04.06 表現者の苦しみPart3 神様と世の中の考えは違う
今、進路に迷っている。
「表現したい」
この私の気持ちは間違いではないから、ずっと就活においてこの事を軸にしてきた。
しかし、、、
就職にこの軸は必要じゃないかもと吹っ切れそうな出来事が起こった。
就活について人に相談したところ、
「あなたの表現は、ビジネスには向かないと思う。
あなたは純粋な心で、自分の内面を表現したり、良いものを表現したいと思ってるでしょ。
でも、世の中でよく目にするクリエイティブと言われるものは、多くの人に見られるために、たくさんの人が戦略を考え抜いて作っている。
想像力とか、純粋な表現への愛というよりは、論理的な思考だったり、どうしたらそれが売れるかという事を考えているし、そういうのが得意なガツガツした人が求められてる。
それに、表現者としてやっていくにしても、芸大生とか専門学生とか、もっと専門的にずっとやってきた人たちが沢山いる。
そういう人達と戦って行かなきゃいけない世界だよ。
だから、仕事のこと考えるなら表現は一番に考えない方がいいかも」
と言われた。
うん、、
笑いながら相槌を打ったが、表現の世界では太刀打ちできないと、言われて少し胸が痛んだ。
でも、本当にそうだ。
私はクリエイターやデザイナータイプではやはり無いと認めることができた。
タイプとしてはアーティストだ。
でもアーティストとして食べていく程の実力はない。
食べていくスキルを付けられるほどの気力もない。
ただ純粋に、自分の内面を表現したい、美しいものを表現したい、
ほんとにただそれだけ。
ひとまずは、私の表現したいという情熱はビジネスには向かないことがはっきり分かってよかった。
表現者という個性で人に認められたい気持ちもあったけど、神様の考えは少し違うようだ。
それでも、この芸術への純粋な愛をくれた神様に感謝する。
別に売れるから、たくさんの人の目を引くから価値が高いってわけじゃないもんね。
実際価値のあるものを人間はほとんど分からない。
『芸能人格付けチェック』みたいにね。
その道を極めたわずかな専門家くらいしか、その価値が分からない。
神様がくれた個性は、世の中の目からしたら、パッとしなくても、本当に素晴らしいものがたくさんある。
最後に評価されるのは、そういうものだって信じてる。
だから表現を仕事にしなくても、他のもっと生かされるべき個性の道にひとまず進むことにしよう。
真の表現者としているために。
サポート代は、神様が喜ばれることに使おうと思います。 神様が愛する人々のために、あるいは教会のために、あるいは日曜日に神様にあげる花代にしようと思います。