見出し画像

「今西さんの教え子のあなたたちが頑張っているんだから、それは応援するよ!」という第一声。

私が関わっているJ.FC MIYAZAKIというサッカークラブは、現在九州サッカーリーグに所属しているのですが、この度、全国地域サッカーチャンピオンズリーグへの出場権を手にすることができました。この大会で2位以内に入ればJFLという全国リーグへ昇格できます。その先にJリーグ参入が見えてきますので、非常に重要な大会です。

Jリーグのクラブですらそうなのですから、地域リーグのクラブで潤沢な予算で運営しているところはそうそうありません。私たちJ.FC MIYAZAKIも例外ではなく、全国大会出場となると、会場にもよりますが多額の遠征費がかかってきます。
そのため、できるだけ多くの支援を集めなければなりません。そのため、グッズの購入など、支援を呼びかけ始めました。


するとすぐに、私のツイッターを見て、支援するよ、と申し出てくださった方がいました。
J.FC MIYAZAKIの社長はじめ、私を含めた3名は、FC岐阜というJリーグクラブのフロントスタッフとして働いていた時期があります。申し出てくださったのは、その時のスポンサー企業の社長でした。


私たちがFC岐阜に勤めていたのはJリーグに昇格してからのことでしたが、その会社はFC岐阜がJリーグに昇格する前、JFL時代からのスポンサーです。当時社長であった今西和男さんの掲げる理念に共感して支援をはじめると、今もなお継続して支援にあたっています。私たちがいた頃はかなり経営的にも苦しい時代だったのですが、スポンサーとしてはもちろんのこと、サポーターとしても毎試合のようにスタジアムで声をからし、経営危機に際しては持株会という組織をつくり支援者を募ったりと、既存の形にとらわれることなく思い切った行動でクラブもサポーターも引っ張っていっていました。私たち若手スタッフにも気さくに声をかけていただき、時にはともに喜び、時には助言を与えていただいたりと、親身になって育てていただきました。今西さんにとっても、社内で相談しにくいことを相談できる数少ない相手だったと思います。

残念なことに志半ばで今西さんがFC岐阜を去ることになってしまいました。地縁も何もない今西さんが、自身の生活を犠牲にしてまで尽くしていたにもかかわらず、その体制変更を余儀なくされたクラブは大きく変わることとなりました。私たちもそれをきっかけにFC岐阜を離れました。

それから5年以上が過ぎ、その時の仲間の一人が宮崎県都農町で新たなプロジェクトに取り掛かりました。私ともう一人がそこに加わり、岐阜で今西さんのもとで行いたかったけれども力不足でできなかったことをJ.FC MIYAZAKIというクラブでチャレンジしています。

その社長は、そのこともずっと気にかけてくださっており、今回の全国大会に向けて支援を申し出てくださいました。

久しぶりに電話越しに言葉を交わしました。その第一声。
「今西さんの教え子のあなたたちが頑張っているんだから、それは応援するよ!」

当時の話や今の岐阜の話なども聞かせていただき、すっかり長電話になってしまいました。

初めてお会いしたのが2008年の岐阜。今西さんのもとでつながった縁で、あれから12年、干支が一回りするほどの時が経ちましたが、宮崎県都農町、岐阜から600㎞も離れた土地でのチャレンジを後押ししてくださっています。

それがいったいどれだけ励みになるか、自然と力が湧いてきます。

いただいたお気持ちに応えるには、私たちが今西さんの教えの通り、誠実に、謙虚に、ひたむきに取り組むこと以外にないだろうと思っています。

中西さん、本当にありがとうございます。


【私の無料マガジンはこちらからご覧ください】


自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)