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和食器好きになったのは 〜亡き祖母からの贈り物〜

初めて訪れた 山口県、萩。

萩は古くからの陶業の地。
萩焼は 茶陶として名高く、京都の楽焼・山口の萩焼・北九州の唐津焼は『一楽 ニ萩 三唐津』と称されます。

陶器で有名な萩ですが、その昔は磁器も盛んに焼かれていたそうです。
一度は途絶えた磁器が 最近になってまた復活したようで、街のお店にも陶器とともに、優しい風合いの磁器がたくさん並んでいました。

色や形も時代とともに多様化しているそう。
オシャレなカフェや雑貨屋さんが 器ギャラリーを兼ねているお店も増えていて、若い人にも親しみやすく気軽に手に取れそうです。

私も和食器が好きです。
うちにある食器は 7割くらいが和食器であとはガラス、そして洋食器がほんの少し。
普段使いはほぼ和食器です。

シンプルなものが好きなので、無地か染付そめつけの器が大半です。

染付とは、
呉須ごす(酸化コバルト)という顔料で絵付けをし
その上に透明の釉薬ゆうやくを施して焼かれた器
焼くと絵が藍色に発色します


***

かれこれ二十数年前のこと、
私が実家を離れるときに 母が持たせてくれた器が全て和食器でした。

その食器は、母の嫁入りのために祖母が用意したものでした。
使われないどころか 箱から出されることもなく、お嫁に来た時のそのままに ずっと置きざりにされていたのです。

母の母である祖母は、私が中学生のときに亡くなりましたが記憶は今もしっかりと残っています。



私が引っ越しの準備をしていると、急に母が あっ!と 何かいいことでも思いついたように、物置みたいになってるベランダに行って何やらゴソゴソしはじめました。

ほとんど朽ちてふやけたようなダンボール箱がいくつか重なり、誰にも動かされることも開けられることもないままに 二十年以上そこに眠っていました。
何が入っているのかなんて 聞いたことも気にしたこともありませんでした。

開けるのも躊躇われるような汚れたダンボールを、母は少しも気にせずに ちょっと楽しそうに下ろしては ガシガシ開けていきました。
頑丈なはずのダンボールは、ボロボロとあちこちが崩れて、もう元の姿には二度と戻れなくなっていました。

中からは更にいくつもの箱が出てきます。
色褪せて染みもたくさんついていたけど、どれも箱の形は四角くきちんと保たれていました。

それらを更に開けていくと、ひとつずつ丁寧に薄い紙で包まれた食器が次々と出てきたのです。

宝物を見つけたような嬉しい驚き。
まさかのこんなところから…
それらの食器は、まるで時が止まっていたかのように何事もなく 無傷で静かで穏やかでした。

母はどんな食器が入っていたのか知らなかったようで、あらー とか、へぇー とか言いながらひとつひとつを愛おしそうに眺めては取り出していきました。

どうしてほったらかしにしていたの
もったいない…
母は「出してる暇がなかってん」と言いました。


母は細かいことはあまり気にしない性分で、洋服や家具など身の回りの物にこだわりがなく無頓着です。
食器も、人からの貰い物でも 何かのおまけのようなものでも喜んで使う人なので、食卓は趣味も統一感も全く感じられないものでした。

それが日常だったので、良いも悪いも特に感じることはなく、私も何ひとつ気にすることはありませんでした。

母は食器に興味がないのか、料理と食器をコーディネートするという概念はなさそうで、器は作った料理が乗ればよい、というような大きさ重視。盛り付けは、いつでも飾らない笑顔のように無邪気でした。

けれど ただひとつ、父のお茶碗が 龍の絵柄 ということだけは、何か大切な約束事のように、割れても割れても父が亡くなるまで固く守られていました。
私の目には母のほうが強かったけど、昭和時代の夫婦たる父の威厳が そんな小さなところできちんと保たれているようでした。


あの時、祖母が持たせてくれた食器を目にして 母はどんなことを思っていたのでしょう。
祖母の姿を思い浮かべながら、私も知らないような遠い昔のことを思い出していたのかもしれません。
これから親元を離れ 知らない土地で暮らそうとしている娘のことを、もしかすると重ねながら…

祖母はどんな思いでこの食器を選び どんな思いで母をお嫁に出したんだろう
そんなことを考えていると胸がじんわりしてきます。

母から娘への思い、心配や応援…  関係が近いからこそ なかなか伝えられなかったメッセージが そこに込められていた気がするのです。
長い時間を経て その時にようやく伝わったのかもしれません。

ひと通りを出し終えて、もう一度ざっと眺めると母は「全部持っていき」と言って その器と思いをまるごと私に引きつぎました。

母が器を使うことはなかったけれど、しっかりと母の手から 今度は私へのメッセージとなって受け継がれていますよ、おばあちゃん。


食器を 素敵だなぁ、好きだなぁ、欲しいなぁと感じたのはその時が初めてでした。

この食器のおかげで新しい生活への期待や楽しみが大きく膨らんだのかもしれません。
家を出る不安は全くありませんでした。

その器はどれも私好みのシンプルで使い勝手のよいものばかりで、これまでに少しずつ買い足してきた食器とともに今も毎日の食卓で活躍しています。
母の好みは未だにちょっとよくわからないけど、おばあちゃんと私は似ているようです。
これからも大切に使っていきます。



シンプルな和食器は 洋食や洋菓子なんかにもマッチするし、洋食器と合わせて使っても良さそうです。

料理は 盛り付ける器を考えるのも楽しみのひとつ。
ありきたりの料理でも、器や盛り付け方によってぐんとグレードアップするので、器もおいしい料理のうち…そう考えて選びます。

料理をする人には 器好きな方も多いのではないかなと思います。
私も 素敵な器を見るとつい欲しくなってしまうのだけど、お財布にも収納にも限りがあるので、そこが悩ましいところです。

旅をした時には またその土地の素敵な器を探してみようと思います。
陶芸もまたやりたいし、いつか窯元を訪ねる旅なんかもしてみたいです。


#13.  『 器 』 

⭐︎ 新しく迎う茶碗は大きめにしよう いのちをすくう手のかた

⭐︎過去の傷 別れ選ばず共にあり共を癒した金継ぎの痕
       ー ちる ー

陶芸体験で初めて作った器

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