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夫がまだ彼氏だったころ私の実家(寺)に来た話

-ジャム屋物語③-

はろ~
私はジャム屋の女将で住職で歌を歌っている ちみょう と言います。

夫とワタシが起業して今年で20年になる会社の起業~現在を綴っていきますので、もしよかったら読んでいただけたら嬉しゅうございます。
とはいえこれでようやく3話目。以後、お見知りおきを!

昨日までの話はコチラ

今回はさらにさかのぼった話になりますが、ぜひとも!


私たちは学生時代の京都で出会ったけれど、彼がもうすぐ卒業という頃に付き合い始めたので、すぐに就職で離れてしまい、最初から結婚するまでの6年間は遠距離だった。

彼より3歳年下の私は、引き続き京都。彼は名古屋へ。大学院を出ていた彼は24歳、私は21歳だった。

彼が就職してまだ1年目。付き合い始めてようやく半年くらいたった夏休みに、彼は私の実家へ遊びに行きたいと言い出した。

正直私はびっくり(*_*)

なぜなら私の実家は山口県。デートのついでにちょっと挨拶に、と立ち寄れるような場所ではない。当然泊まりがけになる。それに私は家に男性を連れてきたことなんてなかったから、両親は何て思うだろう?
ていうか、そういうのまだ早くね?と、若干腰が引けていた。

「ねえ、本当に行く?」
私は「やめといてもいいよ?」という含みを持たせつつ聞いた。

「行くよー。家のすぐ後ろが海なんでしょ?絶対行く」

・・・子供か!
でもまあ、本人がそんなテンションなら、私も深く考えないでいっか。うちの父は若い人とも結構遊ぶし、まあ、大丈夫かな。

そう思い直して、実家に電話をすることにした。


私の故郷は瀬戸内の島だ。島といっても橋で本州と繋がっていて、ぐるっと一周するとちょうど百キロくらいある、まあまあの大きさ。
蜜柑栽培が盛んで、というかほぼ蜜柑しかない。(いや、魚もある!)

海も山も当たり前にあるけど、若者にとって刺激的なものは何もない。
だが、進学で島を出て初めて気付いたけど、ウチの海はかなり綺麗だ。

いつだったかもっと大人になってから、憧れの湘南海岸を訪れた時、そこで見た景色を私は忘れることができない。
あまりの人の多さでどこで泳ぐのだろう?と思ったし、そしてもちろん騒がしい。さらに驚いたのは、見たこともないワカメのおばけみたいに大きな海藻が、いくつも浜に打ちあがっていて、長細ーくそのままも並べて(?)置いてあった。20年近く昔のことなので、今は違うのかもしれないけど。

サザンの曲から勝手にイメージしていた湘南とのギャップにしばらく立ち直れなかった。桑田さんの嘘つき!とまで思ったりした。(気を悪くされた方には本当にごめんなさい。でぃすっているわけじゃなくて、地方の海しか知らなかったイモ娘の正直な感想です)

まあ、ウチが田舎だから人がいないだけなんですけど。
ホント、真夏でも、プライベートビーチかな?!っていうくらい人がまばらな日もある。

だがとにかく、瀬戸内の穏やかな海の透明度はかなりレベルが高ということに、大学生になって気づいた私は、自慢したいからなのか、お金がないから他の所へ遊びに行けないからか、夏休みになると友達を連れては実家に帰った。
そして「すっごいキレー!」とか「家から歩いてすぐ海で泳げるなんて贅沢すぎ」とか関西の友人たちに言ってもらっては、「でしょー?!」と鼻を膨らませていた。

そう、彼を連れて帰るのだって、それと変わらない。女子じゃないってだけで。大したことないさと自分に言い聞かせ、「よし!」と実家に電話をかけた。

まず母が出た。
「夏休みになったら帰るんだけど、彼氏も一緒に行きたいって言ってて…」

電話の向こうで母が一瞬固まったのが分かった。

そうだった。彼氏がいるということも、言ってなかったんだワタシ。
母は「お父さんに変わるわ」と言って、さっさと父に投げた。
そして父が電話口に。

若干私も身構えたけど、そこはサラッと、さも何でもないことのように母に話したように父にも伝えた。すると父は、

「おお!そうか!分かった、待っちょるよ!」と、意外に明るい声でこたえてくれた。私は安堵して、ありがとうと言って受話器を置いた。

「一緒に帰ってきていいって」と彼に伝えると、とても嬉しそうだったので、私も今まで味わったことのない、嬉しいけどくすぐったい照れくさいような気持ちになった。初めての感覚に包まれながら、眠りについた。
 
だがしかし!

