわたしの首を絞めるのだ。思い通りに生きないわたしを、自分の一部に取り込み直すために。

わたしの首を絞めているあいだは、そしてそのしばらく後だけは、父は安心できたのだろう。赤子であるわたしの首を絞めることに躊躇がなかったのも、そのせいだ。1歳のうちから自分の子供が理解の及ばぬ個人になっていくことは、父にとって恐怖でしかなかったのだと思う。

コロナ禍のおかげで両親に会わない口実ができて、わたしは心底ほっとしている。わたしは今でも毎晩、祈り続けている。早いところ父に死が訪れますように、と。

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