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新時代を生き抜く24の思考・行動様式 NEWTYPE ニュータイプの時代 山口周

キンコン西野さんおすすめの書

お笑い芸人キングコング西野さんのビジネス書『夢と金』で紹介があった一冊。「著者の山口周さんの本はどれもおすすめです」と言われていたので、早速ポチる。読みながら、何度も「なるほど」「そうなんだよなぁ」と共感の連続。今回は、特に共感した部分を抜粋して共有したいと思います。

VUCA化する社会が進み経験の無価値化が起こる

「VUCA化する社会がすすみ経験の無価値化が起こる」というフレーズが、この本を読みながら、何度も出てくる。まずは、そもそもVUCA(ブーカ)とは何か。

VUCA(ブーカ)とは

VUCAとは、Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguityの頭文字を取った造語で、社会やビジネスにとって、未来の予測が難しくなる状況のことを意味する。
この、Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)は、時代の特性を表している。
VUCAは、元々アメリカで使われていた軍事用語で、1990年代にアメリカとロシアが対戦していた冷戦が終結し、核兵器ありきだった戦略が不透明な戦略へと変わったことを表している言葉だった。その後、2010年代に変化が激しい世界情勢を表す言葉としてビジネスでも利用されるようになった。

VUCA化進む社会においてのオールドタイプとニュータイプの価値

そんなVUCA化が進む社会において、筆者は「オールドタイプ」と「ニュータイプ」の2つに人間を分け、「オールドタイプ」の無価値、「ニュータイプ」の「価値」を説いていきます。

そんなものchatGPTにまかせておけばいいものを

「正解を出す能力」はAIの得意分野であり、人間が輝ける分野ではなくなっている。
「正解を出す能力」に価値を持っている人は、そこに気付きず、言葉を求められる席でありきたりの美辞麗句を並びあげる。そんな言葉chatGPTに任せておけばいいものを。

本文より

10年現場から離れている人物のいうことは聞くな

問題解決の三つのアプローチがあるという。
①ランダム(ピンと来る解を求め意思決定する 直観 アート)
②ヒューリスティック(経験則に基づいていい線をいく解を求め意思決定する)
③オプティマル(事実と論理に基づいて最適解を求め意思決定する サイエンス)
しかし、変化の多いVUCA化社会おいて、②と③で問題を解決することは難しくなってきている。
そもそも「年齢」によって使う知性の種類が違う。

流動性知能:推論、思考、暗記、計算などの、いわゆる受験に用いられる知能のこと。
分析と論理に基づいて問題解決をする際に持ちいられる。
結晶性知能 :知識や知恵、経験知、判断力など、経験とともに蓄積した知能のこと。

これが、定住社会において、60歳前後の長老が大きな発言権を持ち、皆んなから尊敬を集めた理由。未曾有の新しい問題については、流動性知能に優れる若者たちが向き合い、分析や論理などのアプローチが通用しない複雑な問題については、過去の経験知を蓄積した長老が向き合うという形で役割分担し、組織やコミュニティを維持していた。しかし、現代の、社会は極めて変化が速く、10年もすれば大きく環境が変わってしまう世の中になっている。

本文より


言語はとても目の粗いコミュニケーションツール

私たちは自分の知っていることを100%言語化して他者伝えることが原理的にできません。つまり言語によるコミュニケーションでは、常に大事な何かがダラダラとこぼれ落ちている可能性があるということです。20世紀に活躍したハンガリー出身の物理学者社会学者であるマイケル・ポランニーは、我々は自分が語れること以上にずっと多くのことを知っていると言い表しています。今日では、この語れること以上の知識を私たちは暗黙知と言う概念で日常的に用いていますが、言葉によるコミュニケーションでは、常にこのこぼれ落ちが発生していることを忘れてはなりません。

本文より

リベラルアーツを学ぶということは、情報を見極める「選球眼」をもつということ

常識を疑うのはとてもコストがかかるということ。一方で、目の前の常識について問い疑うことをやめてしまえば、未来を考察することができない。結論から言えば、このパラドックスを解くカギは1つしかない。つまり重要なのはよく言われるようなのべつまくなしに常識を疑うと言う態度ではなく、見送って、常識と疑うべき常識を見極める選球眼を持つと言う事。そして、この選球眼を与えてくれるのがまさにリベラルアーツと言う事。