翌日になって、今度は父から電話がかかってきた。

私が電話に出るなり、
「いきなり彼氏と帰ってくるとかどういうことじゃ!こっちはどんな気持ちで迎えたらええんか!?」
と、まあまあ、いきまいている。ほうほう、そう来たか。そうだ、忘れてた。
離れて暮らしていると、つい親の性格なんかも忘れるものだな、とその時の私は冷静に考えていた。

父は寺の住職だが、中学高校で美術教師もしていることもあり、若者の扱いには慣れていた。しかもすぐに若者とも仲良くなる謎の特技を持っていて、友人の年齢層はとても広い。

だがしかし!
昔から私たち3姉妹の男関係(たいした話はないです)にはやっぱり敏感ではあった。(言い忘れていましたが、私は3姉妹の長女です)

携帯なんてない時代だった。友達から固定電話にかかってくる電話に父が出た時、女子の声だと名前も聞かず取り次ぐのに、それが単なる友達であっても、男子の時はしっかりフルネームを聞いてから私たちに受話器を渡した。そして場合によっては母にこっそり会話を盗み聞きさせたりしていた。

つまりごく普通の父親だった。
若い友達も多い、物わかりのいいオジサン風でも、わが娘たちには門限だって厳しかった。

そうだった、忘れてたわ。
ここはちゃんと納得させなければ!と慎重に言葉を選びながら私は話した。

「お父さん、ただ遊びに連れて帰るだけだからそんな大げさに考えなくていいよ。それに娘の彼氏がどんな人か気になるやろ?会っとかないと心配じゃない?近くに住んでたらすぐ会わせられるけど、遠いからどうしても泊りがけで連れて帰るしかないだけで、たいした意味はないから」

たぶん私はそんなようなことを言って、父をなだめ聞かせた記憶がある。

たいした意味はないっちゃあ、それはそれでどうなんだ?!みたいなことをまだ父は言ってた気もするけれど、最終的には
「…まあ、それもそうじゃな」みたいなことを言って納得してくれた。

そして会社員一年目の彼も夏休みを取り、私と両親のわさわさする心情とは裏腹に、当の本人はさほど気にするわけでもなく、のほほんと私の帰省についてきた。
私はというと、平静を装ってはいたものの、いよいよとなると内心ビビッていた。

新幹線と在来線を乗り継いで、最寄りの駅には母が待っていてくれた。

いざ!母と対面!

ドキドキドキ・・・

彼が挨拶をすると

「ようこそ~」と、満面の笑みの母。

おおおお!これは、好感触!第一関門突破!!

思いのほか車内でも会話は弾んだ。
彼氏よ、ナイス。おぬし、なかなかやりよるな。結構オバちゃん受けはいいだろうと予想してはいたが、よくやった!

駅から橋を渡って島に入り、実家へ着くまで約20分。

そして、ついに到着してしまった。

私の実家は寺だ。寺の門をくぐると、本堂が正面にそびえたつ。
さすがに緊張してきた。

「ただいま!」

私たちが玄関を開け家に上がると、父はすぐに出てきた。

「こんにちは!はじめまして!お世話になります!」
彼はちゃんと元気よく父に向って言った。好青年な感じがする!いいぞ!

父の顔をチラッと見ると、、、

「おお!ようこそ、初めまして!よくいらっしゃいました。ああ、なんじゃ、よかった、ええ感じの人じゃないか!」

・・・おおお、笑ってる。あ、あんなに私にはぎゃあぎゃあ言ってたのに。
とにかくよかった。ホッとした。

と、胸をなでおろしていたら、笑顔の父が言った。

「この子でええんですか?!」

・・・は?

私だけでなく、明らかに彼も返答に困っていた。ヘラっと笑っていた。

「な、失礼な!(笑)」

と、私は言った。

「とりあえず、本堂で手あわせてくる」

そう言って、彼と阿弥陀様さまの前で手をあわせた。

・・・阿弥陀さま、ただいま。そして、そうだった、忘れてました。久しぶりに会って思い出した。わが父はああいう人でしたね。

外面がとにかくいいのだ。

家族はみな、父の何がそこまでいいのか理解に苦しむのだけど、やたら友達が多い。人からよく相談を受けるし、お節介をやいたりしている。

あはは。取り越し苦労だったな。相当おかしな人じゃなければ、父が初対面で失礼な態度を取ったりすることはないはずだった。のに、忘れていた。うっかり。それくらい、あのとき電話の向こうの父はドギマギしていた。

とにかく、よかった。あーよかった!

