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をしえて!道長は良い人なの?

「そなたの産む子は誰の子●●●でもわしの子だ」
「一緒に育てよう。それで良いではないか」

まひろの読み通り、宣孝(佐々木蔵之介)は全てお見通し。
出産予定月を聞いただけで、自分の子ではないとわかっています。
ここでも懐の深いところを見せて感動させられましたが、そこは抜け目のない宣孝であることが次のセリフでわかりましたね。

「その子を慈しんで育てれば、
左大臣様はますますわしを大事にしてくださる」

こわっ!
相手が左大臣・道長(柄本佑)であることもすべてわかってる!

このあたりの描写がなんとも宣孝の人間性をクローズアップしていますね。
まひろを愛していることに変わりはないのだけど、それはそれ。

まさか、こうなることを見越してまひろを引き受けたのか?
とも思ってしまいます。

現代よりはるかに貞操観念の薄かったこの時代の事、案外、こんな風に男女ともに不倫公認のドライな考え方だったのかもしれません。


偶然すぎる石山寺の夜

一年365日あるうちの、その一晩に二人が偶然に、しかも同じ場所で出くわすなんてことがあると思いますか??
絶対にあり得ないからこそ、前回の終わり方にはやきもきしたものです。
そしてこの一夜の逢瀬が、あとあとに大きな影響があるものにしないとドラマ的には意味がない。

だからこそ、まひろと道長がばったり会った時点で、二人の思いは絶対に再燃すると確信できました。
いったんはアッサリ別れましたが、再び走って戻って抱擁とキスという展開には、「やっぱり」と苦笑いするしかありませんでした。

道長はいつ事実を知るのか!?

紫式部(まひろ)の娘・賢子かたこの父親は道長かもしれないと、薄々は感じていました。
しかし、まひろと道長はほぼ違う人生を歩んでいて、ますます離れていき、やっぱり普通に宣孝の子を産むのだろうかと思った矢先だっただけに、強引すぎる展開にはさすがの私も驚きました。

その反面、そうこなくっちゃ面白くないという気持ちもありました(笑)

あと気になるのは、道長がこの事実を知るのはいつか?
というところ。
やはり知らないと面白くない。
どこかのタイミングで抜け目ない宣孝が道長にそれとわかるように喋るのだろうか?
それとも宣孝の死後、別の形で知ることになるのか?
これもまたドラマチックに描かれることを願っています。

まひろの体験は全て源氏物語へ昇華

これからまひろが宣孝と死別後、「源氏物語」の執筆が始まり、紫式部となって宮中勤めをするあたりが一番面白いところです。
くれぐれも早送り状態にならないよう、丁寧に仕上げてほしいと願っています。

今のこのまひろの人生体験が昇華した集大成が「源氏物語」です。
この不倫や不義だらけの物語が、いかにまひろの筆から生み出されたかが最も見たいところなのです。
今年の大河の一番の肝になるべきところをどのように描くのかが、脚本家・大石さんの腕の見せ所。
そこに期待せずにはいられません。


一帝二后は晴明の発案?!

道長はいつかダークサイドへ行くとふんでいたのですが、なかなか中途半端にしかいかず、どこまでも正当化しています。
基本的に「世のため」という名目で、一条天皇のせいにして、あくまでも正しい導きをしたという設定です。

実際、一条天皇はここまで政をないがしろにはしていない

その上とうとう「一帝二后」までもが、晴明(ユースケ・サンタマリア)の発案としています。
「一人の帝に二人の后などあり得ぬ!」と至極真っ当なこと言っていますが、これって本来は道長が強引に推し進めたことではなかったか?

ダークサイドにいるのは晴明だったのか!