本文より

上流で問題設定、下流で問題解決

組織の上層部になればなるほど、仕事の重心は、問題の設定へと傾斜し、組織の下層部になればなるほど、その比重は問題の解消へと傾斜することになる。

本文より

短期的にはギバー、中長期的にはテイカー

ペンシルバニア大学のウォートンスクールの組織心理学者アダム・グランドは大規模な調査を行い、まずギブする人「ギバー」とまずテイクする人「テイカー」と比較し、中長期的に大きな成功収めている人は、1番多いことを明らかにした一方で、テイカーはどうだったかというと、短期的な評価を獲得するものの、中長期的にはギバーに劣ることがわかった。これはつまり100メートル走を走るならテイカーが有利だけれど、マラソン走るならギバーが有利だ、ということ。

本文より

資源の中で、唯一可変性があるのが「人間」

人もの金の経営資源のうち、人の能力はそれを導くリーダーの意味の与え方によって簡単に増減する。人は与えられる意味の豊かさによって放出するエネルギーの量が大きく変わる。
企業が保有する経営資源の中で、可変性が最も高いのが人という資源。つまり、ここに同じ潜在能力を持った二人がいたとして、内発的動機にで駆動されているニュータイプと、上司からの命令で駆動しているオールドタイプとを比較すれば、前者が後者よりも高いパフォーマンスを発揮する公算が強い、ということ。内発的モチベーションを持っているニュータイプというのは、自分で仕事の意味を形成することができる人材。

本文より

現代は「量の問題」より「質の問題」

量が増加すればするほど増加。1単位あたりの効用が小さくなっていくことを経済学では「限界効用逓減の法則」と言う。例えばリモコンのチャンネル、例えば自動車の数百馬力のパワーを発揮するエンジン。様々な領域で、これ以上の量的な改善がほとんど意味をなさない
平均寿命は40歳だった社会を80歳に伸ばす事の意味と平均寿命が80歳の社会を160歳にすることの意味は全く異なります。むしろここで問われるのは、老齢期の人生の質と言う問題です。つまり寿命については、既に量の問題から質の問題へとシフトしており、質の問題が改善されないままに、これ以上量の向上を図ったところで大きなメリットがないと言う事。同様のことが家電や、自動車の性能についても言える。

本文より

「わがまま」は自分に従うこと

わがままほど私が高く評価できるものは他にない。人類が考え出した数多くの美徳のすべてをただ1つの名前で総括することができよう。すなわち服従である。問題は、ただ誰に服従するのかにあり、つまり、わがままも服従である。けれども、わがまま以外のすべての非常に愛され、賞賛されている美徳は、人間によって作られた法律への服従である。唯一、わがままだけが、これは人間の作った法律を無視するのである。わがままな者は、人間の作ったものでない法律に、唯一の無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に我の心のままに従うのである。わがままがさほど愛されていないのが残念なことである。

ノーベル文学賞作家 ヘルマン・ヘッセ

過剰なものと希少なもの

箇条のものがことごとく論理と理性によって生み出されているのに、対して、貴重なものはことごとく直感と感性によって生み出されているつまり、現在の世界において、希少なものを生み出そうとするのであれば、直感と感性を駆動せざる得ないと言うことです

本文より

論理は「役に立つ」はつくれるが、「意味がある」はつくれない

役に立つ方向でパフォーマンスを高めたいのであれば、主軸となるのは論理です。一方、「意味がある」の方向でパフォーマンスを高めたいなれば、論理は役に立たず、センスに代表される直感が決め手となる。どのような意味やストーリーを紡ぎ出せば、顧客に刺さるのかと言う問いに論理は答えを出すことができない。
現在の世界では、「役に立つより」も「意味があること」の方に高い経済的価値が認められている。論理では意味を作れない。明確化された問題に対して解決策を提供すると言うことで、この領域では論理や分析は大いに力を発揮する。しかし、「意味がある」と言う市場において、価値を生み出すことができない。ゼロから1を生み出す「意味の創造」では、論理でどうこうできる問題ではない。

本文より


コピーできない「意味」をつくりだす

私たちは役に立つということを価値軸として長いこと重視してきたため、活用されているテクノロジーの水準を過剰評価しがちですが、既にものが過剰になり問題が希少となっている世界においては、テクノロジーの水準は顧客が重視する価値軸ではなくなっています。つまり、素晴らしいテクノロジーと素晴らしいデザインだけでは、素晴らしいプロダクトができないということです。最大のポイントは、テクノロジーもデザインも非常にコピーされやすいと言う点です。一方、その製品やブランドが持っている固有の意味はコピーできない。

