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歌が上手くなくてもアカペラサークル生活を楽しむ方法【宿題】

アカペラサークルで大して歌が上手くない人間が上手くやっていくにはどうしたらいいですか?

このテーマについて書くのも今回で最後です。
前々回・前回の記事では、
《上手くやっていくには》なんて考えるのは、他人志向で生きてるからじゃない?
考えずにいられる自分になっちゃったほうが幸せかもよ?

といったことを、アカペラそのものにはほぼふれずに書きました。

「俺が知りてえのはそういうことじゃねえんだよ!!!!」って思われてても全然おかしくないですね。そうだったら申し訳ないな……。
ということで今回は、アカペラ(およびアカペラサークル)そのものに目を向けて、件のテーマについて考えていきたいと思います。

逆に聞くけど、どうしたいんですか?

ここまでずっと封印してきましたが、やはり僕はこう問い返したい。
上手くやる術を考える前に、自分の人生の主役に自分を据えることのほうが先だよ、ということを散々書いてきた一連の記事をふまえれば、これが単なる「返す刀」ではないことは、たやすく理解してもらえると信じています。

自分の胸に手を当てて考えてみてほしいのです。
あなたはがうまくなりたいんですか?
JAMやKAJa!のような大きな舞台に立ちたいんですか?
周りの人に自分の実力を認めてほしいんですか?
それとも自分自身を認めてほしいんですか?

はっきり言ってこれらは全部別モノだと、僕は考えています。
互いに関係はあるかもしれないけれど、切り分けて考えるべきものだと思います。

上に挙げたうちのどれでもない、ということも大いにありうるでしょう。
だとしても、まず「自分は本当はどうしたいのか、どうなりたいのか」を、何であれなるべくはっきりさせることです。
他人の目だの評価だのは関係ありません。そんなものを気にしなきゃいけないような立場に自分があると考えなくてよろしい。
心に秘めていれば、笑われることもバカにされることもありません。だいたい、笑われようがバカにされようが、失われるものなんてありはしないでしょう。
心が傷つく? そうかもしれません。
でももうとっくに、歌が下手な自分がイヤで傷ついているじゃないですか。どのみち傷を負い続けるなら、前に進むために傷を増やすほうが賢明だと僕は思います。

どんなことでもいいです。あなたはどうしたいんですか? どうなりたいんですか?
思考を阻むものをすべて傍に押しのけて、自分と向き合ってみてください。

ちなみに、この自問自答に正解はないです。
そして、現時点で出た答えが、その後の過ごし方のすべてを決めてしまうわけでもないです。
ですから、正確な答えを出そうとしていつまでも考え込むのはやめてください。

たしかに、「こうしたい」と思うことをやってみた結果、何かしらの変化が生じて、自分の思考や志向まで変わってしまうかもしれません。
でも、それならそれでいいんです。
そうなるたびに、「じゃあ、次はどうしたいか」を考えればいい。それだけの話だと思って、安心してください。

歌は上手くなる

「歌が下手な人間が〜」と枕を置いているからには、「宿題」を出してくださった方は、(1)歌が上手くなりたいか(2)下手な自分に折り合いをつけたいか、のどちらかだと思います。

もし(1)歌が上手くなりたいというのであれば、話は早いです。上手くなるための努力をしましょう。

死ぬほど当たり前のこと言ってんじゃねえよ、もしかして死にてえのか?と言う人がいてもおかしくない回答だとは自覚しています。
それでも僕がわざわざこんなことを言うのは、この回答が本当の意味で「当たり前」じゃないからです。

はっきり言います。
僕はこれまでのアカペラ生活の中で、「下手だった人が日々正しい努力を重ねた結果、めちゃくちゃうまいリード/コーラスになった」という事例を、ほとんど見たことがありません。
すくすくと上手くなっていくのはもともと上手かった人だけで、当初下手だった人はたいてい下手なまま4年間を終えているという印象です。
なかには「当初は下手だったけれど、なんとか支障なくアカペラをやれる程度には上手くなった(、けど歌が上手いかというとそういうわけではない)」という人もいますが、少数の例外と考えるべきでしょう。