それから彼は、私の祖父母や妹たちにも難なく溶け込み、2泊3日ともに過ごし、泳いだり、魚を釣ったり、美味しいものを食べ、私の小さい頃の話を聞かされて笑い、陶芸もしている父のアトリエに連れていかれたり、した。

私はまだ学生で夏休み続行中だったので、もうしばらく家に残ることにした。そして彼は帰る日の朝、こんなことを言っていた。

「うちの祖父母はもう全員亡くなってるし、そもそも、どっちも京都と大阪に家があったから、田舎のおじいちゃんちに帰るって感じじゃなかった。だからこういう経験は初めてで嬉しかったよ。泳いだ後歩いて家に帰って、そのまま風呂に入れて、魚も美味しくて、本当に楽しかった!」と。

そうかそうか、君も気に入ってくれたか、よかったよかった。
私は満足だった。

だが、その後で彼はこうも言った。

「だけど、やっぱり遊びに来るところって感じだね。ずっと住むとなると難しいね」

その言葉を聞いて、私の目はハッと少し見開いたと思う。動揺を隠せなかったかもしれない。

彼は、悪気なく、思ったことをそのまま口にしただけだった。

そしてそれは、以前から私自身が彼に伝えていたことでもあった。

「私は島に帰るつもりはない。寺を継ぐ気もない。三姉妹の長女ではあるけれど、両親も私に継いでくれと言ってきたことはないし、私の人生を好きなように生きることは尊重してくれている。島には企業もそんなにないから、卒業しても都会で暮らしていくつもりだ」と。

それなのに、彼の言葉を聞いて少なからずショックを受けているのも事実だった。自分でも驚いた。
だがそれでもやはり、島に、寺に帰る未来は思い描けなかった。

昔から娘しかいない寺は、僧侶の男性を婿養子に迎えるのが一般的だった。それは令和の今でもさほど変わらない。

家族から「お前が寺を継げ」と言われたことはなかったが、外野からはそれっぽいことを言われたことはあったし、少なからずプレッシャーを感じることもあった。

そしてもしも自分が寺を継ぐとしたら、どこかの寺の息子さんと見合い結婚をするのだと、その一択しかないと思い込んでいた。

絶対にそれは嫌だと思っていた。
寺を継がないのなら、就職先も少ない田舎に帰ってくる意味も見いだせなかった。何より21歳の私には、刺激あふれる都会の暮らしの方がずっと魅力的だった。

だから彼の「島は遊びに来るところ。生活するには難しい」という考えと一致しているし、既に名古屋で会社員になっている彼は私にとって理想のパートナーだった。

そんなことを考えているうちに、彼を駅まで送る時間になった。

「大変お世話になりました!」

彼は私の両親に頭を下げて言った。そして

「僕はいつか結婚させていただきたいと思ったうえで、お付き合いさせていただいています。これからもどうぞよろしくお願いします!」

と言った。

さすがに驚いた。

そんなこと、言ってくれるとは思っていなかったから。

というか、

結婚て!

私もそんなワード初耳ですけど!

だけどそこには、

「安心しました。ありがとう」

と言う、本当に嬉しそうな父の顔があった。母もその横で微笑んでいた。

そして、彼は帰っていった。


中学~高校時代、夏の終わり、8月31日には毎年ひとりで海に行った。

まあ、家の裏がもう海なので、毎日見てるんですけど。

夏休みの終わりだけは、なぜか必ず海岸の決まった場所まで一人で歩いて行き、しばらく座って海を見ていた。

思春期の一番大変だった頃、田舎が大嫌いだった。家族も煩わしいだけだった。でも今は、ここを離れて暮らしてみれば、そんなに悪いものでもないと思えるようになっていた。

彼が帰った後の海で一人、私はしずかに揺れる波を見ながら考えていた。

あんなにキッパリと、両親に結婚という言葉で彼は伝えてくれた。

一方私はというと、結婚するかなんて全く分からなかった。まだ21歳だった。

だがどちらにしても、ここで再び暮らすことはないとハッキリ感じていた。

それなのに、

そこから7年後、、、

まさか彼の方から「島で暮らそう」なんて言い出すとは!

夢にも思わなかった1995年の夏のこと。


                             

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