大橋 知沙

京都在住のライター・編集者。京都案内、暮らし、手仕事の取材・執筆など。装いや暮らしまわ…

大橋 知沙

京都在住のライター・編集者。京都案内、暮らし、手仕事の取材・執筆など。装いや暮らしまわりの展示販売会を行う展示室〈written〉主宰。著書『もっと、京都のいいとこ。』『京都のいいとこ。』(朝日新聞出版)。noteはエッセイ中心。ご感想うれしいです。

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  • わたしの10年もの

    ふと気づけば長く使っている、「10年使える」「10年使いたい」と感じたものを紹介します。

最近の記事

子どもの自由研究の「編集者」になる

小学3年生の息子の夏休みが終わり、無事すべての宿題を持って元気に登校していった。 夏休みの宿題の最大のヤマといえば、今も昔も自由研究だ。 息子はもともと調べたりまとめたりすることが好きなタイプ。テーマも自由となればがぜん燃えるので、その点はありがたい。ただ、9才が自力で完成させるにはやはり少しノウハウが足りず、親も一緒に取り組むことになる。 この「一緒にやる」をどこまでゆるすか? 毎年悩ましい問題だ。 正直にいうと、「もはやこれは親の作品では」と内心思ってしまう成果物に

    • 直すか、買い替えるか、それとも

      この一週間、スマホのインカメラ内側に付いた、砂粒ほどの水滴とにらめっこしている。 そう、やってしまった。 お盆休み、帰省先の徳島で川遊びに出かけ、スマホを水没させてしまったのだ。夫が「スマホ、プールバッグに入れとく?」と提案したにもかかわらず、「写真撮ってからね」と水着のポケットに入れた。猛烈な暑さで、1秒でも早く水に足をつけたい。エメラルドグリーンに澄んだ勝浦川にはしゃぐ息子につられて、わたしもうれしくなり、すぐさまさぶさぶと川に分け入った。そうだ、写真撮ろうっと。写真…

      • 「生きておいで」に救われた

        東京出張の機会があったので、せっかくだから東京でしか見られないイベントがないか探していたら、現代美術家・内藤礼氏の展覧会を見つけた。 生まれておいで 生きておいで そう語りかける文字の向こうに、ざらりと赤い土肌が見える。これは、会場である東京国立博物館が所蔵する縄文時代の出土品らしい。現代美術館やギャラリーではなく、博物館で展覧会をするというのもユニークだと思った。 と、わかったような顔をして上野までやって来たものの、実を言うと私は現代アートが「怖い」。 超有名どころ

        • 人の「最後の晩餐」を笑うな

          「最後の晩餐」に何を食べたいか? この問いに対して、答えは多種多様だ。 大好物を答える人もいれば、母の味を思い出す人もいる。自分史上最高のごちそうを食べたいという人もいるだろう。私も大真面目に考えてみたら、ごく自然に一つの結論に辿り着いた。 自分で炊いた土鍋ごはんと、お味噌汁が食べたい。 答えを聞いた友人に「料理が上手なんだね」と言われたが、ちょっと違う。自分で作るごはんより、おいしいものなどいくらでもある。お米の水加減に失敗することもあるし、「今日のお味噌汁はちょっと

        子どもの自由研究の「編集者」になる

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        • わたしの10年もの
          7本

        記事

          当たり前はやめていい

          梅雨が明け、日に日に蝉の声が力強くなってきた。 いよいよというか、とうとうというべきか、本気の本物の容赦ない夏がやってくる。 灼熱の太陽とアスファルトの熱気で上下から焼かれるような真夏の屋外を歩くたびに、「やめてよかった」と再確認することがある。数年前に手放した、それまで全く疑うことなく「やるべき」と考えていたこと。いざ省いてみると、少なくとも私にとっては、拍子抜けするほど必要のないものだった。 それは、夏の日差しでみるみる溶けてくずれてしまうもの。 かき氷ではない。 フ

          当たり前はやめていい

          「その他大勢」になる時間が必要だ

          ライターをしながら、自分でも小さなギャラリーで衣食住のあれこれを展示販売していると、たいていのものは知り合いの店や関わりのある作り手でこと足りるようになる。 彼のコーヒーや彼女の料理が食べたくて、店の扉を開ける。 心から好きで、ものづくりの姿勢や背景に共感できるものと、暮らしを共にする。 そんなふうに顔の見える間柄で、一人ひとりの才能や得意に対価を払い、生活の隙間を満たしていけたら、どんなに豊かだろう。 ところが、小さく満ち足りた経済の循環を愛おしいと思う一方で、時々その

          「その他大勢」になる時間が必要だ

          「できたて」は食卓を救う

          「へんなものは一つも入ってないんです」 おいしいお店を取材したり、食に気を配っている人の発信にふれたりしていると、時々こういう台詞に出くわす。「へんなもの」とはきっと、農薬や添加物のこと。手間と時間をかけ、誠実に食に向き合って、作物を育てたり料理をしたりしているからこその発言だろう。私自身も口したことがあるであろうこの言葉が、ふと引っかかるときがある。 「へんな」と形容したとたん、そこには上下関係が生じてしまう。 入っていないことへの正義。 違和感のわけは、そこに無意識の

          「できたて」は食卓を救う

          家の「体型」をあきらめてからが、本当の暮らしの始まり

          先日、わが家をリノベーションした時の図面を引っ張り出してくる機会があり、記された日付を見ると「2014年」だった。 竣工はその翌年だったと記憶している。つまり、この家に住んで10年が経とうとしていることになる。 築90年を超えるコンパクトな一軒家で、夫の祖母の家を譲り受け、リノベーションした。10年の間に、家族が一人増え、猫を一匹見送り、通りに面した部屋を不定期オープンの展示室として運営することになった。体感では10年も住んでいるなんて信じられないけれど、こうして変遷を振り