どうしてこんなことがまかり通るのか、贅言を費やしてここで述べる気はありません。
でも、こと学生アカペラサークルというのが、そんなことがまかり通ってしまう場所だという事実だけは、認識しておいたほうがいいです。
下手な人が下手なままでも、サークルは本当の意味では困らない。だから、よほど体制のしっかりしたサークルでない限り、歌が下手な人間は下手なまま放っておかれます。

鼻をつまみたくなるようなひどい事実ですね。もしかしたら今すぐサークルを辞めてしまいたいという絶望にかられた人もいるかもしれません。
でも、どうか早まらないでください。

この事実が教えるのは、「サークルが下手な人のために手を差し伸べてくれることはほぼありえない」ということだけです。
「歌が下手な人間は一生、歌が下手なまま生きるしかない」ということでは断じてありません。

歌は正しく努力すれば絶対に上手くなります。
努力して上手くなる、という道はちゃんとあります。

(※なんだか胡散臭い商材ビジネスの記事みたいになってしまいましたが、何かを売りつける気は毛頭ございません。)

ただし、です。ここからが重要です。

歌はたしかに努力を重ねれば上手くなります。
ただ、(1)上手くなるのは努力の方向が正しい限りにおいてです。間違ったことをやり続けて上手くなるということはほぼありません。
また、(2)歌の上達というのは基本的に長期戦です。4年間しっかり努力を重ねたとしても、もともと上手かった人たちとの差が埋まらないことは十分ありえます。
そして、(3)「上手くなる」というのはつねに「以前の自分と比べて」である、という点も見逃せません。10年努力すれば誰でも○○になれる!的な大変貌を期待してしまうと、たぶん不幸な結末に終わります。

歌に限ったことではないかもしれませんが、努力するというのは大変なのです。
トンチンカンなことにエネルギーを費やさないように、情報を入念に収集しなくてはならない。場合によっては、お金をかけて指導者を仰がなくてはならないかもしれない。
正しいメソッドを知っていたとしても、それを日々怠りなく実践しなくてはならない。1日5分を毎日続けることがどれだけ大変か、多くの方はおわかりのことと思います。

それでも、僕は努力するのはいいものだと主張したいです。
なぜなら、努力は僕を裏切らないから。
努力は成功を保証しはしないけれど、僕自身の中に残り続け、確かな変化をもたらしてくれるからです。

練習を頑張り続けたら、前よりも楽に声が出せるようになった。
アカペラを始める以前と比べて、カラオケの点数が平均15点も上がった。
いろんな表現ができるようになって、前より歌うことそのものが楽しくなった。
どれもこれも、僕が日々積み重ねてきた努力の結果です。

ライブに出られたとか、ずっと一緒に組みたかった人とバンドを組めたとか、そういうことを努力の賜物だと僕はみなしません。
あくまで僕の努力がもたらしたのは、僕自身の変化であって、それ以外のことはめぐり合わせが用意したラッキーでしかないと思っています。思うようにしている、と言ってもいいかもしれません。
他人に何かを期待してする努力より、自分自身の変化を味わいながらする努力のほうが、よっぽど楽しいと僕は心から思っているからです。

もし歌が上手くなりたくて、上手く歌えたら楽しいだろうと思ってサークルに入ったのなら、そしてその気持ちが消えずに残っているなら、ぜひ正しい努力に向かって突き進むことをおすすめします。
人によって、努力すべきポイントというのは違うかもしれませんが、それは同じ山をどこから登るかという違いにすぎないと僕は考えています。
今はだいぶいい時代です。正しい努力の仕方についての情報も、それを教えてくれる人も、探せばちゃんと見つかります。
上手く歌えるようになりたいという志があるのなら、どうかその気持ちと向き合って、恥も見栄も外聞も棄てて、頑張ってください。

別に上手くならなくてもいい

ここまで、「もし《歌が上手くなりたい》と思っているのならば」という前提で話をしてきました。
でも、「もう別に歌は上手くならなくてもいい、折り合いをつけて何かしら歌以外でサークルを楽しむ術を見つけたい」という人もいるかもしれません。

僕としては、それもそれで構わないと思います。
ただ、最終的には自分がどうしたいか、どうなりたいか次第であることには変わりないという点は強調しておきたいです。

たとえば、「歌は上手くならなくていいけど、とにかくサークルライブに出たい」というのであれば、MCやコンセプト、ステージ全体の演出に大きくリソースを割いたバンドを組んで頑張ればいいでしょう。
そこで「いや、でも歌を捨てるのは……」というのは筋違いですよ。「上手くならなくてもいいけど、歌で勝負するのはやめたくない」などという理屈は通りません。
もし「歌を捨てる」ことに対して抵抗を感じるのであれば、そもそも「サークルライブに出たい」というのが自分の思いのすべてなのか、よくよく考えなおすべきではないかと思います。

