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「意思表示」は効果的な防御になる

社会生活の中で、周りの人たちの気分を害する人は必ずいます。
特に会社内においては、家族より長い時間を過ごすことになりますし、欠点だって露わになるのも当然でしょう。

しかし、欠点では済まされない自分勝手な理由で、その場の空気を濁らせる人もいます。

例えばこんな感じです。

・気分で態度を変える

プライベートなことでのイライラを持ち込む人がいます。
ホントにまったく同僚には関係ないことなので理不尽この上なく、周りは迷惑なだけなのですが、本人は気付いていないのが悲しいです。

・無視する

その人に対して、何か気に入らないことがあると、無視したり仲間外れにしたりする人がいます。
何が不満で気に入らないのかはっきり言えばいいものを、自分しかわからない遠回しな方法で抗議するのはおかしい。

・相手の状況を読めない

忙しく仕事している人に、どうでもいい話をせっせとする人がいます。
もちろん仕事に関することで、急なことならわかりますが、今言わなくてもいい話です。

・話が長い

これは聞かされる方は本当につらい!
長すぎると、話のポイントがわからず、いったい何が言いたいのかわからなくなります。

会社以外では、地域の自治会、学校でのPTA活動、子供の習い事など、あらゆるシーンでもれなく居たのが自分勝手な人です。

そのような人に共通しているのが、周りに不快感を与えている自覚がない事です。


距離を置ける関係ならいいのですが、それができないこともありますよね。
その場合はどのような対処が望ましいのか?
私なりの考えをまとめてみましたので、一緒に考えていただけたら嬉しいです。



距離を置けない場合の対処法

何一つこちらの空気を読んでくれない人たちを相手にしたくはないのですが、同じ会社でしかも同じ部署では、仕事上、接するしかありません。

私としては、全く態度を変えずに、いっそう丁寧な対応を心がけるべきだと思います。

相手と同じような態度を取っていては、自分まで相手と同レベルに下がってしまう事になるからです。

そして肝心なのはハッキリ自分の意思表示をすること。



直接ハッキリ告げる

奈星さんが実にスカッとする対処をされています。
ハッキリ迷惑であることを言って、自分の意思を伝えておられるのです。

実は私もそのタイプです。

相手が迷惑がっている空気を察する事ができないなら、ハッキリ言わないと終わりません。

なるべく角が立たないように言うのがベストでしょうが、なかなかそれは難しい。

空気の読めない人には、真意も伝わりにくいのです。

もし良識のある人であれば、ご理解いただけるのですが、得てしてそういう人には良識というものが無い。



空気が読めないのは罪

どちらにしても空気を読んでくれない迷惑ちゃんには、自分の考えを告げるべきだと思うのです。

基本的に私は、相手の様子をくみ取れないことは罪だと思っています。

良識のある人なら、「今いいですか?」とか「区切りのいい時に時間をちょうだいね」とかこちらを慮る一言があったりします。

あるいは手が空くまでそっと待ってくれたりと、ありがたい「配慮」を示してくれるものです。



意思表示の具体例

しかし、現実にはみんなが相手の様子を見てくれるわけではありません。

そんな時に私が意思表示として、まずは軽いジャブ打ちに使っていた言葉があります。

1、お急ぎですか?
2、何時までにしたらいいですか?
3、〇時以降でもよろしいですか?
4、あいにく今すぐはできないのですが。
5、手短にご説明いただけますか?

などからはじめ、今の自分の状況をほのめかします。

そして、私の仕事と、その方の要件のどちらが優先なのかをはっきりさせるのです。


私は事務業務だったので、会社の入金予定に響く仕事でしたので、たいていは理解していただけました。

特に上司であるなら、普通は様子を察して当然なのですが、中にはまったく自分勝手な人もおられるので、今すぐできない事だけでも伝える必要はあります。



noteの意思表示は「コメント」

では、noteを含むSNS全般ではどうでしょう?