          家の「体型」をあきらめてからが、本当の暮らしの始まり

          人と比べてしまいそうな時は未来を想う

          「50億年後、太陽は地球にぶつかるんやって」 時々息子の口から飛び出すこうした話に驚いて、脳がバグを起こすことがある。大抵は解説系YouTubeから聞き齧った知識を披露しているだけなので、細かい真偽のほどは怪しい。けれど、日常生活で接することのない「宇宙」とか「物理」とか「未来」の話を子どもの口から聞くと、思考が途端にマクロの視点にワープして、夕飯の献立や学校の連絡事項など砂粒ほどに縮んでしまう。「どういうこと?」と聞き返して、お互いの知識と感想を投げ合う、キャッチボールが

          人と比べてしまいそうな時は未来を想う

          「いたいのいたいの」が飛んでいかなくなって

          いつからか「痛いの痛いの」が飛んでいかなくなった。 少し前まで、子どもが転んだり体をぶつけたりしても、それをやれば飛んでいったのに。 一回では大抵、飛んでいかない。火がついたように泣く子どもの体にふれ、傷ついたところをさすったり、痛みを吸い出すようにぐうっと力を込めてから思い切り空に放り投げる仕草を何度かくり返すと、少しずつ涙は引っ込んでいく。 飛んでった? まだ。 飛んでった? こくん。 私には確かに、「痛いの」を飛ばす力があった。 すりキズたんこぶ以外にも、熱がある

          「いたいのいたいの」が飛んでいかなくなって

          「親孝行は3才まで」の意味

          桜が終わる季節になると、私の記憶はいつも2015年にトリップする。 ワンピースの下に地球儀を隠し持つかのごとく、まるまると膨らんだおなか。予定日を過ぎても、陣痛が始まってもなかなか出てこない、のんびりやの命。 今、「ほら、もう行くよ」と何度声をかけても目の前の遊びにしか興味のない息子を見ると、あの胎児(こ)にしてこの子あり、と大いに納得するのだけれど、そんな息子ももうすぐ9才である。 ◇ 出産から1ヶ月ほど、実家の母に手伝いに来てもらっていた。 初孫で、元々子ども好きな

          「親孝行は3才まで」の意味

          季節に駆られて暮らしたい

          この春は、筍をちゃんとアク抜きして炊き込みごはんに、ふきのとうを天ぷらにできた。過ぎゆく日々のなかでそんな献立は1日か2日のこと。けれど、そのたった一度の食卓はまるで絶景を眺めたような充実感がある。 時々、「毎年お味噌とか作ってそう」と言われるが、作ってない。 梅仕事も、ジャムも、筍の下茹でやふき味噌や実山椒の塩漬けも、気まぐれに作ることはあるけれど、毎年必ずやることはない。 季節の食材をその時期にちゃんとつかまえて、まるでそうするのが当たり前のように保存食をこしらえること

          季節に駆られて暮らしたい

          茶の間のツナトースト

          2本目の親知らずを抜いた一週間後のこと、御所東にある喫茶店「茶の間」を訪ねた。 抜歯後の痛みもかなり治まってきて、この日は抜糸と消毒。しかも、2月とは思えない小春日和とあらば、足取りも軽くなるというものだ。光がたしかに春になりつつあることに浮き立ちながら、京都御所に寄り道してほころび始めた梅を一通り眺めたところで、おなかがすいた。すぐ近くにあったのが「茶の間」だった。 この店の名物はカレーである。 しかも、かなり辛い。 以前に訪ねたのはもう10年近く前かもしれないが、辛くて

          茶の間のツナトースト

          2冊目の本が出ました。

          1月30日、朝日新聞出版より2冊目となる著書を上梓しました。 タイトルは『もっと、京都のいいとこ。』 2019年に出版した『京都のいいとこ。』の続編です。 現在も連載中の、朝日新聞デジタル「&Travel」のWEBコンテンツ「京都ゆるり休日さんぽ」の記事を大幅に加筆修正し、テーマ別に再編集した1冊です。MAPも付いていて、ジャンルでいうとガイドブックに分類されると思いますが、「読み物」であることも大切に制作しました。 京都旅行をひかえている人はもちろんのこと、旅する予定が

          2冊目の本が出ました。

          わたしのとこのま

          古道具店で一目惚れしたスウェーデンの陶人形を、玄関に飾った。 こういう抽象的なオブジェへの感想として、「私でも作れそう」という台詞がうっかり出そうになるが、いやいやそこがいいのだ。 家族を見送るとき、宅急便を受け取るとき、出かけるとき。 何度となく目にするからこそ、表情も性別も印象も特定されない曖昧さが心地よい。 ところで、気に入りのうつわやオブジェ、ポスターなどを手に入れたとき、まず飾ってみるのはうちの場合、玄関だ。他にも、リビングのガラスケースの上とか、階段を上がっ

          わたしのとこのま

          制約と創作のあいだ

          先日、2組の作り手にインタビューしたら2組ともが、似たニュアンスのことを言っていた。 「制約の中で表現することで、自分たちのスタイルができた」という。 一人は型染め作家・kata kataさん。 もう一人はイラストレーターの高旗将雄さん。 2組とも、手法は違えど絵でものづくりをする作り手だ。 kata kataさんは型染めや注染、高旗さんはシルクスクリーン印刷を用いた作品が主力だが、どちらもその技法ならではの特性や、表現の条件がある。 具体的には、型染めは「破れない丈夫

          制約と創作のあいだ