あるいは、歌が上手くなることへの望みは捨てているけれど、音楽やアカペラそのものへの想いは消えていない、というのであれば、アレンジや音響の方面で頑張るのも一つの選択でしょう。
僕などが言うことではないかもしれませんが、アレンジや音響だって、無限に突き詰めようのある立派なディシプリンです。アカペラサークルではどうしても演者の影に隠れがちですが、領域としての奥深さで言えば、歌に勝るとも劣らないものがあると思います。
(ついでに言うと、アカペラ固有の技術を高めることに極振りすれば、「歌は上手くないけどアカペラは上手い人間」になることも不可能ではないと僕は思います。リードは聞けたもんじゃないけどテンションノートの入り方は神がかってる、みたいな。)
楽しめる可能性がある、と少しでも感じたのなら、飛び込んでみる価値はあるはずです。

それから、もう飲み会要員に徹したい、アカペラ以外の遊びだけ楽しみたい、というのも、大いに結構だと思います。
心からそうしたいと思ってそうするのであれば、誰が咎めようと関係なく、遊び尽くせばいいでしょう(もちろん、他人に迷惑がかからない限りにおいて、ですが)。
ただ、アカペラに対する未練を遊びでごまかしている場合、そんなダサい話はないと個人的には思います。
いったい何がしたいのか、貴重な時間を無駄にしないためにも真剣に考えてみてはどうかと、皮肉なしに言いたくなるところです。

いずれにしても、自分がやりたいこと、なりたいものさえはっきりしていれば、何をしようと自由だと僕は思います。だからこそのサークル活動だ、とさえ言えるでしょう。
極論、もはやサークルでやりたいことは何もなくなったと思えば、即時やめたって構わないわけです。気持ちがともなわない物事に関わり続けても、たいがい良いことはありません。

僕は長くアカペラサークルに身を置いてきた分、いろんな人のいろんなサークルとの関わり方を目にしてきました。
歌ってばっかりいる人、音響に魂をかけている人、ずっと誰かと喋っている人、ごくたまにしか来ない人、いつも遊んでいる人、などなど。挙げだしたらキリがありません。
でも、それだけ多くの人たちがいながら、「その人が楽しそうかどうか」を分けていたのは、ごくシンプルな基準だったように思えます。
つまり、「やっていることが、その人のやりたいことそのものであるか否か」、それ以上でも以下でもなかった。そう思えてならないのです。

下手な歌を上手くするために頑張るにせよ、他の道を見つけるにせよ、とにかく自分が「こうしたい、こうなりたい」と思う気持ちを一番の基準にして考えてほしい、というのが僕の最終的な回答です。
他人がどう思うかは二の次。やりたいようにやって誰かが離れていったとしたら、その人とはそれまでの関係だったというだけのことです。
新しく世界が拓ければ、そこで出会った人たちとの、ずっと豊かで心地よい関係が、新たにあなたを迎えてくれるはずです。

おわりに

何度も言いますが、僕は本人がそうありたいと思っているのであれば、いかなるあり方を選んでもよいと基本的には考えています(「基本的には」と保留をつけたのは、他人の利益を侵害せずにすまないあり方については、自分の中でもうまく結論が出ていないからです)。
歌なんか頑張っても頑張らなくてもいい。冗談や皮肉抜きに、本気でそう思っています。

ただ、頑張りたいという気持ちがあるのに、他人と自分を比べてハナから諦めたり、方法を知らないばっかりに立ち止まり続けていたりするというのは、どうしてももったいない気がするのです。
ド下手から「多少マシ」程度になるまでの過程で、いろんなことを思い、いろんな景色を見てきた人間としては、頑張った人だけ見られる景色というのはやはりなかなか悪くないぜ、と言いたい。
派手でも華やかでもないけど、つつましい豊かさに満ちたところにたどり着くために、少し頑張ってみてはどうでしょう。志ある人のその志を、僕は心から応援します。


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引き続き、宿題をお待ちしています!


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