「コメント」はコミュニケーションを深めるための素晴らしい手段の一つですが、時には鋭利な刃物に化けてしまうことがあります。

過去にも、悪質コメントについて思うところを書かせていただきましたが、中傷するぐらいなら、自分で記事を投稿すればいいものを、わざわざ記事主を否定したコメントを寄せる人がいます。



悪質コメントをする人のパターン

どうしてわざわざ記事主が嫌がるようなコメントをするのか?
その理由は次の通りだと思います。

・文章の読解力に欠ける
・自己顕示欲が強い
・記事主に対しての嫉妬

かなり大まかな例ですが、だいたいこんなところでしょう。

そこで、私が具体的にどう対処してきたかを挙げたいと思います。


「言論の自由」は「人権侵害」ではない

私が投稿したある記事で、
「中傷コメントをされる側も悪い」
「中傷コメントにも言論の自由はある」

という趣旨のコメントをいただいたことがあります。

「言論の自由」という言葉を使い中傷を擁護するものでしたので、
「では、記事を書いた方の言論の自由はどうなるのですか?」

すかさず切り返したのを今でもハッキリ覚えています。

誹謗中傷や人権侵害に当たるような言葉でも、「言論の自由」だと言われると、それこそ無法状態になってしまいます。

何でもありが通るわけがありません。

あくまでも記事を書いた方が主役で、
コメントをする側は脇役です。

まずは記事主の意図や人権を尊重することが先決で、記事内容に真っ向から反論する権利など誰にもないはずです。

私は徹底的にコメントバトルを繰り返し、とうとう最後には相手が譲歩するまでに至ったのですが、実際には本当に理解していただけたのかはわかりません。

その方が理解しようがしまいがどうでもよく、私の考えを正確に伝えることが一番の目的なのです。


返信コメントは誠意を持って

ありがたいコメントであれ、
中傷コメントであれ、
どちらにしても誠意のある返信を心がけています。

悪意あるコメントに対しても、怯むのではなくしっかり自分の意見を伝えるべきだと思うのです。

リアルな現実では、1対1の個人的なやり取りが多いですが、SNS上のやり取りは、ネット上の全ての人に公開された状態です。

醜態を晒しているのは悪質コメントをした方なのですから、こちらが泣き寝入りすべきではありません。

ちなみに私の過去記事におけるコメントは、お相手が消したもの以外は、全て消さずに残しています。

誰でも自由にそのやり取りをご覧いただき、大いに参考にして教訓のひとつになればと願っているからです。



これからのネット界に必要な事

「相手の身になって考える」

これはネットだけでなく、社会生活においての鉄則です。

noteではブロックできる機能があって、完全に関係を断つことは事はできるのですが、アカウントを変えてまで執拗に悪質コメントを寄せる人もいます。

ブロックしようが、コメントを削除しようが、再度攻撃されるのであれば、イタチごっこですよね?

最終手段は法的に訴えることになるのですが、そんな手間ヒマをかける前にきっちり自分の意志を伝えて、自分で対処する必要はあると思います。


自分の意志とは?

では、意思表示するにあたり、その意志とはどういうものでしょう?

自分の中の道徳観というべきもので、それは現実社会もネット界でも人として何が間違いか正しいかを見極めて、自分の正論を持つことなのです。

誰しも年齢を重ねるにつけ様々な経験の過程で
「嫌な事」あるいは「失敗」の中に大きな教訓を得ています。

嫌なことをされた時の気持ちを忘れず、
失敗した時の反省がちゃんとできていれば、必ず自分の正論は着実に蓄積されているのではないでしょうか。

自分の正論を持つことが、自分らしい意思表示へと繋がるのです。

自覚のない迷惑ちゃんには、ハッキリ言うしかありません。

今や、各自が正しい良識、あるいはネットリテラシーを持ち、明確な意思表示で自らを防御するべき時代なのではないでしょうか。



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