本文より抜粋

Appleが一人勝ちしたのは市場調査をしなかったから

スケールに合わせると、同質化の罠に捕まる。携帯電話の金太郎飴化。得られた消費者調査を統計的に分析し、その結果をもとにデザインしたから。しかし、経営の本質は差別化にある。ここにパラドックスがうまれる。そこで、市場調査をやらないアップルが現れた。根こそぎ、顧客はアップルへ。分かったことは、正解に価値がないということ。マーケティングを主人にしてしまうことロクなことがない。なぜ世の中にこういうものを打ち出したいと言う人間の思いが起点となり、その思いを実現するための道具として用いるのであれば、マーケティングの知識とスキルは極めて強力な武器になる。つまり、何を受けますか、「WHAT」は人間が主体となって意思決定し、どのようにしますか、「HOW」についてはマーケティングを行うといった構図

本文より抜粋

問題の不足とはビジョンの欠如である

問題解決は、世界では問題を「望ましい状態と現在の状況が一致していない状況」と定義する。望ましい状態と、現在の状態に差分があること、これを問題として確定すると言うこと。したがって、望ましい状態が定義できない場合、そもそも問題を明確に定義することもできないと言うことになる。つまり、ありたい姿を明確に描くことができない主体には、問題を定義することはできないと言うことになる。問題の不足と言う状況は、そもそも私たち自身が世界はこうあるべきではないか、あるいは人間はこうあるべきではないかと言うことを考える。構想力の衰えが招いているということ。私たちはありたい姿のことをビジョンと表現するが、つまり、問題が足りないということはビジョンが不足していると言うのと同じこと。

本文より抜粋

「問題が希少で、解決策が過剰」という人類史初の経験

20世紀半ばから後半の時期にかけては問題解決能力が極めて高く評価されてきた。この時期は、市場に多くの不満、不便、不安と言う問題を解決したいと言うニーズが存在していたので、それらのニーズを解消できる組織や個人は高く評価され、高い報酬を得ることができた。しかし、一旦物質的なニーズや不満がある方解消されてしまった状態、つまり21世紀初頭の現在のような状況になってしまった場合、問題を解決する能力がいくらあったとしても、そもそも大きな問題が定義されていなければ、その問題解決能力が富を創出する事はありえない。人類は原始時代以来、20世紀の後半までずっと問題が過剰で解決策が希少と言う時代を生きてきた。そのため、公的学校制度を始めとした人材育成の基本的な目的は、問題解決能力の向上に置かれていたところが、私たちは人類史の中で初めて問題が希少で解決策が過剰と言う時代に途中突入しつつある。このような時代にあっては、ただ単に問題解決能力が高いと言うだけでは価値生み出せない。

本文より抜粋

「優秀な人材」のものさしは昔と違う

その時代において望ましいとされる人材の要件は、その時代に特有の社会システムやテクノロジーの業者によって規定されることになる。つまり、世の中の要請に対して、相対的に希少な能力や資質が優秀者として高く評価され、逆に過剰な資質や能力は凡庸さとして叩き売られる。
ものが過剰になる一方で、問題が希少になっている現在の社会において求められる人材要件がその真逆である。ものが希少で問題が過剰であったかっての社会において求められる人材要件と大きく異なるのは当たり前のこと。しかし、人間のマインドはとても保守的なので、多くの人は相も変わらず、偏差値に代表される正解を出す能力をその人の優秀さを示す物差しだと信じていまだに崇め続けている。この認識のねじれが、社会の様々な局面で悲劇と混乱を巻き起こしている。

本文より抜粋

欠落感を抱えながら生きる現代人

買った半世紀の間に憧れの対象となっていたものが、すでにあまねく行き渡っているのが現在と言う社会。3種の神器。このような恵まれた状況になりながら、多くの人々はなんとも名状しがたい欠落感を抱えながら生きている。物質的な欠乏と言う課題がほぼ解消されてしまった世界において、人はどのようにして生きる意味を見出していけばいいのかこの問題を歴史上最初にしてきたのがドイツの哲学者だった。ニーチェはこの意味の喪失と言うもんのをニヒリズムに捉えられると予言した。ニヒリズムとは何のためにと言う問いに対して答えられないことだと、つまり意味が失われた状態こそが、ニヒリズムの本質である。

本文より抜粋



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