あくまでも道長は昔の清廉潔癖なまま人生をまっとうさせるようです(笑)

ダークな柄本佑も見たかったなぁ

この奇策中の奇策「一帝二后」は長保2年(1000)2月に決行されたものの、この年の12月、定子が第三子の皇女・媄子びしを出産した後に亡くなったため、たったの10ヶ月で終わりました。


「いけにえの姫」が大変貌するのは見もの

入内した彰子あきこ(見上愛)はこの時たった12歳。
「こんな年寄り」と自分の事を言った一条帝はまだ19歳。

なにが年寄りなものか!と突っ込まずにはいられないですが、それまで定子との夫婦生活をたっぷり経験している彼にとっては、彰子など眼中にも入らないお子ちゃまに映ったことでしょう。

実際、見ていてもイライラするほど物言わず、ドラマだとわかっていても、ため息ですほど困った姫です。
実母の倫子(黒木華)があれこれと心配するのも仕方がないことです。

入内に「艶」や「華やかさ」が必要であると思うのももっともで、最初こそ反対はしたものの、入内すると決まったら徹底的に母としてできる限りのサポートをする必死さが伝わります。

彰子の変貌ぶりはどこまで描くか

この反応の鈍い、頼りなさすぎる彰子は、やがて詮子あきこ(吉田羊)に続いて女院となり、国母としてまつりごとに参画するようになるのです。
87歳という長い人生の中に子供たちや孫を先に見送り、一国の長としての頼もしい存在になるのですが、今年の大河は史実的には不明の紫式部が主人公なので、そこまでは見れないでしょう。

ただし、史実では父の道長と次期皇太子をめぐって対立するのですが、この時にはどう変貌するのか楽しみです。

その時も道長は良い人として描くのでしょうか?
その成り行きや展開もどう辻褄合わせをするのか見ものではありますね。


大河はNHKの看板番組で
あくまでも創作です!

NHKへ一言!

都知事選のために先週の放送が休止となりましたが、これってどうなの??
確かに全国的に関心度は高いかもしれないが、言ってみれば東京だけの問題なのに、完全休止とはどういう事だろう?

そもそもNHK大河は3つのチャンネルで4回も放送されています。
(再放送は除く)
①BSP4Kー12:15~
② 〃 ー18:00~
③BSー18:00~
④G(民法)ー20:00~
※私は②を録画して観ています。

これら全てを休止する必要はあったのか?

何のためのサブチャンネルなんだよ!

どうせ誰が都知事になっても国政は変わらないと諦めていましたが、今回は石丸伸二さんの登場に一瞬でも将来に期待が持てたのは事実。
「政治家にはアップデートが必要!」と謳う彼みたいな人がどんどん国政に参加して、わけのわからない言い訳ばかりの政治家たちを引きずり降ろしてくれるのではと希望が持てる選挙にはなりました。

とはいえ完全に放送休止にする必要などなく、大河ドラマは視聴率こそ大したことはないものの60年以上も続いているNHKの看板番組です。
それを粗末に扱うのはちょっと違うのではないか。

ドラマはドラマとして楽しむ

今回だけではなく、毎回大河はあり得ない展開が多いです。
ましてや今年の主人公・紫式部はその人生のほとんどの詳細はわからない。
わからないからこそ、残った史料の中から小さな可能性を見つけて話を膨らまさなければならないのは当然のことです。

一級史料と言われる数々の個人の日記も、100%真実かどうかはわかりませんし、現代を生きている私たちの誰一人当時を自分の目で見た人などいません。

何度も書いていますが、

可能性はゼロではない!

ましてや、
NHK大河はドラマ●●●であり創作●●です。

多少なりとも歴史を知る人も知らない人も、一つのパロディ●●●●として楽しむ番組なのです。

私などは無理やりな展開にツッコむことを楽しんでいて、それもまたパロディならではの醍醐味だと理解しているつもりです。

逆に何もかも史実通りの見えている部分しか描かないドラマなどは、まったく面白くもないでしょう。
見えない(わからない)部分が多ければ多いほど、創作のし甲斐があるのです。

それが理解できないのであれば、大河ドラマは見ない方がいい。


過去記事で書かせていただいた「心構え」を再掲させていただきます。

【大河ドラマを見る時の心構え】

☝️決して史実通りと思ってはいけない。

☝️時代小説と同じく、あくまでも創作だと認識する事。

☝️自分の理想を押し付けてはいけない。

☝️意外な展開になってもツッコめるほどの寛容な気持ちを持つ事。

☝️素直な目でストーリーの行方を見守る事。

☝️それぞれの時代を生きた人々の人生を尊ぶ事。





【参考サイト】
美術展ナビ
JPprcss


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